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人間一生胸算用①~善玉悪玉、ついには目鼻耳口まで擬人化の江戸マンガ、黄表紙

 善玉悪玉のキャラクターを生み出した京伝きょうでんは、たましいだけでなく、人間の体の部分までキャラクター化してしまう。
 「人間一生にんげんいっしょう胸算用むなざんよう」は、|北尾政演《きたおまさのぶ》画、山東京伝さんとうきょうでん作、寛政三年1791年、蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろう出版の黄表紙きびょうし。絵師の北尾政演は山東京伝のことであり、実際は山東京伝作画の作品となり、サブタイトルに「悪魂後編」とあるように、前年に出版されて好評を博した「心学早染草しんがくはやそめくさ」の後編というたてまえになっている。内容がつながっているわけではなく、「心学早染草」で人気となった善玉ぜんだま悪玉あくだまのキャラクターを踏襲とうしゅうしているという意味のタイトルだ。
 江戸の人々が楽しんだキャラクターもの、上中下三巻の現代語訳(かなり意訳)を三回にわけて紹介する。

 


上巻
口上こうじょう

 東西とうざい東西とうざい、高くひかえましたうえにはだかにて失礼しつれいをおゆるしください。
 さて、去年、わたくしどもり集まり、不調法ぶちょうほうなる狂言芝居にとりくみ、ごらんにいれましたところ、ことのほかの評判にて、ありがとうございます。つきましては、本年もおすすめにより、後編をあらわし、ごらんにいれます。
 この草紙は、老子ろうし不言ふげんの教えに、孔子こうしの教えを加え、荘子そうし寓言ぐうげんほとけのまことから出たウソ、ウソも方便ほうべんをとりまぜ、三冊にしてごらんにいれます。
 以上、善玉ぜんだま口上こうじょうなり。
チョンチョン

  山東京伝戯作
  寛政三年の春

 


 あるとき、京伝きょうでん、家を出て、どこともなく行けば、思わず善魂よきたましいかくへ来たりて、人間のからだ講釈こうしゃくを聞く。

善玉「それ、人間の体は、天地の小さくなったようなものじゃ、すなわち、二つの目は月と日のごとく、肉は土にひとしく、骨は岩石のごとく、血は水にて、脈拍みゃくはくは水のち引きにひとしく、毛やツメは草木にて、はく息とプーッとひるは風のごとく、涙と小便は雨にひとしく、話すことばはかみなりはっするがごとく、体に発生するノミ、シラミは、大地に鳥やけだものが発生するのと同じ道理どうり。それじゃによって、またぐらのあいだにはマツタケもしょうじ、ヘソの下の海辺うみべには赤貝あかがいも生まれるではないか。人というものは、天地造化ぞうかの神にひとしく、このものの了見りょうけんしだいで、聖人せいじんほとけも生まれ、おに天狗てんぐも生まれる。合点がてんか合点か」
古風こふうなセリフにて、博物誌はくぶつしにいう土肉川脈どにくせんみゃくのひっくり返しを言い聞かせる。

老子ろうし聖人せいじんきょにす其心そのこころをという
大学だいがくにはまずただしうす其心そのこころをという
華厳経けごんきょうには唯一ゆいいつ心ととき
○心こそ心 まよわす心なり(自分の心は思うようにはいかない)
○「心だに、まことの道にかないなば(心に誠意があれば、神は守ってくれるだろう)」という、神詠しんえいを思うにつけ、とかく大事なものは心じゃ
 
京伝は、ただ、「ごもっともごもっとも」とあわせている。
 
 ここはさしずめ、薬屋の口上こうじょうなら神農しんのう(医療と農業の神)の人形を使うところだが、それではあんまり色気いろけがないので、神農しんのうのかわりに遊郭ゆうかく新造しんぞうとシャレました。新造は若い遊女のことでございます。

 


 京伝は、おもしろくもねえ長い講釈こうしゃくを聞き、しびれをきらしていると、やっと講釈が終わり、善魂よきたましいもうしけるは、
「なんと、今から連れて行くところがある。行ってみる気はないか」
などと言うので、「こいつ、吉原へでも行く口ぶり、まんざらでもねえ」と思い、
「こりゃ、行きます行きます。柳橋にさいわい私のなじみの舟宿ふなやどがあるので、さあさあ、すぐ行きましょう」
と、せきたてれば、善魂よきたましい
「いやいや、舟もヘチマもいらぬ」と一声。「乗り物、これへ」
と呼べば、一片いっぺんの雲おこり、善魂よきたましいと京伝を乗せ、どこへ行くかと思ったら、京伝の東となりの商売人、無名屋むめいや無二郎むじろうの家に来たけれど、だれも気がつくものはなし。
 そして、京伝のからだ、豆人形のように小さくなり、無二郎が吹き出したたばこのけむりにつつまれ、無二郎の体の中に入りけるぞ不思議なり。
京伝「はい、えものでござい。ごめんなさいね」
 江戸時代には銭湯せんとうが増え、入浴のとき、「冷えものでござい」つまり、冷えた体で入り、湯の温度を下げるかもわかりませんが、おゆるしください、と言うのがマナーだった。
 
