見出し画像

小説『砂漠を横切るラクダのように』【9】(全13話)


 2012年11月3日、土曜日。毎日、いろんなことを考える。意識することで自分自身が変化し、それを客観的に観察しながらかつ主観的に体感している「ザ・働く日々」。いろいろと書き残しておきたいことがあるのだけれど、パソコンを立ち上げて打ち込む気力がない(仕事でずっとパソコンに向かっているから、家ではもう見たくないのだ)。時間と心の余裕が全然足りていないまま、カレンダーは「11月」になり、すっかり寒々しくなった家の中で季節の移ろいを知る。

 大きなサイクルの中に日々の小さな浮き沈みの波があって、ときおり大波が立ったりするのだけれど、大きな目で見てみればやっぱり1つのサイクルの中のことで……。そんな10月だった(9月30日の満月を区切りに新しい生活がはじまって、この10月30日の満月までがなんと大きな1サイクルだったことか!)。新たに覚えること、慣れること、受け入れること、溶け込むこと。笑顔なし・心なしの人たちが作る「あたりまえ」の世界の恐ろしさ。今回の会社は本当に謎すぎる……。毎回1つ1つ向き合って、なんとかギリギリの気分で乗り越えて、そのたびに「新しい私」に更新されて。やっと得た「稼げる場」なのに案の定すぐに辞めたくなって、だけど社会の中の「会社」というところで働く限り、どこに行っても同じだということはさすがの私ももうわかってる。わかってる上で、覚悟の職探しだったわけだし。だから、たとえここを辞めてまた違う職場を探したとしても、よほど思い入れのある“何か”がその仕事にない限り、どこに行ってもきっと同じで、そしてその“何か”はもう「いつかまた自分の手で創るしかない」ってはっきりしちゃってるから、そこに辿り着くための「今」なのだけど……。

 真面目な私はつい「日々修行だ!」とか「今こそ、これまで学んできたことを実践するとき!(それは“愛”だろ?)」とか大きなことを考えがちだけど、私にとって、こんなふうに“何の思い入れもない仕事”をしながらただ“お金を稼ぐ”ことって、めちゃくちゃ不慣れなことで、ようやく就職できたこの職場にもちろん“ありがたさ”は感じているのだけれど、やっぱりストレスはMAXなわけで……。
「辞めたいっ!」のピークを迎え、腹痛に襲われながら辿り着いた結論が――


 愛とか修行とかそんなのいちいち考えなくていいから、

 とにかく一日『時給900円×8時間=7200円』、

 無事に出勤し、無事に帰宅して、稼ぎ出してくること!

 それだけで充分OKなのだ!!


 ――ということ。そしたら不思議と元気になって「なんとか11月は乗り切れそうだな……」と思えるようになった。さらにこの結論に至ったら、あんなにも“耐えられない!”と思っていたチャラ男と毒ギャルの不快な私語の嵐にも多少は平静さを保てるようになってきたし(もちろん、注意しない社員にも会社にもまったく『?』ではあるが、私はそんな社員にも会社にも興味はないし、そんなことに煩わされて自分の仕事をミスしたくないんだよー!!)、私がこの会社に興味がないように、彼や彼女だって「ここで一生働こう」なんてもちろん思ってもいないのだろうし(とはいえ「最低限のマナーってあるはずだろう?」としつこく思う)、いろんな人がなぜかはわからないけれどどんな態度でも許容されてそこにいて、真面目に仕事してようとうまく手抜きしてようとミスしまくってようと同じ『時給900円』が保証されていて、そして私もそこに含まれていて……。

 他人の人生は、他人の人生。全部、本人に還っていくものなのだ。

 だからできるだけ気を煩うことなく、私は私に与えられた仕事に精一杯集中して取り組めばいい。

 それでも――もっと個人個人が意識を高く持ったなら(いや、「高い」とか「低い」とかじゃなく、自分の人生に、そしてその中で『会社』に捧げている日々の時間にも、もっと本気に、貪欲になれば)、より快適に、より楽しく、可能な限りストレスを減らして、バイトであれ社員であれチームとして協力して働けるだろうに。本当に、もったいない。そう思う。思っちゃうから、「なんとか素敵に変えていけないものかね……」な~んてついつい考えてしまうし、「それなら自ら率先して動けよ!」なわけだけど、私は単なるバイトだし(本当はそういうのも関係ないって思うけど)今のところ自分にはそんな余裕もないし、この会社にもチームにもそこまでの愛は芽生えてないし(う~ん、それでもやっぱり「好きになりたい」から、私はこういうことを考えてしまうのだろうか……)、なによりも“必要なら”そういう流れになるのだろうし?

