盧生夢魂其前日②~夢はこうして作られるという江戸のマンガ絵本
夢魂道人が夢たちに指図して夢をつくっているという設定だが、それも一つの商売として描いている。
商品経済が発展した江戸後期においては、江戸の町にいろいろな商売が生まれた。
夢も、人形芝居や歌舞伎のように一つの商売だというのだ。
黄表紙「盧生夢魂其前日」は、山東京伝作、北尾重政画で寛政三年1791年、蔦屋重三郎から出版された。
三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する二回目。
私の紹介は、訳は意訳で省略もあり、挿絵も省略が多いさわりのさわりの入門書なので、ちゃんとした原本にあたりたい方は、ネットにいろいろ出ている。
国書データベース、東北大学、さくらのレンタルサーバ、都立図書館、等で検索してほしい。
中巻
六

ほどなく道具もできあがり、例の儒者と女郎のところへ夢を見せに行く。
この、かついでいくものが、夢の道具第一のものなり。上の夢のときは、針金で丈夫にこしらえ、白い布または絹綿を薄くはる。下の夢のときは、竹をまげて使い、薄い吉野紙をはる。また、夢の形は、むすんだようなものなので、昔の歌にも「夢をむすぶ」と詠まれる。
七

夢を見せる連中は、ちょいと早飲み込みをして、道具の目印をまちがえ、女郎に周公旦の夢を見せる。つらつら思えば、思いがけない夢を見ることがあれば、それは、このように夢を見せる連中がまちがえたときの夢と思えり。
ヒュー、ドロンドロンドロンドロンドロン、ドロンドロンドロンドロン
女郎「もし、おじいさん、主の名前は周公旦ともうしますんかえ。漢方薬のような名前でおざんすねえ」
周公旦「おれは唐土は周の文王の子、武王の弟で、大聖人といわれたものさ」
女郎「なんと言いなんす。貧乏(文王)の子無精者(武王)の弟で大変人(大聖人)だとかえ」
女郎は、唐人を夢に見せられ、まいったまいった。
八

学者は、色男と廓から駆け落ちして、田んぼで心中しようとする夢を見る。これはどういう意味か、夢判断させてもわかるまい。作者にもわからない。
♪いつぞや「史記」を読んだ夜、お医者さんがた学者衆、多くの中でこなさんの♪
この後はすべてこじつけなので略す。
色男「おれはおまえの、口がくさくてヒゲがもじゃもじゃ、爺くさいところに惚れた。なんと茶人だろうが。それだから、白黒でわからないだろうが、着物も茶色だ」
学者「足下にゆだねたわが身を、そんなに疑いなんすなら、この胸わって見せとうおす。わが案ずるに、わっちより、ぬしの心意気が、いまだつまびらかならずでおすよ」
女郎と儒者が一緒になったようなイヤミを言う。
九

この夢は、それ以上のこともないので、この学者の家の飯炊きに、金を拾う夢を見せる。
飯炊き「これは金じゃ。うれしやうれしや、これで運もひらいたひらいた」
夢「どうだどうだ、ついでだからおまえにも夢を見せてやろう。それ、うれしいかうれしいか。ふん、夢とも知らずにうれしがっている。ほれほれ、ここまでござれ、あまざけしんじょ。獅子の洞入り、洞返り、三介まったりまったり。こいつはなかなかおもしろい」
飯炊き「さてさて、この金はかわった金だ、むしょうに空を飛ぶ。飛んでる金の玉で金玉か、ああ、じれってえ、どうもつかまらねえ」
と、ひとりごとを言いながら、じれったく、この金がうらめしいと、両手でつかまえたと思えば、おのれの金玉をしっかりとにぎり、冷や汗を流して目が覚める。
十

夢魂道人、夢たちに言う、
「おまえたちは、まあ、女郎に周公旦の夢を見せ、学者に色男の夢を見せるなんて、気のきかねえことがあるものか。夢を商売にしているとは思えねえ。ちっとは身にしみたか」
夢たちの弁当にはぼたもちを持たせる。そのため、思いがけない喜びを「夢にぼたもち」というようになった。
夢「これこれ、わたしのはみんな小豆だ。そっちのきなこと取り換えておくれ」
十一

