小説『砂漠を横切るラクダのように』【10】(全13話)
そうして「ただいま」を言ったら、2012年が終わっていった。
清々しい気分で新年を迎え、しかし仕事モード全開で凝り固まっていた心と体を完全にほぐすには想像以上に時間がかかり、「とにかく冬の間はたっぷりと眠りたいだけ眠って、英気を養うことにしよう」と省エネモードで過ごすこと二ヵ月少々――。
春分の日が「星の世界の元旦だ!」と、短期のアルバイト探しにもようやくエンジンがかかり、久々の履歴書(「これからはもう履歴書の必要のない人生にするぞ!」なんて宣言してから何度書いたことだろう。またここに戻ってきた……)を手に動き出す。
ガチガチの、深く呼吸もできないような日々もごめんだけど、緩みきった何のハリもない毎日もつまらない。夢や希望は心を照らしてくれるけど、空腹を満たすことはできない。
どこかに私だけの「交わる点」が、「絶妙なバランス」が、あるはずなのだが……。
それを信じる限り、そして一番に欲しいものが金ではないとはっきりわかった今だからこそ、たとえ同じ場所を辿ることになるとしても、違う何かが見えてくるのではないか?
そんなことを考えながら迎える3月最終日。「いつの間にやら、すっかり春ですな~」なんて鼻かんでばかりいたら、いきなり雪だもの。まったく油断できない(天気だけじゃなく、なにもかも……)。
この手に持てない分は、どうしようもないのだ。
潔く、置いていこう。捨てていこう。
本当に欲しいものはここからは見当たらないし、どっちに手を伸ばせば近づくのかさえわからなくなる。だから、せめて変なもので埋めたりしないで『夢』を膨らませてそこに詰め込んでみる。そうやって騙し騙しでも何かが蓄えられていくと信じて。……信じて? いや、結局は詰め込むしかないだけか。膨らませて、自分に見せてあげるしかないだけ。そうやって死にたくなるような時間を削って削って騙せるだけ騙して引き伸ばせるだけ引き伸ばして、どうしようもないときを生き延びるしかない。“生き延びられたら充分”ってくらいでいい。だって本当の勝負はきっともっと先にあるはずだから。こんなところで死んでいては、叶えられない。
だから「いつでも夢を」。これはきれいごとでもなんでもない、リアルな言葉。
ここを生き延びて、未知なる世界へ。
先を見たければ、進むしかない。……繰り返しだ。
*
結局、2013年は4~5月と8~9月の2回、同じ会社で繁忙期の増員アルバイトとして二ヵ月限定で働くことができた(3月末になっても連絡が来ず諦めていたら4月4日に電話が来て、急遽8日から働くことになったのだ)。これは「自由人」である私だからこそ掴めた“棚からぼた餅”だったのではないだろうか。このピンチヒッター的な働き方は私にとても合っていたし、今回の職場は一緒に働く人たち(あくまでも普通の人たち)が天使に思えるほど平和だったのだ。
「あるところには、あるんだね~」と、毎日私はしみじみと感じていた。“あたりまえ”のことが“あたりまえ”に存在しているということは、本当ぉーーーに安心するものなのだ(「社会人として」という前に「人として」。例えば「気分を態度にあらわさない」とか、そんなことも身に付いていない「大人」は驚くほど多い。自分のイライラを関係のない他人にまでぶつけてくる上司や同僚って、どこに行っても必ず存在する)。
今回の職場はリーダーが賢い“ステキ女子”だったこともあってか「気持ち良く、かつ効率よく、仕事しましょう」というのが浸透していて、時間になったらスパっと解散! 無駄な残業が発生しないよう彼女が各チームの進行状況をチェックして、こまめに的確な指示を与えるという実にスマートでクレバーな「働きやすい環境」だった。
フロア内を眺めても、廊下やトイレですれ違う他部署の人々を見てみても、毎晩遅くまで残業をし「わたし連日寝不足で超働いてますぅ~」という負のオーラ丸出しの……でも実は単なる“仕事遅い&要領悪い=給料ドロボー”の社員(これまでの会社ではたくさん目撃してきた)はいないようだった。
だから私は「神様、快適な短期アルバイトを、ありがとう!」と思いながら、これまでは「個」に煩わされて狭くなりがちだった視野をちょっと広げて、その先の「集合体」を観察することができたのだろう。これは、ひと味違う経験になった。
