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人間一生胸算用③~江戸の町を体の部分が大暴走するマンガ絵本

 クソまじめな「心」に反乱を起こした「気」をはじめとした体のパーツたち。本能のままに遊びまくってどうなるか。遊郭ゆうかくから帰った場面からはじまる。
 黄表紙きびょうし人間一生にんげんいっしょう胸算用むなざんよう」は、山東京伝さんとうきょうでん作画、寛政三年1791年、蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろうから出版された上中下三冊。
 その現代語訳を三回に分けて紹介する三回目、最終回。

 


下巻
十四

 こうして朝帰りのとき、足が思うには、
「みんなは、それ相応そうおうの楽しみがあれど、おれは、骨を折るばかりで、おもしろいことはちっともなし。せめて、疲れをいやそう」と、気にねだって、自分一人駕篭かごに乗って帰る。
足「おいらは、遊びに行くよりは、家でこたつに入って、のびのびとしていたい」
 
手「足は、いつでも駕篭かごに乗せたらいい。歩いていて犬のクソでもふむと、おれがふいてやらねばならぬから、まいってしまう」

 


十五

 かくして無二郎むじろうの体は、ことのほかさわがしくなり、気はだんだん調子に乗り、毎晩毎晩、吉原に通いければ、なんぼ金のある身でも、そうそうはつづかず、このころは、大きな借金ができて、行かれないようになれば、口が、「おば様のところへ行き、わたくしがうまく言ってお金を借りましょう」と、みなみな連れ立ち、おばのところへ行く。
 目は、ウソ泣きに泣き、ウソ涙をこぼせば、そばの手が、ふいてやる。
 
気「ここでうまいウソをつこうと思うが、目から鼻にぬける、鼻を連れてこなかったのがくやしい」
口「このたびのお金を貸してくだされぬと、わたくしは、生きてはおれませぬ。悲しや悲しや」
と、そらぞらしいウソをもうし、後ろを向いて舌を出す。
おば「そなたは、そんな心ではなかったはずなのに、気がちがったのか。まあ、両親が苦労されることを、少しは考えてみなさい。こんなことを言ってもわからないだろうけどさ」
 耳は、なんの役にも立たないので、一緒にきたはいいが、耳をふさいでいる。
耳「こんな話を聞くとわかっていたら、来たりしないものを」
足は、後ろで小さくなり、しびれをきらし、しびれを治すおまじないで、ひたいにチリをつけている。

 


十六

 さて、みなみな、おばをだまして、多くの金を借りて帰り、吉原の借金をはらえば、また遊べると喜び、その夜は、みなみな休んでいると、足は、おばのところで長らくしりの下にしかれていたので、なかなかねむれず、つらつら思うに、「みんなしゃれる中で、おれ一人おとなしくしているのもいやになる」と、ふと悪心がうまれ、その夜、ひそかに例の金を半分盗みだし、芸者に太鼓たいこ持ちを連れて、駕篭かごに乗って江ノ島、鎌倉と出かけ、どうせ他人の金だと、多くの金をやたら使ってしまう。
 
足「駕篭かごに乗りっぱなしもたいくつなものだ。ちょっと歩いて休もう。てめえたちは、くたびれはせぬか。そのかわりに、生きたカツオを食わせるぞ」
芸者「ダンナ、もし、江ノ島は、割烹かっぽう旅館ゑびす屋になされまし」

 


十七

 そのあとの半分の金は、その夜、また手が盗み出し、
「足はうまくやったな。おれも、ちっと楽しみたい」
博打ばくちをすれば、おおいに負けて、やけを起こして、大げんかをはじめ、相手の頭をにぎりこぶしでたたけば、ケガをさせ、大騒おおさわぎとなる。
 口がいないので、手は、ただ黙ったままでたたきあう。
 
男「これこれ、のどがつまる。真綿まわたで首をめるとは、聞いたことがあるが、おまえは、はだかで首をしめるな」
男「刀は武士のたましい出刃包丁でばぼうちょう博打打ばくちうちの魂だ、覚悟かくごしやがれ」

 


十八

 かくして、おばのところで借りた金も、足と手が使ってしまい、手と足がいくらにくくても、ってすてるわけにもいかず、さて、どうしようかといろいろ思案しあんすれば、このごろ近所でとみくじに当たった人がいることを、耳が聞き出し、その金を受け取るところを目が見ていたので、気は、ぐっと悪心が起こり、手に命令し、ある夜、ひそかにその金を盗みに行かせれば、見つけられてしまい、周りに外聞がいぶんが悪く、無二郎の体は、今は町内におられず、それぞれが諸道具を持って、夜逃げをしてしまったとさ。
 
