小説『砂漠を横切るラクダのように』【4】(全13話)
【2011-03-20 16:18/無事だけど~10日目~】
雨が降りそうな灰色の今日。まだまだ余震、続いてますね。
気持ちも滅入り、心と体に溜まった緊張が疲労となって、ずっしりと重くのしかかってきます。
眠れるときは眠ってしまおうか――。
睡眠がとれてるうちは大丈夫な気がする。
あとは、この行き場のない気持ちをどうするか……。
ここにいて、この普通じゃない生活を続けながらそれにも少し慣れ、もうどこにも行けないような、ここから出られないような、二度と日常には戻れないような、不安と絶望と無力感に包まれる今日。
むしろ今は、この心のまま日常が再開することのほうがずっと怖い。
どうすれば、またあのビル街に戻れるのか……。こんなときに誰の助けにもならないような、“なくていい”と思うような会社・仕事に戻れるのか……。
天気は気分をこんなにも左右する。
そして、日々蓄積されている簡単に言うと「疲労」が重い重い今日。
もう今日は、そのまま書き残そう。
【2011-03-21 19:00/無事だけど~11日目~】
昨日・今日とかなりキツくて、肉体的には腰(特に右側)がこれまでに味わったことがないくらい痛くて、精神的にも塞ぎ込んでいて、たぶん体を動かすとかして気分転換を図るのがいいのだとは思うのだけど、実行する元気もなく、な~んにもする気になれなくて、もう「眠るしかない」と無理やり自分を眠らせた。
残念ながら、夢の中でも設定は現実のままで、夢の中で感情を爆発させてはよく泣いて目覚める今日この頃。
そうやって睡眠中は心のバランスをとるように脳がせっせと働いてくれるから、しょうもない考えに捕らわれてどうにもならないときは、もうスッパリと眠ってしまうのが一番だ。まわりにも、グチグチしたものを撒き散らさずに済むし。
無理をしない。がんばろうとしない。
今は、じっとして最小限のエネルギーで自分自身を守りきることだけ考えてもいいはずだ。
「がんばれ、日本!」なんてもってのほか。
「がんばろう、日本!」だって、ここにいる私には早すぎる言葉だ。
ここではみんな嫌でもがんばっているのだ。この気持ちを抱えて生き延びること、乗り切ることに。毎日ギリギリ、精一杯だ。テレビの中の人の「がんばって!」は、こちらには虚しく響く。
日本のことより、まずは自分。そして目の前の大切な人。
かけられるだけ時間をかけることを、自分自身に許そうと思う。
ここで急いだら、絶対に大きなしわ寄せがやってくるはず。
じっくりと行こう。
【2011-03-23 10:23/地震から13日目】
昨日は腰が痛すぎて、起き上がるたび、立ち上がるたびに大騒ぎ。
トイレでパンツもあげられないほど、一度屈んだ腰を伸ばすときに右側のみ足先まで痛みが走り、床に右足をつけられず、毎回転びそうになる。
「こりゃ~さすがに精神的にも肉体的にも限界がきてるなぁ……。とりあえず山形あたりの温泉にでも行って、気分転換したいものだ。それになんといっても風呂! 風呂に入りたいっ!!」
命が助かり、水と食料が与えられたあとは、人間は(いや、日本人は?)風呂を欲するらしい。どこかの避難所でも、お風呂の用意ができ、地震以来初となる入浴に人々から笑顔がこぼれる様子がニュースになっていた。
お風呂の力はすごい。浄化と癒し。リフレッシュとリラックス。
風呂への渇望がピークに達したこの数日間。しかし、ガソリンは手に入らず、わざわざ乗れるかわからないバスで山形などに向かう気にはなれず、そんな元気も出ず、腰の痛みはひどくなるばかり。
痛いやら、悲しいやら、情けないやら、気分も落ち込むいっぽう。
それなのに、お腹ばかりすく。
わが家の今の生活は、ガスが使えないので、タイガーの電気で使える卓上鍋のおかげで温かい食事ができている。
電気ポットもなく、電子レンジは壊れてからずっと「脱電磁波だな」とか言って使わないままになっていたので、この全く使っていなかった卓上鍋がなかったら、いったいどうなっていたことか。「温かい食事」をとれるのって、どれだけ幸せなことか。
そう、まずは食事。
