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小説『砂漠を横切るラクダのように』【6】(全13話)



 4月11日、月曜日。今日の仙台は『あれから一ヵ月』的な番組でもちきり。「けっ」とか思って昼から一人、カラーメディテーション。こうやって自分から自然に頭を切り替え、行動に移せるようになったのだから、確実に変化はしている。そして“仙台でも何かできないか、みんなと今ここで抱えている気持ちをシェアし合えないか”というイメージは私の中で膨らみ続ける。

 そうして静かに寛いでいたらまた少し揺れて、慌ててテレビをつけて震源地などを確認。福島で震度6弱。一人だったから怖かった。だけど会社で死ぬくらいなら、ここで一人で死ぬほうがずっとずっと自由。不自由さより孤独さを、私は選ぶ。

「あれから一ヵ月。もうすぐ地震発生の時刻になります」とかいうアナウンサーの言葉を聞いたらわけもなく涙があふれてきたので、すぐさまテレビを消して、お母さんが送ってくれた荷物に入っていた甘いお菓子を食べることにする。

 続いていく日常。人生という大きなサークル。

 物質的に失ったものは多くても、心の中にある大切なものまでは奪われないはず。たとえ強いショックで今は見失ってしまっているとしても、たぶんそれを消すことは誰にも、何にも、できないはず。そして力をくれるのは、嫌だ嫌だと思いながら観るテレビではなく、母が送ってくれた甘い甘いお菓子なのだ。それさえ感じられれば、きっと大丈夫。

 ほら、こうしてる間に、その時間は過ぎている。

 悲しみの底に再び自分を突き落とさなくても、許されるはずだ。





「あれから一ヵ月」とか「三ヵ月」とか、そういう区切りの言葉を耳にするたびに胸が苦しくなった。拒絶感とか拒否反応で心が爆発しそうになるのだ。

 すでに私たちはこんなにも「あの日以降」の世界の中で“がんばれ、がんばれ”を突きつけられているのに(……って、私は別に誰からも「がんばれ」なんて言われてないのに、どうしてこんなこと思うのだろう。……でも誰かに、何かに、言われ続けている気がするのだ……)、それを無視して生きるのはこんなにも大変なことなのに、どうしてまだ、こんなにも突きつけてくるのだろう。繰り返し、繰り返し、何かを強制するかのように。

 それは、お前たちが忘れて生きているからだろう? だからいちいち思い出したくなるのだろう? それを「善」だと思っているから。思いたいから。だからって、それをこっちにまで強制しないでほしい。電波に乗せて垂れ流さないでほしい。そんなのは『悪』だ、『暴力』だ。どんなにテレビを消そうが、それは空気に紛れて伝わってくる。入ってくる。……こっちはね、忘れてなんかいないんだ。忘れられないんだよ。ここはもうあたりまえに「あの日」の延長線上で、その中を必死になって過ごしているんだよ――。



 地震から半年、私はずっと何かに悲しみ続け、怒り続けていたような気がする。

 表面を覆う分厚い悲しみの層の内側、この腹の中には真っ赤な怒りの塊が育っていて、それをなだめるように抱えたまま、気分は暗く沈み込んでいた。

 スムーズにはいかなかったものの無事に車を手放すことに成功し(田舎出身の私には車なしの生活など考えられなかったが、ここ仙台はいちおう東北の大都会。地下鉄やバス、レンタカーまで揃ってる)、これからはじまる「自転車もしくは徒歩生活」をなんとか前向きにやっていこうとしていた矢先、買ったばかりの自転車を盗まれた。

 満月の雨の夜だった。最初はとにかく“信じられない”で、そこから徐々に心に黒っぽいものが広がっていき、それに呑み込まれないようにするので必死だった。自転車泥棒なんて震災前からいつだってどこにだっているだろう。けど、ただでさえ弱っているときに被害に遭うっていうのは、これはもうずっしりと来るわけで……怒りよりも悲しみのほうが上回っていた。『怒り』はエネルギーを使うから、“そんな元気、ないよ”と思った。

 頭の中では常に「今の自分にできることで、何かやっていけることはないだろうか?」なんてことを問い続けていたわけだけど、心は重く沈んだまま、考えれば考えるほど行動力が結びついて来なかった。

 実際は“ただ「生きる」だけ”で、毎日が精一杯だった。







 4月25日、月曜日。どうも心の栄養が足りていない感じがする。自転車を盗まれたことは引きずってないつもりだけど、何かがドーーーンと沈んだまま上がってこない。結局、黒いものに呑みこまれているのか……?