 この無二郎というのは、いまだ二十二三にて、年は若いけれども、なりふりにはかまわず、朝夕ソロバンをはなさず、よく働くクソまじめな息子なり。
 今、ともだちの京伝をのみこんだとは夢にも知らず、ひとりごとを言っている、
「おらがとなりの京伝は、さりとはべらぼうな男だ。また遊んで四五日家へ帰らぬそうだ。ばかにつける薬はないとは、よく言うたものじゃ。隣のことで、ああ、頭痛がする」
 
京伝「いまいましいやつだ。おれのことを、クソのように言いやがる。くさめくさめ、ハックション」

 


 善魂よきたましい通力つうりきにて、京伝は無二郎の腹の中に入ってみれば、腹の中に一つの国あり。これ、かの小天地のようで、名付けて無状無象国むじょうむぞうこくといい、この国のダンナは、すなわち「心」なり。番頭ばんとうは「」なり。心と気は一体のものの分身なり。耳目鼻口の四つのものは手代てだいなり。足と手は手代につかえているなり。腰元こしもと草履取ぞうりとり、丁稚でっちまでをかねて、いそがしいつとめなり。このものたちの腰へ、一筋ひとすじずつのなわをつけ、あるじの心、これをしっかりつかんで、手を動かすときは縄をゆるめ、歩くときは足の縄をゆるめ、みなみな心の指示しじにしたがって働くこと、まるで鵜飼うかいか猿回さるまわしのごとし。『心の声の手綱たづなをしっかり持て』とはここのことなり。
 
 足は手を起こす。
足「これこれ、手よ、目をさませさませ。ダンナがさっきからつなを動かっしゃる」
手「なあに、知らねえふりをしているがいい。おおかた、また、鼻でもかもうということだろう」
 
 無二郎の心、かねてより正しければ、よく落ち着いてみなみなに指示しじするので、この国は、よくおさまり、おだやかなり。されど、無二郎、年若ければ、番頭の気は、なにかにつけて、おりおり移り気なところありて、ふらふらした気になれば、心は、かたく気をいましめながら暮らしける。
 
 京伝、このようすを不思議がる。これを見れば、荘子そうしが「カタツムリのツノの上に国がある」と言ったのも、まんざらウソの万八まんぱちでもあるまい。
 
京伝「善魂よきたましいが『入ってみろ』と言いましたが、なるほどなるほど、よくできた仕組みだ」 

 荘子の話は、カタツムリのツノの上にある、左の国と右の国が争ったということから「蝸牛角かぎゅうかく上のあらそい」という言葉がうまれた。小さなつまらないことで争うことを言う。

 


 おりふし、おもてを「初鰹はつがつお、初鰹~」と言いながら通るものあれば、早くも耳は聞きつけ、口は無性むしょうに食いたがり、番頭の気をそそのかしければ、気は、もとより少しかれものなので、心にもうしける。
気「もし、ダンナ、思い切って初鰹はつがつおを買いませんか。初物を食べると七十五日長生きするともうします」
とすすめれど、心は決してうけつけない。
 だからこそ、無二郎の身のゆくすえは、万代も栄えるべく、たのもしく見えけり。
 
口「番頭さん、おまえの力でダンナにうまくお頼みなさい」と、質屋へ来た客がねだるように言う。
気「もし、ダンナ、清水きよみずの舞台から落ちたと思って、お買いなされぬか」
心「いやいや、俺は清水の舞台へ登ったと思って、買うまい」
 
京伝「なるほど、こう心がしっかりしていたら、もめごとは起きねえはずだ」

 


 ある日、無二郎、寺参りからの帰りに、両国あたりを通りけるに、向こうから芸者、来たりければ、目、たちまちこれを見つけて心が迷い、耳は芸者の三味線を聞きたがり、気をおだてければ、気もその気になって、心にすすめれど、心はぐっと辛抱しんぼうして、なかなか承知しょうちしない。
 
心「とかく見るのが目の毒だ。見るな見るな、さあ、歩け歩け。これは二(約3万円)はかかりそうな芸者だ」
 
芸者「喜助きすけどん、料亭の百川ももかわには小田原町の役人もいさっしゃったかのお」
喜助「もっとかんざしをさしこみなせえ。落ちますよ」

 


 その後、蒲焼かばやき屋の前を通りければ、鼻がかぎつけ、口が食いたがり、またまた気をそそのかし、心にすすめれども、心はしっかりしているので、まず、南鐐なんりょう二朱銀にしゅぎん一枚(約1万円)のムダだと、いっこうに承知しょうちせず。
 
鼻「番頭さん、おまえ、そこでちょちょらのお世辞せじを言いなせえ。このにおいをかいで、我慢がまんできねえ」
口「長焼きにして、お茶漬けで食いてえ」
気「二朱か三朱(1~2万円)の出費だ。のみこみのみこみ、へっちゃらへっちゃら」
 
心「さあさあ、早く家へ帰るがいい。おれまでその気になる」

 


我慢がまん我慢の心のままに、次回につづく、

 

 

黄表紙の始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775年)の現代語訳は、こちら、


黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」(1785年)の現代語訳は、こちら、

これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
 

上記の作品中でも紹介しているが、善玉悪玉の出てくる「心学早染草しんがくはやそめくさ」はこちら、

 

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