言霊の国、日本~中学生の国語
天皇の名前を知っているだろうか。天皇は天皇陛下としか言われない。明治時代にも、天皇は天皇だったが、亡くなってから明治天皇という名がつけられた。大正時代も天皇陛下としか言わなかったのに、亡くなってから大正天皇と名づけられた。前の天皇も平成天皇とは呼ばず、上皇様と呼ぶが、後には平成天皇となるだろう。
天皇の名が一般的になったのは、第二次世界大戦に敗れたときにアメリカが天皇を「ヒロヒト」と呼んでからだ。かつては名前を敵に知られると、その名を使って呪われると考え、首長の名前は知られないようにしていた。名前という言葉が大切にされていた。
呪うといえば「人を呪わば(呪えば)穴二つ」ということわざがある。呪うということはすさまじい念を使うので、その念の力は呪った本人にもおよび、呪った本人も亡くなってしまうことがある。だから、相手と自分と二つの墓穴が必要になるということわざだ。
さて、言葉だが、英語や他の外国語と違って、我々が生まれたときから使っている母語としての日本語には魂がある、不思議な力があるという考えが「言霊」というものだ。
言葉には魂があると考えられた。だから、太古の昔から日本人は言葉を使って歌を作った。それが和歌である。
平安時代の「古今和歌集」の仮名序で紀貫之はこう書いている。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。
力を入れないで天地(の神々)を感動させ、目に見えない鬼神をもしみじみとした思いにさせ、男女の仲を親しくさせ、勇猛な武士の心を和らげるのは、歌なのである。
言葉を使った和歌によって、男女の仲を親しくさせ、人の心を和らげる。人だけではない、神にも言葉で伝える。それが祝詞というものだ。冒頭に、天地の神々と言っているが、神の心を変えるだけでなく、実際に天地をも動かす力もあると思われていた。雨ごいなども、言葉によって雨を降らそうとする。自然災害などにも祝詞という言葉で災いを鎮めようとする。
このように、言葉の力というものを、我々の先祖は大切なものと思ってきた。
国語の勉強というものは、「読み書き」の言葉を教えることだけでなく、ましてや「漢字」を覚えさせることではなく、日本語という言葉の大切さを教えることこそが本当の学習だろう。
我々日本人は、日本語を覚えることによって、赤ちゃんの脳の回路が発達し、人間として完成していく。ミルクを飲むのと同じように、言葉を覚えることによって脳が成長していく。
そんな脳の成長をさらに発展させることが、本当の国語の学習だろう。ただ言葉を覚えるだけでなく、言葉を使った考え方を教えるのが国語の学習だ。
がんばって勉強していこう。
仮名序についてはこちらも、
「中学生の国語」シリーズは、こちらの後半部分に、