 あれからしばらく待ってみたもののM先生からの返信はもらえず、“カラーセラピーで何かできないか”という想いも「やりたい!」「やらねば!」みたいな気持ちがどんどん萎んでいく。「どうせ誰も集まらないよ。私ごときがやったって、みんなで何かをシェアし合えるような空間なんかきっと作れないんだ……」

 そう。いつだって、自分の邪魔をしようとするのは自分で、自分の可能性を殺してしまうのも自分自身なんだ。それを誰かのせいにして、ごまかして逃げているのだ。頭ではわかっているつもり。でも心は、ぐちぐちぐちぐち……。

 東京では、今回の震災のストレスから解き放たれようと無料のセミナーやらイベントやらが開催されている。でもそんなの、近くの人しか行けなくない? この大変なときに車まで手放したわが家には、東京へ行くようなお金の余裕はない。「何か手伝えることがあれば言ってくださいね」なんて言葉は結局、社交辞令なのか? その“言ってください”という「何か手伝えること」は、現実的には「できること」でないことが多そうだ(『人は自分にできることしかやれないのだから、できることを精一杯やろう』ってやつ?)。変な言い方だけど、東京の人だから、東京の人を癒すのか……?

 確かに、被災地の「内」と「外」との区別は嫌でもついてしまうのだろう。だって体験したものが明らかに違うのだから。ここ仙台市若林区の中にいたって、津波の恐ろしさを体験してない私には、海側の人たちの大変さは本当にはわからないわけだし。結局は(今日はこの単語多いな)助けられる人しか助けられないってことだし、やれることには限りがある。それぞれに限られた時間があり、その中でできることをやっている。それは素晴らしいこと。……わかっているけど、このモヤモヤした感じは消えない。

 では、宇宙的な視点から今の私を見つめたら、どう映るのか――? 例えば、今の私が東京に行って無料のセミナーを受ける必要があるならば「お金ない、お金ない」とぐちぐち言ってる状況じゃなく、すんなりと行けるような状況にあるはずだということなのか? だから「お金がないから行きたくても行けません」っていうのは「行く必要がない」ってことだと思えばいいのか? それとも、本当に行きたいのならキャッシングとかしてまで行くだろうから、そこまで思わないってことは、やっぱり「必要ない」ってことなのだろうと? いえいえ、単に「お金がない」ってことは国のせいでも地震のせいでもなく私のせいなんだから「働け」ってか……。

 ありがたいことに私の住んでいる建物は全壊も半壊もしてないし、夫も仕事を失ったわけじゃない。でも私たちは確かにあの絶望的な数日を過ごし「助かったって生き地獄だ」という気分を味わった。今だって、そこから抜けきれずにいる。

 ポジティブな考えは本当に素晴らしいことだし、人を救うのかもしれない。そういう言葉は本当に美しく、精神レベルの高い人には正しく届くのだろう。目には見えない世界を、正しい方向に回しているのかもしれない。

 だけど、それがいくら美しくて正しくても、あの暗闇の中ではなんの救いにもならないと感じたのだ。「祈りましょう」なんて、なんの救いにもならない言葉だと。祈ったって、目の前は明るくならないし、水は出ない、ガスも出ない。死んだ人は、生き返らない。

 街が復興していったって、それは「希望」とは違う。むしろ時間が進めば進むほど、自分だけ取り残されたままのような違和感や、知らないうちに溜まり続ける悲しみ、それでも“ありがたい”と思い続けなくてはという苦しみ、亡くなった人やその家族を思えばどんな小さな愚痴も許されないようないつの間にか背負わされている十字架、そうやって人を無力にさせる何か……暗くて重くて深いものが、心だけじゃなく身体にまで侵食してくるのを感じる。

 そういう真っ黒いものがあることを知って初めて、光を感じられるのではないか? 光を語れるのではないか?

(あぁー、わけわかんなくなってきた!!)

 とにかく私はいつだって、きれいで美しくて正しい感じを装ったものの逆に立っていたいなということ。

「私たちは一人じゃない」――いや、人間は皆一人だ。

「日本は一つのチームです」――いや、国は私を助けてはくれない。

 ここからしか、救えないものがあると思う。

 薄っぺらく響く「キレイな言葉」の数々に、ひとり勝手に苛立ち、耳を塞ぎ続けてる自分。そんな自分と生きるのは面倒なことばかりだけど、今はこのダメダメでいじけた自分を大切にしたい。





 4月26日、火曜日。今日は歩いて買い物に。空がブルーグレーでなんだか暗い……。

 仙台の桜はもうかなり散っていて、道端にたくさんの花びらが雪みたいに落ちていた。風に舞う花びらも、それはそれで美しい。こんなときでも植物は色とりどりに命を輝かせている。駐車場の片側には、ぎっしりと並んだたんぽぽ(3~4メートル先まで生えていた)。砂利にも負けず、パッと開いたイエローゴールドの笑顔たち。

