人間一生胸算用②~悪玉後編、人体小宇宙を描く江戸絵本物語
善玉が物語を進めているけれど、サブタイトルには「悪玉」とある。善玉悪玉のキャラクターが人気となったが、人気が大きかったのは悪玉のほう。悪い人間に惹かれるのが普通の人間かもわからない。
遊郭も「悪所」と呼ばれ、悪い場所とはわかっているものの、ついつい悪いところへ足が向いてしまう。この作品でも、悪いことをするキャラクターが中心となる。
黄表紙「人間一生胸算用」は、山東京伝作画、寛政三年1791年、蔦屋重三郎から出版された上中下巻三冊。
その現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する二回目。
中巻
七

ある日、無二郎、疲れてすやすや寝込むと、目口鼻耳は、よいチャンスだと、密かに気にもうしけるは、
「われわれは、あのようなケチな心のダンナに疲れてしまった。
口は、塩イワシしか食ったことがなく、
目は、芝居も見たこともなく、
耳は、三味線の音も聞かず、
鼻は、焼き味噌のにおいばかり、
夢にもおもしろい目にあったことなし。このうえは、あの心のやつを追い出し、この体を番頭さんのものになされたら、われわれも少しは楽しみもできるでしょう」
と、口をそろえ、鼻をそろえてもうしければ、さすがに無二郎の体なれど、気はかわりやすく、番頭の気は相談にのる。
心は、手枕をして寝ている。
手は、枕にされていながら、
手「こいつはおもしろい」
口「なんと、こいつはいい方法でごぜえやしょう」
京伝「さてさて、 この国も、少し乱れそめにしだなあ」
八

ここにあわれをとどめしは無二郎の心なり。少しの心のゆるみにつけこまれ、この国の主ながら、多勢に無勢、力およばず、胸のあたりの城を追い出され、すごすごとどこへともなく落ちにけり。
気「ケチをして、おれを無視したむくいだ。これで思い知ったか」
心「ええい、残念残念、桃栗残念(三年)柿八年、おれは無念で出るばかり」
京伝、ダジャレでも言いたいところだが、あまりに気の毒で黙っている。
さてさて、みなみなの望みのままに、心を追い出し、心ここにあらざれば、番頭の気は、だれはばからず気ままをして、ついに無二郎の体を取り上げれば、これより無状無象国おおいに乱れる。
気「口も久しくウナギも食べていないだろう。これからは食い放題さ」
鼻「あのようなケチな心は見たことがござりませぬ。あいつは一万年も生きる心でござりましょう」
耳「おまえのことを、近所の男たちも、気の利いた人だと、陰でほめますさ」
口「わたしも安い魚を食べるくらいで、カツオなんて食べたこともございません」
九

気は、みんなにおだてられ、むやみに気が大きくなり、ある日、口をつれて向島の料亭武蔵屋へやって来て、おごりまくった。
口は、生まれて初めてこんなうまいものを食い、酒もくらって、おおいに酔っ払い、気も、だんだん酔っ払い、笹の葉をかついで踊る。酒をきちがい水ということ、ここからか。
気は、江戸で流行りの壬生狂言に狐がのりうつったような手つきで踊れば、口は、勉強のできない子が心学を習うように、茶碗をたたいてはやす。
店の女「鯉の洗いも出しましょうか」
口「なにから食おうか。娘が呉服屋で品定めするように、いっそ目うつりがする」
十

それより、気は、いよいよ調子にのって、目には美しいものを見せ、鼻にはいい匂いをかがせようと呼びにやり、中の町の夕景色を見せれば、目鼻口三人寄れば知恵を出し、気にすすめて、店で一番美しいと思える花魁を呼ぶ。
口は、よだれをたらして見ている。
鼻「ああ、いいにおいだ」
目は、正月が三度いっぺんに来た気で、目をこらしてながめている。
十一

気は、みなみなにそそのかされ、いよいよさらに調子に乗り、女郎屋にてしゃれれば、みなみな、耳を呼びにやり、おもしろい目にあわせようとすれば、これもさっそくやって来て、口は、竹村の上あん(あんころ餅)を買ってきて、たくさん食べ、目は、廊下を歩いて、美しい女の足の白いのを見て心迷い、鼻は、化粧の匂いにうつつをぬかし、耳は、芸者を呼んで無性に美しい音を聞いて楽しめば、気は、有頂天になって、調子に乗る。
口「あいた口にもち、棚からぼたもちとは、このことさ」
太鼓持ち「おまえ様は上あんばっかり食べますね。上あんばっかり五十六はどうでござります」
「十三ぱっかり毛十六」という少女の成熟ならぬ性熟をいう下品な言葉のダジャレを言う。
目「ああ、だれを見ても色っぽい」
耳「ちょっと簪を貸しな。よく耳のあかを取って聞こう。これ、気をつけろ。だれがおれの耳へ湯をかけた。寝耳に水と違って、起き耳にお湯は大変だ」
芸者「♪わたしゃおしどり、よいわいな。そうじゃそうじゃ、その気でなければはなされぬ♪」
ツンツテレ、テットン
十二

みなみなもうしけるは、
「ほんに気がつかなんだ。女郎買いに肝心の手がなければ何もできない」
と、みなもうしければ、気は、なるほどと思い、さっそく手を呼びにやる。
そもそも、手というやつは、使われるばかりで、あまり楽しみのないものゆえ、来るには来たものの、ほかのもののようにおもしろみもなく、ただ気が持っているサイフの中へ、遠慮なく手をつっこんで。太鼓持ち、やり手婆、若い者に祝儀をやり、うれしがらせて楽しむばかりなり。
その後、布団に入りければ、口は気のそばにつきそい、ここぞ口の働きどころと、いろいろ愛のささやきをすれば、女郎も、これはお金持ちと思い、初回から、おもしろおかしくもてなし、ついにベッドインとなる。
女郎「もしえ、本気ならば彫り物をしなんしよ」
と言われ、気は、ぐっとその気になり、無残や、手は、背中に「なにがし命」と、古風に名前を彫られる。
女「じっとしていなせえ」
手「ああ、痛い痛い。名前を彫って血かたまるとは、おれの背中のことさ」
そのうち、手は、たいくつして、頭でじゃんけんをする。
太鼓持ち「昔、三国志でおなじみの関羽は、碁をうちながら、腕の骨をけずらせたが、おまえは、ジャンケンしながら入れ墨を彫らせるとは、豪傑豪傑」
口「ず~っとしゃべりっぱなしで口が疲れた。しかし口から先に生まれたから、負けずに話すぞ」
十三

ようやく別れのときとなれば、足がなくては帰られないと、呼びにやれば、足は急いでやって来て、みなみなを連れて帰ろうとすれば、気ばかりは帰ろうとしないので、ようやくだまして連れ帰る。
気「なんだ、言い残したことがあるって。待て待て、耳が先に帰ったから、呼び戻してこい」
女郎は、「帰したくおっせんよ」などと、いつもの商売用のセリフ。
足は、急いではしごをおりけれども、気は、まだ二階に残って、困らせる。
足「ダンナ、未練でっせ」
次回につづく、
七場面で、京伝が「この国も、少し乱れそめにしだなあ」と言っていたが、もちろん百人一首の
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにし我ならなくに
をふまえている。作者だけでなく、読者も百人一首を知っているからこそ、こういう言葉を発している。
現代人にもわかってほしくて現代語訳したわたしの百人一首は、こちら、