周公旦がつくったともいわれる儒教の経典の「周礼」の中の「春官」のページには、「日月星辰をもって六夢の吉凶を占う」という。
いわゆる六夢は、一に正夢、二に霊夢、三に思夢、四に寤夢、五に喜夢、六に懼夢、これなり。
そのほか、数多い夢のうちで、みだらな夢を見せるやつは死罪とする。しかれども、夢というものは、刃物で切っても切れぬので、獏という動物を使い、こんな罪人は獏に食わせるなり。そうすると、「獏は夢を食う」という話は、そのとおりなり。
吉原で、「ばくらしゅう(ばからしゅう)ありんす」と言うのは、これよりできた言葉なり。
つないでいた縄を切ると、獏は一目散に駆け出し、たちまち夢を食う。
獏は夢を食っては、人間界大日本武蔵の国江戸通油町のあたりに、そのカスをはき出すので、そこを馬喰町(獏食らう町)という。
囚人「獏に食われるとは、あんまりだ。ああ、ゆめゆめしい(いまいましい)」
獏「罪人のふところに、二朱銀が二つ三つあるので出しておくんなせえ。歯にあたって痛くてたまらねえ」
囚人「悪い場面では『夢になれ夢になれ』というけど、こっちが夢だからそうも言えねえ。人になれ人になれ」
「周礼」の六夢は、正夢(安らかな夢)、霊夢(驚く夢)、思夢(思って見る夢)、寤夢(目覚めるときに見る夢)、喜夢(よろこぶ夢)、懼夢(おそれる夢)をいう。六夢ともいう。
十二

正月二日の夜に見る夢は「初夢」というて、夢の世界の大切な日なり。宝船の絵を買って、敷いて寝た者には、それ相応の夢を見せてやらねばならず、一 富士 二 鷹 三 茄子は定番、春の初めにおもちゃの春駒の夢はいうにおよばず、富の前兆には、呉服屋の番傘、人に切られる夢は逆夢といって、金が入ることあり。いろいろさまざまの夢を仕組んで、何人も何人も出入りするいそがしさ、年末の大神楽、年始の大黒舞いのごとくなり。
いそがしいので、ろくろく夢を見せないで拍子木を打って幕を閉める。それだから、初夢はうろ覚えなものが多いなり。
チョンチョンチョンチョンチョンチョン
とひょとひょとひょとひょとひょ
夢「鷹使いは「とひょとひょ」というから、はりあいもあるが、茄子の場合はだまったままなので、はりあいがない。居留守をつかうよりつらい役だ」
一 富士 二 鷹 三 茄子の夢の道具も、そうそう間に合わぬから、一 筑波山 二 トンビ 三 唐茄子(カボチャ)などとこじつけた夢もあり。
ヒュードロンドロンドロンドロン
十三

夢魂道人、手下の夢を呼び集め、もうしわたす。
「このたび、唐土は蜀の国のかたわらに住む盧生という者が栄華の夢を見たがるので見せてやらねばなるまい。しかし、これは悟りの夢だから、ひととおりではゆかぬ。五十年ばかりのできごとに取り組まねばならぬ。今度は人形では間に合わぬから、歌舞伎にするつもりだ。みんな、すぐに稽古にかかろう。
二十日あまりに四十両という芝居の上をゆき、一晩に五十年ときては、道具や衣装によっぽどかかる。よいスポンサーをつけなければ、この夢は上演できまい」
いよいよ盧生が夢となり、次回につづく、
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき
(うたた寝で恋しい人の夢を見てから、せめて夢で会いたいと、夢を頼りにするようになった)
小野小町の有名な歌も、夢を題材にしている。
古より、人々は夢をたよりにしていた。では、夢とは何か。夢はお芝居と同じで、こうして作られるのだと黄表紙は説明する。
