面向不背御年玉③~玉をめぐるカッパの大冒険マンガの完結
面向不背の玉を求めて河童の河太郎の大冒険。はてさてどうなりますやら。
黄表紙「面向不背御年玉」は森羅万象作、式上亭柳郊画で、天明七年1787年、蔦屋重三郎版。
上中下三巻三冊の現代語訳を三回に分けて紹介する三回目、最終回。
下巻
十三

それより河童は茶屋で一番上等の見通し座敷へ行き、風雅でもなし洒落でもなく、しょうことなしの女郎買い。女郎が来るまで芸者と遊ぶというところなれど、もちろんそんな気はきかず、行燈とにらめっこしていてもはじまらないので、トイレへ行くふりをして、うろうろと廊下を歩いていると、女郎が落とした玉帳を拾う。玉帳とは、客の払った料金を記録したもの。顧客名簿にもなる。河童は、これこそ玉をさがす手がかりとよろこぶ。
芸者「♪雨の降る夜はなぁ、ひとしおゆかし」トッテチチンツントッテチチンツン
河太郎「いいものが手に入った。この玉帳の中には、うばいとられた名玉も書いてあるにちがいなし。なにはともあれ、かたじけねえ」
十四

さて、玉帳の論判をしようと、この持ち主のお玉という芸者と向かい合って議論するが、深川の経験豊富な芸者に、竜宮の河童ごときがかなうわけがない。頭の皿もカラカラになってやりこめられる。
河太郎「お玉さんとやらは、おめえかえ。おめえは、どういう由緒でこんなに玉を書いているんだえ。この玉の中に必ず面向不背の玉があるだろう。知っているなら知っていると白状しろ」
芸者「おやおや、なんだえ。かっぱりわからねえことばかり言いなはるのお。ぬしは本当に玉帳というものを知んなはらねえかえ」
左の男「とんだ客が来たものだ。なんだかカードゲームで見たような顔だ」
左の女「どうだろうねえ。どうも変わったかっぱったお客だ」
十五

味な縁からなれそめて、河童はお玉に深くなじんで通うほど、くる夜もくる夜も一晩貸し切りにして深い仲となるけれど、そこはさすがに竜宮の人間、へんなところに義理堅く、なかなか男女の仲とはならなかったが、お玉の情けもすてがたく、ついにベッドインすれば情けなや、頭の皿の水が、がばがばがばとこぼれ、無残なりける次第なり。
お玉「おめえ、あんまり酒がすぎたから、頭から吐いていなさる。子どもたち、さっさと水をかけて熱をさましておくれ」
十六

火遊びしたため頭の水が減ったので力の抜ける病気となり、水遊びの治療は図のごとし。おかっぱの子どももおり、ここにおかっぱご誕生。あらあら、お釈迦様の誕生を祝う灌仏会みたいだ。
十七

河童は工夫の治療にて病気が治った祝いがてら、両国橋で夕涼み、川の面に玉の字のある提灯を立てた小舟が一艘こぎ出してきた。これぞ玉虫という名の官女の乗った舟であろう。
玉虫は、源平合戦のとき、扇をかかげて那須与一に扇を射させた官女なり。
それはともかく、このあとどうなるかと見ていれば、花火に火をつけ、ぶすぶす燃えて、ぽんといって飛び出したのは、まごうかたなき面向不背の玉だろうと、ざんぶと川へ飛び込み、玉をさがしてうろうろし、舟が落としたマクワウリをつかみ、やったやったと天にものぼる河童のよろこび、竜宮さして立ち帰る。
「大願成就かたじけない」
ある人いわく、
「この絵、川の面は夜の景色で、橋の上は昼の景色なり」
答えていわく、
「なんじ、邯鄲の枕の浄瑠璃を見たことはないか。『昼かと思えば月またさやけし』とあるのは、盧生の栄華を表現しようとした文句なり。ここも、両国の繁栄を表現するために書いたのだ。そんなへらず口は言うもんじゃないさ」
十八

八人の龍王たち、河童が帰ったと聞き、いそいでその玉を見せよとおおせられる。
河太郎は、上下さわやかに日本風のいでたちでやって来て、うやうやしくささげるものを取り上げて見れば、なんとそれはマクワウリなので、龍王おおいに逆鱗あり。
ちなみに逆鱗という故事成語は、おとなしい龍ののど元に逆さに生えている鱗をさわると激怒することからできた。「逆鱗に触れる」とは、目上の人の激しい怒り。
龍王「そのほうの姿といい、さては日本人に味方して、まろをばかにしに来たな。それっ、引き立てろ」
と、のたまえば、残りページも少ないので、
「言い訳も七面倒、もう百年目だ」
と、河童は、かたはしから切って切って切りまくる。
龍王は怒りのあまり目玉が飛び出し、何を思ったか、河童はそれを拾い集め、さらには乙姫を小脇にかかえ、日本をめざして急ぎ行く。
切られた死体は魚屋の店裏のごとし。
龍王の年代記にいわく、
八大龍王の目玉が飛び出る。あたかもヒモをつけたヨーヨーのごとし。
十九

今は河童も日本人となり、淡海公の臣下となり、金輪五郎今国に習って、川輪六郎後国としてめしかかえられる。お目見えの手土産に龍王の目玉を龍眼肉とこじつける。龍眼はライチの仲間で、それを乾燥させたものを龍眼肉という。
さて、一番の贈り物は乙姫様をお妾としてさしあげる。
志度の海女は、今は妻となり、三人の男子をもうけける。
面向不背の玉の顔、玉の初春お年玉の第一番とぞ聞こえたり。
めでたしめでたし
カッパはよく知られた妖怪で、江戸の人々にはおなじみだった。私が子どものころでも、盆を過ぎて川で泳ぐとカッパに水中に引き込まれると言われたものだ。
河童は河太郎ともよばれ、人間の尻のあたりにある尻子玉を取るといわれた。力は百人力だが、頭の皿の水がなくなると力がぬける。キュウリが好物。
江戸の町でカッパをさらに有名にしたのは平賀源内である。源内は風来山人のペンネームで戯作も書き、「根南志具佐」(1763年刊)を書いている。閻魔大王の命令で河童が、瀬川菊之丞を水中に引き込もうとするが……。この作品がヒットし、カッパはさらに有名となった。
ちなみに、源内の弟子であった万象亭は、二世風来山人の名でも作品を残している。
人々のよく知る河童と面向不背の玉のお芝居と「根南志具佐」をミックスしたはちゃめちゃ作品は、ここまでここまで。
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