 だから今は「今」に集中して「愛とか修行とかそんなのいちいち考えなくていいから、とにかく一日『時給900円×8時間=7200円』、無事に出勤し、無事に帰宅して、稼ぎ出してくること! それだけで充分OKなのだ!!」を自分に繰り返したい。







 仕事内容は送られてくるデータを処理するだけの簡単なものなのに、最初の一ヵ月で私の精神はガリガリと磨り減った。

 短期のアルバイトを選んだのは正解だったが、今回の仕事は「三ヵ月で解散」というものではなく、問題がない限りは「三ヵ月ごとに契約更新される」というもので、ほとんどの人が辞めることなく働き続けているようだった。

 しかし、すでにその“三ヵ月”すら牢獄のように長く感じていた私には、せっかく手にした魔法の言葉「とにかく毎日『7200円』を無事に稼ぎ出してくること!」も数日しか作用せず、一週間後にはきっぱりと「12月で辞める決意」を固めていたのだった。

 私は学んだ。“やけくそ・その場しのぎ”の選択の先には、やはりそれなりの結末が待っている。だけど……痛い思いをすれば、自分が大切にしたいものも見えてくる。

 質問に「テキトーでいいんですよ(ニッコリ)」と答える人たちがする仕事、それらを黙認している(もしくは気づく余裕すらない)上司、こういう会社が世の中に素敵な何かを提供できるはずがない。そしてやっぱり私は“それがあたりまえ・それでOK”の価値観には慣れたくない。

 なんなのだろう。こういう「無」のような――自分の人生の「時間」を削って「お金」に変えるだけの――手ごたえもやりがいも感じられない、なんのクリエイトの欠片もない、ただ“消えていくだけの日々”というのは――。今日がいつで、何曜日なのか、どんどん感覚が麻痺していって、休日だけが恋しくて、だけどその休日さえも文字どおり「休む」だけであっという間に終わってしまい――。先の「楽しみ」だけが(それがあるならまだいいが)唯一の輝く時間なのか? それ以外は全部「無」でいいのか? 無理して耐えて「いつかこの分が返ってくる」なんてことは、たぶんない。「プラス・マイナス『0』」というのは、人生の最後に清算されるものなどではなく、日々、毎瞬毎瞬、そこにあるものだろう?

 心の余裕が持てないようなら、立ち止まってもいいはずだ。「現状維持」によるメリット、デメリット。「変化、リスタート」によるメリット、デメリット。同じような大変さなら、少しでも可能性が広がるほうを私は選ぼう。他人の行動や周囲の環境が変わるのを期待して待つより、自分を信じて動いたほうが早い。そして、そこにある「自由」こそが、私の愛する生き方なのだ。



 そうして契約更新しないことを告げてから、無事「12月」を迎えるまでの長さといったら! 残された日々は(まだ一ヵ月もあるのだ……)仕事納めとなる「28日」だけを心待ちに、風邪をひきながらも耐え忍ぶこととなった。

 ゴールが近づき“終わり”が見えてくると、いろんなことが美しく感じられてきて「まだやれたんじゃないか?」と悔やみそうになることが過去にはけっこうあったけど(でもそれは“終わり”が見せるマジックなのだ)、今回ばかりは連日「あぁ本当に、辞めることにして良かったぁ~」と自分の決断に頷くばかりだった。

 “なんかおかしいぞ……”

 “やっぱり変でしょ……”

 そう感じる心のセンサーが少しずつ麻痺していって、おかしなことも気にならなくなったり、どうでもよくなったまま働いているあのロボットみたいな人たちのようにはなりたくない(動いてはいるけれど、死んでいる)。

「『社会で働く=金を稼ぐ』ということは、そういうことなのだ」と思っている人たちが築き上げた社会、会社、組織。私が見たいのは、生きていきたいのは、そういう世界ではない。もっと深く呼吸できる世界で、私は私を見つけたい。

 だから――今の会社を去ったところで、またどこか別の場所で同じことを味わい、何度ここへ連れ戻されることになろうとも――やっぱり私は自分の理想とする世界を追い求めていきたいから(まぁ、辞めたら辞めたでまた大変な日々が待っていることはわかっているのだけれど……)。

「私は、ここから離れ、行きます!」





 2012年12月7日、金曜日。光のページェントの点灯式をチラ見しようと街へ出かけたら、久々の震度5!! 目が覚めるような、記憶が呼び覚まされるような、長い長い揺れだった。怖さで体がふわふわしていた。家に帰ってきてからも、心がシーーーンと静まり返っている。