そしてやはり「会社」という箱の中はどこまでも謎だった。「上司」はいくら責任のある立場であっても「社長」ではないし、そういう意味ではどの社員にとっても「自分の会社」ではないから、本当に「会社」のことを考えている人間なんて現場には一人もいないし、必要なときに人手が足りなくて早出&残業で死ぬほど忙しいとか(でも、その日の時給がアップしたりボーナスが出たりすることはもちろんなく)逆に死ぬほどヒマなときに腐るほど人がいて「じゃあ私、今日はもう帰りますよ?(会社としても給料もったいないですよね?)」と言っても(言うのか!?)そんなの通用するわけないとか(結局そのお金はクライアントから出ているものだから会社にとっては痛くも痒くもなく、だからこそ仕事がなくても「帰られたら困る」のだそう)、なんていうか“どこにも真の『サービス』なんて無いんだな……”と私にとってはものすごいショックな事実なのだけど、そこで働く人たちにとっては“何の疑問も感じないこと”で、それがまた私を驚かす。
そんなふうに働いていたら仕事を楽しめるはずがない(そもそも「仕事を楽しみたい」という発想が……ない?)。忙しいときには言われるがままに早出や残業をし、ちょっとヒマになると平気でサボって過ごすことができて(私は仕事は楽しみたいし、やっぱり心ある『サービス』を提供したい。貪欲にプライベートも充実させたいから、できるだけ早出や残業はしたくないし、そのために頭を使って業務をこなすよ? ヒマな時間は先々のやれることに費やして「眠い……」「寝そう……」なんて過ごし方はせず、頭と手を動かすよ? クライアントに必要以上の請求したり、しないでしょー)、みんな「自分の会社じゃない」と思っているから、本気を出さず、互いに回し回され、悪い意味での「お互い様」だ。『サービス』とは、お金を稼ぐための便利な手段の1つで? 死ぬほど働いていてもサボっていても同じ給料を保障されている人たちが、仕事の楽しさなんて感じることなくただ“こなす”ことにより提供されていて? そのお金はどっかの誰かから、うまいこと吸い取られていて? 私たちは“そういう会社が提供するサービスで成り立っている社会”で暮らしているのか?? それで人は幸せになれるのか?? 心地よく、生きていけるのか?? ……私には理解できないことばかりだ。
それでも、人は生きていく。楽しくなくても、幸せじゃなくても、楽しもうと思わなくても、幸せを求めなくても。
病みながら働く人たちが回している社会――。
そんなことを考える。
そして思う。
自分の「どう生きたいか」、つまりは「どう生きて、死にたいか」に本気になるか、ならないか――。結局は、それだけの違いなのだろう。
*
2013年7月25日、木曜日。4~5月に働いた短期アルバイト。来月から再び繁忙期ということで、また声をかけてもらった。実は勤務中から「次の繁忙期にも頼めるか」というような話はされていたので、“短期のバイトって自分に合ってるわ~”と思っていた私は「ぜひ呼んで下さい」と二つ返事で応え、“それまで二ヵ月くらいはまた今後のことを考えながらゆっくりできる~。でもまぁあくまでも「口約束」に過ぎないのだから、必ず連絡来るとは思わないほうがいいぞ”と自分に忠告しながらも、“それでもしばらくは次のバイト探す手間が省けそうだ。ラッキー”と結局こうして堂々とのんびり過ごすことができたわけで……誠にありがたい。
だけど。「あー、バイト。ありがたいけど、本当は他のことで稼ぎたいのにな」で、本音は「行きたくない」けど、お金は欲しい。必要。……そう、最近のこのモヤモヤの原因は自分でも自覚している。また働く日々がはじまることへの“ありがたさ”と“憂鬱さ”の板ばさみ。“頭の声”と“心の声”の不協和音。
――こんな毎日がどんどんどんどん過ぎていっても、ここ(心?)には何も残らないじゃないか!
ヒマの合間に考えることなんてロクでもないことばかりだ。
「もっと、命の炎、燃やして生きたいのにっ!!」
わかってる。でも、とりあえず今は“次のバイト代で引っ越しするぞ!”を胸にがんばるとするか(目標のないがんばりは出来ない、もうしない、したくない)。
2013年9月16日、月曜日。18時の東の空、なんだか薔薇色。台風はもう通過したのだろうか?
