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面向不背御年玉①~面向不背の玉をめぐるはちゃめちゃ江戸の黄表紙

 面向めんこう不背ふはいの玉とは、中国から藤原ふじわらの鎌足かまたりおくられた宝物で、玉の中にお釈迦しゃか様の像があり、正面しょうめんから見ても背面はいめんから見ても、像が正面に見えるもの。これを龍宮りゅうぐうの王うばい取る。それを鎌足かまたりの息子の淡海公たんかいこう藤原ふじわらの不比等ふひと)が取り返そうと、まずは海女あまちぎり、その海女が龍宮へ行き、乳の下を切って、そこに玉をかくして海上にもどり死ぬという物語。この話を、当時の江戸の人々は芝居や浄瑠璃じょうるりでみんな知っていた。
 みなが知っている物語を、どうアレンジするかというのが江戸の戯作げさくのおもしろさでもある。
 
 黄表紙きびょうし面向めんこう不背ふはいの御年玉おとしだま」は森羅しんら万象まんぞう作、北尾きたお重政しげまさ門人、式上亭しきじょうてい柳郊りゅうこう画で、天明七年1787年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう版。
 タイトルは「御年玉おとしだま」で、サブタイトルが「面向めんこう不背ふはい」だが、「御年玉おとしだま」だけではわかりにくいので、「面向めんこう不背ふはいの御年玉おとしだま」と、タイトル全部でしるしていく。

 上中下三巻三冊の現代語訳を三回に分けて紹介する。

 


上巻
自序じじょ

 そもそもこの面向めんこう不背ふはい御年玉おとしだまハ、むかし土手どて唐土もろこしヨリ此奴こいつみょう日本堤にっぽんつづみ。日本堤ニャとうもろこしモ植エテアリ、ソノ下ニハ蔦屋つたやノ店モアリ、ソコヘ原稿げんこう持ッテ行ク。
 人皇じんのう五十代ノ五十間道ごじっけんみち出店でみせ本店ほんだな蔦唐丸つたのからまるあたエタル無駄書むだがきナリ。
 すなわち皆様みなさま御存知ごぞんじ万象亭まんぞうてい戯作げさくニシテ伝記画工がこうハ北尾替玉かえだま、文字ノ筆者ハ竹賀ちくが和尚おしょう版木屋はんぎやハ汗水タラシテ一刀いっとう三礼さんれい新作デゴザル。寝転ねころンデはいアラレマショウ。霊宝れいほうハ右ィ右ィトケサッシャイ。

  近頃ちかごろ高価こうかナ物ヲくらひつじとし  万象まんぞう

 


 飛鳥あすか岡本の宮にましませる皇極こうぎょく天皇の御代みよに、唐土もろこしみかどより面向めんこう不背ふはいの玉をおくられるという話、竜宮城りゅうぐうじょうにももれ聞こえれば、この宝物をうばい取り、この国の宝としようと、水から出ても自由に動ける河童かっぱ河太郎かわたろうに命じられる。
 
龍王「援軍えんぐんとして一匹当千とうせん千尋ちひろの長さのわにをつけよう。首尾しゅびよく目的をはたせ。合点がてんか合点か」
河太郎「これしきのことは尾籠びろうながら、せっしゃのへのへのかっぱの屁玉へだまのごとくでござります。お気づかいは無用むようでござります」
 
 皇極こうぎょく天皇は、女帝であり、642年~645年に在位し、後に斉明さいめい天皇として655年~661年にも在位している。

 


 河童かっぱ鰐鮫わにざめ、命令をうけ、
「ぬかるなよ。合点がてんか」
「シー、声が高い」
と、両人りょうにん波間なみまに身をひそめ、今やおそしと待つところへ、唐土もろこしよりのみつぎの船、淡海公たんかいこう家臣かしん金輪かなわ五郎ごろう今国いまくにが乗り、讃州さんしゅう志度しどおきへかかるとき、待ち受けたる河太郎かわたろう油断ゆだんを見すまし、船へ飛び乗り、例の玉をうばい取り、海の底へと飛び込めば、金輪かなわ五郎ごろうが続いて飛び込むところを、千尋ちひろ鰐鮫わにざめが浮かび出て、ただ一口ひとくちに飲み込めば、唐人とうじんたちはあっけにとられ、ただ「ハアハア」とばかり言うこそ不憫ふびんなる。
 
