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面向不背御年玉②~玉を求めてカッパが日本に来る江戸マンガ

 もういくつ寝るとお正月。お正月にはお年玉。黄表紙も毎年正月に発行された。お年玉として購入することもあっただろう。前から見ても後ろから見ても像の見える面向めんこう不背ふはいの玉の玉と玉とのダジャレでタイトルができている物語。

 面向めんこう不背ふはいの玉をめぐって、この後、当時話題の妖怪ようかい河童かっぱが再び出てきて物語が展開てんかいする。
 
 黄表紙きびょうし面向めんこう不背ふはいの御年玉おとしだま」は森羅しんら万象まんぞう作、式上亭しきじょうてい柳郊りゅうこう画で、天明七年1787年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう版。
 上中下三巻三冊の現代語訳を三回に分けて紹介する二回目。

 


中巻

 名玉めいぎょく竜宮りゅうぐううばい取られたこと、金輪かなわ五郎ごろう今国いまくにの報告によって、藤原ふじわらの淡海公たんかいこう讃岐さぬきへ行き、志度しどうら海女あまを手なずけ、玉を取り返す計画をたてる。
 
淡海「玉を手に入れたなら、そのほうの願いも承知しょうち承知しょうち。あわわわ海女あま海女あま、ばあっ。どうだ」
海女「玉が手に入ったら、そのかわりに、あのねえあのねえ、二人一緒いっしょにベッドへ、おお、ずかしい」
今国「この海女は、いやらしい約束をしているわ」

 


 あるとき、河太郎かわたろうがやってきてもうしけるは、
玉塔ぎょくとうの高さが三十じょうでは低いので、近頃竜宮をさわがせる稲葉いなば小僧こぞうならぬイナダ小僧などともうす盗賊とうぞくが盗み出すかもわかりません」
ともうしければ、龍王りゅうおうもナルホドと思い、河童かっぱ奉行ぶぎょうとして三百丈の玉塔を作らせ、短い日でできたので、明日は龍王が見にいらっしゃるというので、手伝いのうおたち、通路の準備をする。亀の子どうづきの方法で地盤を固めるところなれど、亀が病気なので、医者の蛸庵たこあんの考えで、蛸庵たこあんがあおむけになって、自分の頭でつかせる。これ、たこどうづきのはじまりなり。
 うお蛸庵たこあんのアイデアをほめながらつく。
「ええ、よいタコな~よいタコな」
蛸庵たこあんは、頭でつきながら音頭おんどをとる。
 
♪どなたに如才じょさいはなけれども、ずいぶん静かにたんのみだ。ぜんたい頭のことなれば、豪気ごうきについちゃあ迷惑めいわくさ。エイヨウうんたこな~
 
 河童かっぱは下を向くと頭の水がこぼれるので、上目づかいで検分けんぶんする。
 
河太郎「よくできたみたいだが、高すぎてよく見えない」
竜宮りゅうぐう棟梁とうりょうノコギリザメ「ずっと空をごらんなさりまし。三百じょうは高いもので、上はかすんで見えませぬ」

 


 淡海公たんかいこうりのごとく海女あまこしなわをつけ、おろしてから引きあげ引きあげしたまえども、なにせなわが短く海底までとどかないので、深井戸ふかいどり用のなわを準備し、「今日こそは成功させよう」といきおいこんで出かけけるが、思いもよらず、竜宮りゅうぐうでは玉塔ぎょくとうが完成したものの、ちょいとオーバーに作りすぎ、あまりに高くこしらえすぎて、海面まで出てしまったので、言い伝えのように、海女あまが乳の下を切ることもなく、ちょいとつまんで玉をとる。
 
海女「これでは乳の下を切るまでもありやせぬ。ねえ、旦那だんな
淡海「落とすまいぞ落とすまいぞ。タモですくうがよかろう。玉取りではなくタモすくいだ」

 


 龍王りゅうおうは、見に来たものの、玉は日本に取りもどされていたので、おおいに逆鱗げきりんなされ、
河童かっぱのすすめで玉塔ぎょくとうを高くしすぎたことにより、こんなことになったので、責任せきにんを取って玉を取り戻してこい」
ともうされ、河童は、姿も日本人になり、小伝馬町こでんまちょうに宿をとり、心をくだくぞやるせなし。
河太郎「わしはキュウリのものめしより好物こうぶつだ」
亭主ていしゅ七兵衛しちべえ疫病えきびょうけの牛頭ごず天王てんのうの信者はキュウリを食べないが、おめえさんは氏子うじこでなくておしあわせだ」

 