待ちに待った3連休は、ひたすら体を休めて過ごした。心も。今回の仕事は8~9月の短期だから、これで地獄の5連勤からは解放されたことになる。あとは4連勤、また3連休、4連勤して最後30日の月曜日でおしまいだ。
すでに次の繁忙期にも来てほしがられている。そりゃそうだろう。どう客観的に見ても、私のように速く・正確に(しかもそうあろうと意識をキープして)仕事をしている人間はあそこにはいない。覚えも速いし人当たりも良いし、同じ時給でバイトを雇うなら誰だって「賢く仕事のできる感じの良い人」のほうがいいだろう。便利だろう。
でも、私がここで日々学び感じていることは「賢い人は損をする」だ。だけど、だからといって自分の能力をセーブしようと努めながら働くことは、がんばることよりストレスがかかると知った(ゆっくり・ゆったり、自分の力をフル回転させないように、クリエイティブとは真逆の“力を殺すほう”に意識を向けて作業することの虚しさよ。それでも仕事が速くて困るくらいだ)。だったら「損しまくりだけど、サービスしてやるさ」で、そっちを選び実行している。結局、いくら感謝され重宝されても、時給は変わらない。成り立たない「give&take」の世界。それじゃあ一体、誰がぼったくっているのだ? この仕組み。……なーんて考えるのさえ、アホくさい。興味ない。
あぁー。もう来なくて済むようにするには、今、何ができるだろう。そればかり考えている。だけど全然見えてこない。
引き受ければ、またお金が入る。お金はリアルに必要だし、リアルに足りてない。
こうして真のサービスとはかけ離れた、謎の仕組みで成り立っている仕事に繰り返し参加することで味わうことになる沢山のくだらんストレスと、「金を稼ぐ」という意味での簡単さ。こんなにも“やりがいゼロ”なのに、確実に金は入る。金が欲しければ、続けるのが一番楽チン。でも、一番に欲しいものは金じゃない。このサイクルに慣れたら(ま、慣れることはないだろうけど)私の人生、終わりだな……と思う。
抜け出す方法を、いや、抜け出すのなんて簡単で、抜け出したあと生きて暮らしていくための方法を、ずっとずっと考えている。
嫌なことを体験すると、いつも以上に「本気にならなくちゃ!」と喝が入る。
基本的にはいつだって本気だけど、なんだろう……「もっと頭を使わなきゃ!」か? 本気だけじゃ道はひらけなくて、頭も直感も体も使って、流れを読んで……。そう、流れがねー、「今は耐えるしかない」なんだけど、さすがに“飽きた”という話。
こうしている間に寝苦しかった夏も終わっていて、「日が長くなったねー」だったのが「もうこんなに暗くなるの早くなったの?」に変わって、好きなテレビドラマも最終回を迎えちゃうし、「私も生きなきゃなー。いや、生きてるよ。秋だよ秋だよ、台風ガンガン来てるよ!」で、ここで「私だけがぽっかり取り残されたままだ」とかつい口走りそうになるのだけれど、そんなことはない。そうだ! ストレス感じながら、「まじで!? 本当に人って、こんなにも何も考えずテキトーに仕事できるの?!」とか驚きながら、「こんな毎日じゃ、死にたくなるんだよぉーーー!!」とか叫びながら、見たくなくても見えちゃうし聞きたくなくても聞こえちゃいながら、心を殺さずに全部味わって生きてる、生きてる、生きている!!
* *
スッキリと晴れ渡った秋空を思いきり吸い込むように気分よく洗濯物を干し(……そうそう、こういうこと。空の色だったり、光の感じだったりがいちいち目に飛び込んできて、苦手な金木犀の香りさえ朗らかな気持ちで嗅ぎ分けられて、時間がまるで無限にあるような、でも気づくとどんどん暮れていくような……。何をしてもよくて、何もしなくても許されていて、ただ「ここに在る」という感じで……)、自由と解放感に満ちた心で未来の自分に想いを馳せる。
そろそろ仙台を離れようかと真剣に考えはじめているし、短期バイトをする中で“ひとまず寝かせておくか”と放置していたホームページも“いよいよ閉鎖かな”なんて自然に思えるようになってきた。もう仙台での“あれこれ”を手放す方向で気持ちが動き出していて、次なるターニングポイントを前に“今また「選択のとき」なんだ”という思いが日増しに強くなっている。
そんなとき――ここでの最後の仕事になるかもしれないセミナー依頼が、まるで何かのご褒美のように舞い込んでくるのだから、やはり「人生は面白い」と言いたくもなる(師走の慌ただしい時季にも関わらず、それは双子座の満月の夜に無事開催となった。そこには緊張も“先生らしくあらねば”もなく、私は不思議なほどナチュラルな状態で、これまでの感謝の気持ちを込めた軽やかなセミナーをすることができたのだった)。
完成を味わい、手放して明け渡す――ライフサイクルの大きな一区切り。
今年は結婚10周年で、来年は36の年女。ここから先の人生はきっと「20代から30代へ」という流れのときとは全然違うものになるだろう。
30代も半ばを過ぎ、自分たちの目指すライフスタイルもようやくリアルに想い描けるようになってきて、本当に「もう遠回りしたくないよ! 残り時間、どんどん少なくなってくよ!」である。
これ以上、どうでもいい仕事に自分の人生の時間を削られるつもりはない。どうでもいいストレスに、神経を磨り減らしている場合ではない。そんなやり方で、お金を稼ぎたくなんかない。がんばりたくないことを嫌々がんばるのではなく、がんばりたいことを自らの喜びとともにがんばりたいのだ。
勝負する勇気を。
そして、選ばなかったほうの人生を捨てる覚悟を。
~【11】へ続く~
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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