そして「お湯をためて体を拭こう」って思いながらも、実行できたのは9日目だった(日記によると『初の洗髪』は5日目。あのときは夫が全部用意してくれたのだ)。
ショックと恐怖と緊張で、いろいろ思ってもなかなか行動に繋がらない。実際に何かをするには、ものすごくエネルギーが必要。
で、やっと温かいお湯を洗面器にためて、そこにホワイトポマンダーを数滴入れて、タオルで体を拭いた。
まずは顔。顔だけでも、ものすごい気持ち良さ。
その温かさに、体がどんどんどんどん緩んでいって、拭いただけなのに、お風呂に入ったようなスッキリ感(これはホワイトポマンダーの力もあるな)。
このあと、地震から初めて「ふぁ~……眠い」って思って、体から力が抜けたようになって、たぶん張り詰めていた緊張が解けたのだ。
体を拭いたから、急に心や体が大きく変化したわけではなく、少しずつ回復した結果ようやく「体を拭く」という行為に至れたのだろう。
最初はかたくなに「自分たちだけここから逃げるなんてできない」と思っていたし、避難所の人たちを思うと「暖房もつけなくていい」ってつけずにいたし、部屋の中でもコート脱げなかったし、洗濯物ガンガン干してる部屋見ると「今洗濯しなくても死なないだろ!」ってなんかムカついてたし。
でも、少しずつガチガチだった心と体が緩まって、焦らずにごはん食べるようになって、靴下も脱いで眠るようになった。
疲労はピークかもしれないけれど、それを自覚できるし、オイルとかを塗って心身ともにケアしようともしているし、痛みも外に出てきたということは溜まっていたものが少しずつ体から抜け出ようとしてるってことだろう。
「温泉に行きたい」なんて思えるようになった変化は大きいはず。
いや、大きいかはわからないけど、確実に変化はしてる。
自分の中の時間感覚が失われたまま、それを取り戻せる気がしないままでも、そんな私に関係なく、確実に私のまわりの時間は過ぎていく……。
* *
あの日、よりにもよって履いて行ってしまっていたウェッジソールの黒いショートブーツ。絶対に足が痛くなるから滅多に履かなかったはずなのに、休日前の私は気合いでも入れたかったのだろうか? あの高いヒールで30分以上もの距離を、社員の誰かが手渡してくれたであろう非常時用のヘルメットをかぶり、足の痛みも感じずに黙々と歩いていた。スウェード生地で、途中からボタボタと前が見えなくなるくらい雪が落ちてきて、「よりにもよって、なんでこの靴を……」と何度か思いながら歩いていたような気がする。
それから、紺色のコート。分厚いフェルト地で、あれから何日も、家の中でも着続けていたからどんどん柔らかくなって、くたびれた感じになっていった。……それから、最初に避難したときの、会社の近くの公園の木。あれは何の木だったのだろう。余震が続く中、人が集まるその公園で、幼い頃からたびたび耳にしていた母の「地震のときには大きな木の下にいればいい」という言葉を思い出しながら、そして、ぼんやりと建物の下に立っているような危機管理能力の乏しい人たちを目に「なんて馬鹿なんだ、ああいう人たちが建物の下敷きになって死ぬんだ」と心の底から軽蔑しながら、その木に寄り添い、何度も触れ、「帰りたい」「帰りたい」「帰りたい」「帰りたい」とずっとずっと思っていた。
あの気持ち。あの「こんなときに、自分の判断で行動できないなんて耐えられない! おめでたい頭をした会社の人たちに従わなきゃならないなんて!!」と狂いそうになる内側を抱えて、しかし案の定しばらくすると集められ「一旦会社に戻ろう」とか言い出され、私は「この人たち、何考えてんだ? あのビルの中に戻るって?!」ともう本当におかしくなりそうな気持ちで「早く私を解放して!」「解放して!」「解放して!」と思いながら、中に入るのだけは断固拒否し、それでもビルの下で待たされることの不可解さを呪いながら、やっとのことで家に帰れることになったときの――あの、決別感。
あのとき私は誓ってしまったのだと思う。自分の命に。
「もう二度と、こんな不自由さ、味わうものか! 味わわせるものか!!」と。