 今日も玉をさがしてほうぼう歩き、歌舞伎かぶきの劇場近くにさしかかれば、
「さあさあ、今が親玉おやだまの玉とりじゃ。晩まで見て十六もん十六もん
と呼びかけられ、
「親玉の玉とりとは耳よりな話」
と劇場に入ってみる。親玉おやだまとは、五世市川団十郎のこと。玉とりとは、この物語のもととなった淡海公たんかいこう藤原ふじわらの不比等ふひと)の芝居のこと。
 舞台ぶたいでは、親玉おやだま市川団十郎は宇治うじ常悦じょうえつ役で頭巾ずきんで身をかくし、浜村屋はまむらや三世瀬川せがわ菊之丞きくのじょう女房にょうぼう役。なんとかいうきっかけで、ヒュードロドロと水がきあがり、その中から玉が出てくる。それと同時に親玉おやだま頭巾ずきんをぬぎ、龍王りゅうおうの姿となり、浜村屋はまむらや乙姫おとひめの姿となり、音楽が始まる。
 
宇治うじ常悦じょうえつとはいつわりの姿、まことはわれこそ八大龍王りゅうおうの一人、ばった龍王りゅうおう跋難陀ばつなんだ龍王りゅうおう)なり。そなたはじゃがつら龍王りゅうおう娑伽羅しゃがら龍王りゅうおう)の娘乙姫おとひめなるか。あの玉とってわれに与えよ。
とセリフを言っている最中、河太郎かわたろうは、
「まことの面向めんこう不背ふはいの玉よ」
と、おどりあがって、その玉をひったくれば、見物は、竜宮の舞台に河童が出て、知ったかぶりの客は、
「河童とは考えたな。ここはどうも河童が出ないと見栄みばえが悪うございます」
見物「いよっ、親玉、しりこ玉、浜村屋に河童。この役者だからうけるうける」
などと、あてはずれの批評をする。
 
 ふちしずみし名玉めいぎょくは ふたたびあらわれ井出いでの玉川たまがわ

 


十一

 この様子を見て、劇場の警備員けいびいんがかけよって、引きずり出そうとすれど、頭の皿に水がたまっている河童かっぱは、百人力ひゃくにんりきの働きをして、大勢おおぜいを相手にして立ち回るうちに、張り子はりこ面向めんこう不背ふはいの玉を、こなごなにくだけば、劇場の者どもはおおいにおこり、天秤棒てんびんぼうやめん棒をはじめとして、棒だらけで取り囲めば、今はかなわじと、足にまかせてすたこらさっさと逃げ出す。

 


十二

 追手おってがかかり、てこずって、川へ飛び込み、やたらむしょうに水底みなそこをくぐり、ようよう桟橋さんばしにたどりつき、一息ひといきつくところへ深川ふかがわ仲丁なかちょうの茶屋の娘が出合であわせ、座敷ざしきさそう。
 
娘「おめえさんは、どこかなじみの店があるのかえ」
河太郎「そんなものはないさ。水底みなそこくぐったしっぽり男前おとこまえのおいらはどうでえ」

 


深川へやってきた河童はどうするか、次回につづく、

 


 作者森羅しんら万象まんぞうは、万象亭まんぞうていという名でも知られており、竹杖為軽たけづえのすがるは狂歌のときの名前である。本名は森島もりしま中良ちゅうりょう、蘭医桂川かつらがわ甫周ほしゅうの弟で、桂川かつらがわ中良ちゅうりょうといわれることもある。苗字も名前もころころ変わっていた時代だった。
 万象亭まんぞうてい平賀ひらが源内げんないの弟子であり、源内げんないから蘭学らんがく戯作げさくを学んでいる。


彼の黄表紙にはこんなものがある、


 狂歌にはこんな作品がある。 

「古今狂歌袋」北尾政演(山東京伝)画、宿屋飯盛選の模写

行く年をしむとまうすもうすうはさうわさをばくる初春はつはる御沙汰ごぶさた御無用ごむよう
年末に、行く年を惜しむという世間のうわさがあるが、来る初春へのご気づかいは心配ご無用むようです。
 


 九場面に出てくる旅籠屋はたごや糠屋ぬかや亭主ていしゅ七兵衛しちべえは、狂歌師の宿屋やどやの飯盛めしもり(1753~1830)である。当時の黄表紙の読者は、彼のこともよく知っていた。
 こんなところに宿屋やどやの飯盛めしもりが出てきた、とおもしろがったのだろう。
 宿屋やどやの飯盛めしもりは、本名石川雅望まさもち、狂歌絵本「古今ここん狂歌袋きょうかぶくろ」(北尾政演まさのぶ画、天明七年1787年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう刊)の選者である。

「古今狂歌袋」北尾政演(山東京伝)画、宿屋飯盛選の模写

まてしばしふみかくまどのあかりさきたつてたってくれるな恋すてふすちょう名の
ちょっと待て。私が恋文を書いている窓の明かりの前に立たないでおくれ。私が恋しているといううわさも立たないでおくれ。

 もとの歌は百人一首にあり、当時は百人一首のカルタ遊びが流行はやっていたので、これまた当時の人たちはもと歌をよく知っていた。

すてふすちょうわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思そめしか  壬生みぶの忠見ただみ
 


狂歌については、こちらも参考に、

 

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