 もがいてもがいて苦しいのは、今より少しでも浮上したいと思うから。上を見上げようとすれば「まっすぐ目の前のことに集中しろ」、今を乗り切ろうと必死になれば「軽やかに“今”を楽しんでる?」。いろんな人の言葉が、いつだって自分を否定しているように聴こえてしまう。けれどそれはきっとこちら側に、それに負けないくらいの「体験」と、そこから生まれる「自信」がないから。そのために「これだけはがんばれる!」と思えることで人と心から向き合って繋がって、そういう実感をたくさん味わいたいんだ。

 不完全な世の中だけど「人生どうせこんなもんでしょ」って投げ出してしまうのではなく、やっぱり「もっと上の世界を見たいんだ」って想い続けて、もがき苦しむ日々でも耐えて耐えて耐えて、いつか(いや、できるだけ近い未来に!)自分に幸せを味わわせてやりたい。絶対に、このまま死にたくない。







 日々は長くて深くて、でも振り返ると一瞬のことのように思えたり、それなのに遥か遠くのことのように感じられたり――とてもじゃないけれど、これまでの時間感覚では乗り切ることなんてできそうになかったのだと思う。

 ハイになって「何かやろう、やりたい、やらねば!」みたいになり、無気力と不毛感に襲われては「どうせ、な~んにもできませんよ」といじけ腐り、また奮い立ち、立ち止まり、そんなことを繰り返しているうちに季節は静かに春から初夏へと移り変わっていった。

 ずっと喉が痛くて、放射能のことが頭から離れなくて、空気や水が気持ち悪かった。

 とにかくどこか遠くへ行きたくて、だけどそんなお金あるわけなくて、心も体も新鮮な水と空気を求め続けているのに、してあげられることは少なくて……。外側に向かおうとする行動力とは裏腹に、内側の私はどっぷりと疲れ果てていたのだろう。

 それでも「5月」になれば、ぐったりしたこの気分も少しは晴れるのではないかと期待していたのだが(私の一番好きな季節だから)、そんなことはなかった。それなのに“何かしたい”という気持ちは消えなくて、相変わらず思考の中を堂々巡りしているだけで動けずにいる自分がさすがに嫌になり、やっとのことで仙台駅からすぐの1時間900円で借りられるセミナールームに、話を聞きに行ってみたりもした。しかし、便利な場所ではあるのだけれど「会議」「講演」という感じで「癒しの空間」というイメージは湧かない。やっぱりなんだか、ピンとこない……。

 そうしているうちに、私は気づく。

「がんばりたいと思っても、どうにも力が出ないときはきっと“今はまだ準備ができてない”ってことだよ。だってサロンを開業したときのように何かの流れに乗っかっているときは、現実のほうがぐんぐん進んでいくじゃない? 力も勝手に出てくるじゃない?」

「そうだよな~、なんか最後の最後で力が出てこないんだよなぁ……。よぉし、無理するのやめてみるか!」

「そっか……私、無理しようとしてたのか。……確かに、今回の地震のショックはそう簡単に癒えるものじゃないよな……。私はまだショックの真っただ中にいるのかも。人に何かしたいと思っても、できる状態じゃないのかも……」

 そして、ようやく私は“疲れている自分”を自覚した。というか、そういうことにして、あれこれ考えるのも動こうとするのもやめることにした。すると体から力が抜け、心が楽になった気がしたのだ。

 よくよく考えれば“力が出せるような状態じゃない”とわかるのに、なんだか焦るし、じっとしているのがいつも以上に「悪いこと」のように感じられて、ずっとずっと苦しかった(まさに罪悪感!)。だから、今の自分を「甘えてる」と思われようが「そうだ、私は甘えてるんだ!」ということにして、ぐだぐだでゆるゆるの自分を全部許すことにして、最低限の家事だけやって、あとはひたすら“がんばらない”日々を生きることにしてみた。

 しかし、それも容易いことではなかった(お気楽そうに見えるだろうけど)。心は常に何かと戦っていて、その“何か”を忘れられる時間がないのだ。自分は働きになんて行けないくせに、会社に行って普通に仕事をしていられる人たちが、またも羨ましく思えた。だけどそんなのはやっぱり「甘え」なのだろう。でも、いい。今はそうして充電することにする。しばらく放っておけば、そのうちきっとまた勝手に動き出すだろう。そう自分を信じていた。








~【7】へ続く~



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湖臣かなた☺︎☞リラックスしてflow♪flow♪(メンバーシップ♡大募集中♡) “はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