口「おらぁ、元手もとで工面くめんして、小間物屋こまものやでも出すべえ」
鼻「なにさ、びくびくしなさんな。後ろにゃこの鼻がひかえているさ」
足「今夜は、とんだ寒い晩だ。足袋たびをかぶってくればよかった。おれもこれからは、かかとでスリでもしなくちゃなあ」
耳「これ、静かにしやがれ。かべに耳ありで、おれというものがある」
手「おらぁ、いっそ片手のかたな鍛冶かじてんぼう正宗まさむねのところへでも行こう」
 
 かの京伝は、この始終しじゅうをよっく見ていたが、しばらくこの体をすみかとして、ことに友だちの無二郎の体のことなので、いかにも気の毒に思い、しかし、意見をしたくとも体の中にいる自分なので、それもできず、これはまったく、心が心の居場所いばしょにいないからだと思い、かね太鼓たいこをたたいて、心の行方ゆくえをたずねる。
迷子まいごの迷子の無二郎の心や~い」
チキチャンチキチャン、ドコドンドン
 これではまるで壬生みぶ狂言のお囃子はやしだ。
 
京伝「足のつま先から背中あたりまで二三べんたずねたが、見えねえ見えねえ。無二郎が走って逃げるようで、この国はたいした地震だ。ここらはスジが多くて歩きにくい。サツマイモのヒゲのようだ」

 


十九

 京伝は、無二郎の体の中、三百六十の骨の間をさがし、ついに頭のてっぺんあたりで、心がまごまごしているのを見つけ、もとの胸のところに連れ帰ろうとするとき、先ほどの善魂よきたましい現れて言うには、
「こういうことになるだろうと思ったので、京伝を体の中に入れたのだ。それ、孟子もうしも、『性は善なり』と言うように、天から生まれた心は、みな最初はよき心なり。されど、おのれの心のゆるみから、気というものが動き出し、目口耳鼻、心の指示しじに従わず、このように国が乱れるのだ。これ、心がゆるむからなり。この品を持って、みなみなの心をなおすべし」
と、なにやら三つの品物をさずける。
 
善魂「ここで知ったふりしてちんぷんかんぷんを言いたいが、かいつまんで言うぞ」
京伝「はいはい、かしこまりました」
 
 さて、京伝は、心を連れて、もとの胸の下へ帰って、心は、さずかった三品を開き、聖人の本を耳に読んで聞かせ、地獄の絵図を目に見せ、また、大神宮の洗い清めた洗い米を口に食べさせ、さて、なわをもって足と手をしばれば、気も、自分から本性ほんしょうにかえり、みなみな、はじめのごとく、心をたっとび、心もまた、自分をつつしみ、みなみなも、よく心の指示を守りければ、無二郎の体のいくさ、たちまちおさまりけり。
 
心「言いたいシャレもあるが、もう言わないでおこう。版元はんもと(出版社)が、だいぶ書き入れの文字が多くて読みにくいと言っていたぜ」

 


二十

 かくして無名屋むめいや無二郎むじろうは、いよいよ大極上だいごくじょう上吉じょうきちの人間となり、ほっとため息をつく拍子ひょうしに、京伝をはき出しければ、京伝は、出るより早く、筆をとり、ことの始終しじゅうを三冊の草紙そうしにつづりける。
 
 京伝、はき出されてみたところが、無二郎の風俗、昔とかわり、半可通はんかつうの姿ゆえ、いよいよ奇妙きみょうがる。
 口から後光ごこうしてるような絵だとは言いっこなしさ。
 
無二郎「おや、おめえは、おれの腹の中にいたのか。これはこれは知らなんだ。おめえは腹の中にいて知るめえが、おれも大失敗をして、このごろやっと目がめた」
京伝「これ、無二郎、きさま、『めでめで』と言え。おれが『たしたし』と言うから、あわせて、『めでたしめでたし』と言わねえと、草双紙くさぞうしの終わりにならねえや」

めでたしめでたし

 


 絵と文が一体となったマンガの原型ともいえる黄表紙きびょうしは、毎年正月に発売された。だから「おめでとうございます」と、正月らしく終わるのがお約束。こんな楽しみをもって人々は生きていた。

 


京伝が、天体を擬人化してキャラクターとした黄表紙作品「天慶和句文てんけいわくもん」はこちら、

 

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