「思い出せ!」と、あのときのように魂がふるえた。

 忘れてないけど、いつの間にかこんなところにいる……。

「人生、本気になって生きよう」――もう一度、心の中で呟いた。





 2012年12月18日、火曜日。自分を殺して「こんなにがんばっているんだから神様はきっと見ていてくれるはず」と、いつか報われることを夢みて耐えても、失われた時間は絶対に戻っては来ないし「がんばれば→報われる」の法則なんて実はないのだ。そんなことはわかってる。

 そして今この目の前の自分の時間を、人生を、「いつか」という未来の名を借りて騙し騙しに損なっているのは他でもない自分自身なのだ。それは「未来の自分に投資する」というようなことと、似ているようで異なるものだ。ただ「チャレンジ」から逃げているだけのダッサイ諦めモード全開の生き方。そういうもの・人・集団から離れるためなら、私はいくらそれが「逃げ」だと思われようが、そこから全速力で逃げてやる! 決して同じムードに呑み込まれはしない!!

 ……と、こんな“すでに知っていること”を再学習するためにした選択ではなかったはずなのに。もっと「働くこと」をポジティブに満喫するはずだったのに。まったくダッサイ結果だ(でも自分で選んだことだから悔いはない)。しかし、これを糧に進むのだ。

 なにかが起ころうが、起こるまいが、後悔のない人生を送るために、毎瞬毎瞬の選択に真剣であれ、自分。そして、自分を諦めず、チャレンジを恐れずに!

 目の前の社会が、このダッサイ日本が、世界のすべてではないと信じよう。

 心に翼を。心はいつだって自由でいられるはず。








 アルバイトの最終日、会社に向かうバスの中で『ほぼ日』の糸井さんと吉本隆明さんのおしゃべりをまとめたもの(『吉本隆明「ほんとうの考え」』)を読んでいたら『003 お金』のところで涙が出てきてしまい(一人だったらもう“うわぁーーーん”と手放しで号泣していたことだろう)、その一瞬、ぐっとこらえて窓の外なんかを見たりして、心を落ち着かせた。何度読み返しても胸が熱くなる。

 そして、これを読んではっきりしたのだ。

「あぁ。私もお金のこと、ほんとうに欲しいとは思ってないんだな」ということが。

 私は自分のことを、おそらくはずっと「自分では稼げないくせに、ものすごぉ~く金に執着していて、金が欲しく欲しくてたまらないから、それなのに稼げないから、こんなに苦しいんだ」と思っていた。だけど「お金はもちろん必要だし欲しいけど、ほんとうに、一番に、底の底まで欲しいわけじゃないんだ……」と思ったら、なんだか急速に心が静かになって楽になったのだ。

 私はずっとずっと考えてきた。やりたいことを追い求めれば「お金」のテーマがつきまとい、何かに属して働けば「カラカラになっていく心」と向き合うことになる。たとえ小さく誰かをサポートできたとしても、自分が生きていくための金を稼ぐことができない限り、それを「仕事」にするのは難しく、何度チャレンジしてもここに引き戻される。こっちを残しつつ、とりあえずアルバイトを……なんて器用なことができるなら、とっくにどうにかなっている。だけど、いくらバイトでも手も気も抜きたくないから、いつだって全力投球しかできないから……「両立できる気がしない」というのは言い訳か? 自分で自分の限界を決めていることになるのか? どうしたら「これ!」と思える道で、お金も稼いで、生きていけるのだろう。……別に、すごい大金を稼ぎたいわけじゃない。ただ、自分一人が自立して生きていけるだけの、贅沢は言わない……それだけを、好きなことをして、人にも還元できて、小さくても自分の世界を確立し、それを仕事に生きていきたいだけなのに……。

 だけど、ようやく腑に落ちた。

 みんなにムダだと思われても、「それが何の役に立つの? どんな意味があるの?」と笑われようと、自分にできることは“こういうこと”なんだ。“こういうこと”しか、本当にはやれないんだ。したくないんだ。

 つまり――自由を生き、どんなにお金に困っても、本当に欲しいものは『お金』じゃない。お金では買えない。それでもやっぱり人間だから死なない程度に、食べるのに困らない程度に、お金は欲しいわけだけど――と、そういうことだ。



 先輩たちの言葉に、励まされる。勇気をもらう。心が軽くなる。

 だけど私の目に映る現実は、相変わらず厳しい。どうすればいいのかは、わからないままだ。

 それでも、負けたくないんだ。だって、ここにある「自由」ってすごいから。

 自分の人生を全うできるのは自分だけ。それは「ワガママ」なんかじゃないはず。








~【10】へ続く~



いいなと思ったら応援しよう!

湖臣かなた☺︎☞リラックスしてflow♪flow♪(メンバーシップ♡大募集中♡) “はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