何かに“属して”働くということ、そこで手にする「安定」のために、人はどこまで従順になれるのだろう。――もしも今また大きな余震が来て突然ビルが崩れてきたら――? 何の疑問もなく他人の判断に身を任せられる人のことも、何の躊躇いもなく他人の命を左右するかもしれない判断を下せる人のことも、私はうまく理解することができない。理解しようという気に、なかなかなれない。みんなちょっといじわるだったり嘘っぽかったり虚勢を張っていたり自信なさげなふりをしていたり……いろいろだったけど、それでも「善人」に違いなかった彼らを、私は愛することができなかった。それどころが「この人たちとここで一緒に死ぬなんて、絶対にいやだ!」とさえ感じてしまったのだ。
あの日、あの瞬間まで、それはあんなにも誤魔化せると思っていたのに――。
その“魂の叫び”をなかったことにして生きられるほど、私は強くも器用でもなかった。もう、愛のない環境で、愛のない人たちと、全力なんて出さずに済むような“どうでもいい仕事”をするなんて……していくなんて、どう考えたって無理だった。
* *
日記より――
3月11日。14時50頃か、M9・0地震発生。遅くなり、お弁当のY子さんと久しぶりに会社でコンビニおにぎり食べたんだ。で、Y子さんがTelしに行って、一人でいるときだった。もちろん立っていられず、冷静に本棚が倒れてくるかもとか身の安全を考えた。長い長いゆれ。社内はめちゃくちゃ。もう戻るつもりないと、しっかり荷物持ってコート着て外へ避難。公園へ。木の下で耐える。どのくらいの時間? 少しずつ雪が降りだし、バカどもは会社へ戻ると言い、意地でも外で待つ。本当にバカばっか。→歩いて帰る。徐々に大雪に。前みえないほど白世界。そして青空に。異常だ。ヘルメットかぶったまま帰る。→H(夫)は家にいて、向かいの〈P〉へ避難してたって。とりあえず着がえて、車で過ごすことにして、向かいの〈P〉へ車とめて過ごす。寒くて真っ暗。よしんもつづいて、連絡もつかない。まだトイレが使えたから良かった。ケイタイでニュースみながら、ラジオききながら、長い夜。ガソリンは残りわずか。足パンパン。でも――《これを書いてるのは3月15日(火)の夜。もういろいろ覚えてないなんて》と吹き出し――まだ1日目はよくわかってなかったんだ。→〈父〉からやっとキセキ的にTelくる。しかし、お母さん入院したって。泣く(※1)。〈父〉は本当に役立たずでバカで、死ぬならおまえが死ねって感じ。本当に心から思う。A(妹)にもなんとかメール。
2日目。朝チャリでHが区役所→ガソリンスタンド探しに。名取の方まで行ってくれた。戻って車で向かう。すごい車。横入りにキレつつ、やっと見えたら売り切れ。ぼーぜんと車からおりて歩いて行ってみる。おこってる人たち、逆ギレの店員。頭まっ白。そしたら〈女〉二人が助けてくれて〈缶〉かしてくれて、泣く泣く泣く(※2)。無事にガソリンget。家に戻って、今夜は布団1枚だけしいて寝ることにして少し片づけ。電気もないし水道も止まってしまった。布団の中で食べたトマト《冷蔵庫に残ってた》、さいこーにおいしかった。頭も痛い。どうなるのか。もうあのときの気持ちを正確に思い出せない。体もガチガチ。ケイタイもずっと圏外。シナジーがしみる(※当時飲んでいた青汁のようなもの。「ピュアシナジー」)。食べて少し元気になる。インスタントラーメン割ってソースつけて食べたり。《早めに1回ねて、起きて食べたんだっけ? ゆびわ、トイレに落としたのはいつ?(※3)》→《落としてメソメソしてねて、起きて食べて明かり発見かな》と横に吹き出し――。夜。近くの電気、復旧してる。ファミマ、やってないのに明るくて希望の光。自販機も復活。でも炭酸しかない。スプライト、とりあえず1本買ってかんぱい。泣ける~! いっきに元気出て、車でちょっと走ってみる。八百ふじにも明かり。音楽まで流れてて泣かせる。自販機でいろいろ買って、〈区〉トイレ行って戻ってねる。
3日目。ファミマに行ったらやってて、チキン1個get! 温かい食べ物に泣く。→八百ふじにも行列。〈区〉トイレに交代で行きつつ並ぶ。食料かくほ。でも現金たりず。水くんだりして――《小学校の校庭でポッカーン。天気よすぎてのどかすぎて、今の方が平和ってかんじ。でもこの世の終わりってかんじもした》と吹き出し――家で片づけ。布団二つしけるように。そしたら電気ついたー!! 喜びまくる。そのときは水は出ず、あとから出る。→〈母〉とTel。泣く~。Sさんにメール。私は仕事に行く気なし。→電気があるのでタイガーのなべ出して温かいごはん。ウインナーとまいたけの炊き込みごはんとみそ汁。