唐人「ええい、桃栗ももくり三年さんねん残念ざんねんだ」
 
河太郎「玉は頭の皿へ押し込んだ。このことを、わがきみ注進ちゅうしん注進ちゅうしん
 
竜宮のサザエ「ははあ、玉をかくすから『あ、玉』、『頭』となったのか。なるほどなるほど」
 クラゲも昔は骨があり、元気に家来けらいをやっていた。
わにの話は浄瑠璃じょうるりにしてかたらせたいなあ」

 


 なんなく玉をうばい、龍王りゅうおうへささげれば、はなはだおよろこびになり、さっそく玉の安置あんち場所に、三十じょう(約90m)のとうをつくらせける。
 大臣たちも河太郎かわたろう計略けいりゃく鰐鮫わにざめの食いっぷちのよさに感心しけるが、気の毒なのは鰐鮫わにざめなり。金輪かなわ五郎ごろう今国いまくにを飲み込んだときから、とかく腹が痛くなり、気分が悪くなっていたが、今はしきりに腹の中がひっくりかえるように痛むので、龍王のおおせで、医者の蛸庵たこあんが様子を見て薬を与える。
 
河太郎「いざ、ごらんになってくだされ」
 
鰐鮫「これまでに多くの人を飲み込みましたが、このように腹が痛くなったことはござりませぬ」

 


 腹の中が痛いのも道理どうり、飲み込まれた金輪かなわ五郎ごろう河童かっぱが玉をうばったと聞いて、切って出ようとあばれ出すと、前から飲み込まれて腹の中で暮らしている連中がやってきて、
「もし、地主の大家さんの鰐鮫わにざめになにかあれば、店子たなこならぬ腹子はらこみんなの難儀なんぎなれば、ぜひごかんべんくださいまし」
と、五人組が手足に取り付き、上を下へとおさえだす。
 おりから、いずくともなく浄瑠璃じょうるりの伴奏がドンドンドンとひびき出し、
♪さるほどに鰐鮫わにざめ蛸庵たこあん妙薬みょうやくにて、たちまち腹中鳴動めいどうし、あばれ暴れたる金輪かなわ五郎ごろう今国いまくにを吹き出したるは志度しどうら、左右のヒレをかきなでかきなで
わに
♪いんにゃ。志度しどではなくて反吐へど
♪ゲーゲー
♪いやあ、きたないなあ
♪ウウウウウ、生まれる生まれる
♪すさまじかりける次第しだいなり
テンテン
たこの薬がまわってきたぞ
 
男「おやおや大家、強い人だ」
今国「金輪かなわ五郎ごろうの死に物ぐるい。はなせ離せ」

 


金輪かなわ五郎ごろう「われは聞く『鰐鮫わにざめ潮吹しおふきのあななし』と古老のもうすこと。それなのに潮吹しおふきのあなより故郷へなんなく再び返り咲き、所は讃州さんしゅう志度しどうら。足かためたる金輪かなわ五郎ごろう健脚けんきゃくよ。すぐさまみやこへ立ち帰り、淡海公たんかいこうに報告せん。なにはともあれ、世にもめずらしい体験じゃ」
とヘドに交じってき出されながら、ごたくをならべる。
志度しどうらではない、ヘドのうらだ」
鰐鮫わにざめもへたくそな地口じぐち(シャレ)を言う。

 


 讃州さんしゅう志度しどうらは、讃岐さぬき、香川県東部にあり、面向めんこう不背ふはいの玉の伝説で知られている。
 物語は、きたないダジャレで終わって次回につづく、

 


黄表紙の始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775年)の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」(1785年)の現代語訳は、こちら、

これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
 

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