※1――遠く離れた実家には父と母と98歳になる祖母が暮らしていて、あの日、テレビで震源地を知った母は、連絡のつかない私の身の安全を案じているうちに心筋梗塞手前の症状になり入院してしまった。父はもうパニックだったのだろう。やっとのことで電話が繋がったとき彼は「大丈夫か?」の一言もなく、いきなり母が入院したことを告げてきた。いつだって一方的で、自分の話ばっかりで、何が起きたってその幼稚さは悲しいくらい変わらない。
※2――ガソリンスタンドまでのあの長い長い車の列(道の途中には燃料切れと思われる車もちらほらと放置されていた)と、その先の「売り切れましたー」の絶望。胸がぎゅっと詰まるような、息ができなくなるような、あの感触(“これか……”と思った。「そのとき私は『世界はなにも自分のために回っているのではない』ということを思い知ったのです」とか言う、あの感じは)。助手席の私は車から降り、ふらふらとガソリンスタンドへ向かって歩き出していた。涙が次から次へと流れてきて「このままじゃ帰れない。途中でガソリンなくなっちゃうよ」と思いながら、怒鳴り散らしているおっさんたちと逆ギレしている店員を見て「コンビニでもスーパーでも、耐えきれずに怒りを振り撒いているのはいつも男、おっさんだ」と心から蔑みながら、なぜかますます泣けてきて、泣きながら店員の一人に話を聞いたらこっそりと「ガソリンを入れられる缶(灯油を入れるポリ缶ではなく)があれば売ってあげられる」と教えられ、でも“そんなのないよ”と途方に暮れながら車に戻ろうとしたとき――。「どうしたのー?」と二人の女の人たちが近づいてきて、ずっと並んでいたのにあと少しのところでガソリンが売り切れになったことを話したら「ちょっと待ってな。わたしたちも今、この缶に入れてきたとこだから」「車に移したら貸したげるよ!」と言って、「うち、そこのバイク屋だから」「車は? 終わったら店の前のトラックの上に乗せといてくれればいいから」「大丈夫だよ!」と、ガソリンを入れる缶を貸してくれて――。天使だと思った。天使が現れたんだと。車を降りたときとはまったく異なる涙を流しながら急いで夫のところに戻って、事の成り行きを説明しながら再びガソリンスタンドに向かい、無事ガソリンを補充して、缶を返しに行ったときにはすでに彼女たちは消えていて(だから荷台の上に返すよう言ってくれたのだろう)、私たちは無人のトラックの前で何度も頭を下げてお礼を言い、夢をみているような気持ちで家路に着いた。
※3――今でも悔やまれる思い出。普段なら家の中では指輪なんてつけないのに、なぜかあのときは、お守りみたいに婚約指輪をつけたくなって(少しでも何か小さな美しいものに触れていたかったのだろうか……)、でもつけていたら指もむくんでくるし窮屈で、トイレに行ったとき(電気が止まっていたから何か灯りを持っていったはず)何気なく薬指から小指へと移動させたのだ(その記憶はある)。……で、トイレットペーパーを便器の中へ捨てたときだろうか……“カラン”と身も凍るような音がして、慌てて探したけれど見つからなくて、そのあとショックで茫然としたまま水まで流したものだから(そのときの水はどうしたのだろう。でも確かに流したのだ)本当にもう手遅れで、大切な指輪は私の身代わりとなったのだろうか……闇の中に吸い込まれ消えてしまった。まだ地震の翌日で、私の脳内はすでにキャパシティー・オーバーで、目の前で起きたこと(しかも自分の不注意で!)にうまく反応することができなかった。“うそ!? 落ちた? 便器の中? ないよ? ない、ない、ない。……消えた。うそでしょう? 本当に? ……ないよ、ない。もう消えた……”と、なぜかものすごく諦めがよかった。
~【5】へ続く~
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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