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当世大通仏買帳③~お地蔵さんも恋して快調に開帳を始める江戸のマンガ絵本の世界、ここに完結

 地蔵菩薩じぞうぼさつ蛸薬師たこやくし寝釈迦ねしゃかが女郎遊びをし、地蔵菩薩は女郎とけ落ちまでしようという、なんともかんとも罰当ばちあたりな物語。

 黄表紙当世とうせい大通仏だいつうぶつ買帳かいちょう」は、芝全交しばぜんこう作、北尾重政しげまさ画、天明元年1781年、鶴屋つるや喜右衛門きえもん刊。
 三巻三冊の現代語訳(訳は意訳で、絵の中の文字もいいかげんな学術的ではない紹介だけど……)を三回に分けて紹介する三回目、最終回。
 さて、どんな結末になるのやら。

 


下巻
十六

 猿町のさるは、品川の馬場ばんばたなを借り、柏餅屋かしわもちやをして、地蔵菩薩じぞうぼさつの品川通いの宿やどとなる。猿ヶ馬場さるがばば名物、猿が馬場の柏餅とはこのことをいうなり。
 
地蔵尊「なんと、猿坊さるぼう、今夜は天狗となって、松若をさらおうと思うが、どうだ」
猿「これはようござります。なにかあれば、わたくしがおかくまいもうしましょう」

 


十七

 地蔵菩薩じぞうぼさつ天狗てんぐの姿となり、松若まつわかをさらって逃げたまう。
 
地蔵尊「なんぼ追っかけても、もうこっちのもんだ。なんぼ女郎の親方でも、玉の女郎を取られては、かないやんすまい。さあ、取り返してみやれ。天狗がひとつにネコのフンがひとつ、もう、しめしめ山の寒烏かんがらすというダジャレは古いので、かんトンビが油揚あぶらあげをさらうように、さあ、逃げよう逃げよう」
松若「わっちを油揚あぶらあげにしなんしたら、屋根やねが油ですべりんしょう。ああ、あぶない危ない油揚あぶらあげ。しかし、おまえと逃げたら危なげないので油揚あぶらあげないのう」
親方「やれやれ、出会であえ出会え。夜這よばいの豆ドロボウ豆ドロボウ。今時いまどきほとけ油断ゆだんがならぬ。これこれ、たま錫杖しゃくじょうを忘れていった。南無三なむさん替え玉かえだまを使われた」
 
 玉を忘れて行きたまうことより、これ、替え玉かえだまのはじめなり。

 


十八

 地蔵じぞう、女郎を天狗がさらって、二本えのき町で紫雲英げんげ(レンゲ)をむしりたまう。
瀬戸せとえのきでレンゲをむしり♪
 
地蔵尊「仏のようなことが本当になったのお。これからおれが還俗げんぞくして、髪を伸ばして本田髷ほんだまげにし、黒い衣装いしょうに身をつつみ、それで、てまえをやしなっていくってのはどうだ。うれしいか、うれしいか。おれも十九の年から出家しゅっけして、年増としまにはまって地蔵になった。大切にするさ」
松若「これから、わっちをおぶって、おまえの国の信濃しなの善光寺ぜんこうじへ連れて行きなんし。そうしたら、わっちが上になって騎乗位きじょういで、おまえを台座だいざにして大事にしやしょう」
地蔵尊「信濃しなのから江戸に出稼でかせぎに来るのとは逆に、信濃へ行ってかせぎやしょう」

 


十九

 松若まつわか地蔵じぞうが連れて逃げたまうよし、女郎屋より大家おおや弘法大師こうぼうだいしとどけに来る。そのとき、弘法こうぼう証文しょうもんを書きたまう。これ、弘法も筆のあやまりではなく、弘法も筆のあやまりとはいうなり。ごめんなさい。
 
親方「もめごとは大家おおやにあずけろともうしますので、おまえ様にあずけましょう」

 


二十

 地蔵菩薩じぞうぼさつ松若まつわかと夫婦になり、医者をする。
 
地蔵尊「あなたの目は、もうよくなりました。
ここで一首
つぶるとも よもや見えじな かなめ医者要石かなめいし) 年増としまかかのあらんかぎりは
なんと、歌人は、ここにながら、茨城いばらぎ鹿島かしま明神の要石かなめいしを詠んでおります」
患者「おかげでよくなりました。お礼に塩をさしあげます」
 
当時、浅草寺せんそうじ仁王門におうもん横にあった因果いんが地蔵そなえられている塩で目を洗えば眼病が治るといわれていた。

 


二十一

 蛸薬師たこやくしは、地蔵菩薩じぞうぼさつの塩をもらい、たくわん(沢庵漬たくあんづけ)ならぬ、タコあんづけという漬物つけものをこしらえ売りたまう。ことのほか繁盛はんじょうして売れる。また、石堂丸せきどうまる息子地蔵は、石となって、タコあんづけの重しとなりたまい、ともにかせぎたまう。
 
蛸薬師「息子殿どの、もう昼飯ひるめしにさっせい。とにかくがんばろう」
息子地蔵「おうさ、そうだそうだ。そうでなけりゃ所帯しょたいも持たれぬ。塩の塩梅あんばい大切じゃ」
蛸薬師「さすが信濃しなのの地蔵の子、上杉謙信が武田信玄に塩を送った話のようだ。そうだそうだのソーダ水」

 


二十二

 寝釈迦ねじゃか如来にょらいは、品川の遊郭ゆうかく通いが盛んになり、たまりにたまったげ代三百両の借金、どうにもならず、さすがに仏なので逃げ出すこともできず、借金を横にし、寝釈迦ねじゃかとなり、無残むざんや二月十五日、釈迦入滅しゃかにゅうめつの日に、布団ぶとんの上にてご入滅にゅうめつなさる。これを聞くと、茶屋、女郎屋、芸者、若い遊郭ゆうかくの使用人、駕篭かごかき、料理屋、やり手ばばにいたるまで、貸しのある者、みなみなうち寄り、支払い金が出ませぬとて、涙を流すぞ道理どうりなり。
 そのとき、紫の雲たなびきて、釈迦しゃかの母上麻耶夫人まやぶじん、「その金、ここに」と、三百両、財布さいふに入れて投げいだし、借金残らず払いたまう。
 
麻耶夫人「まだ少し残った金があるなら、四月八日まで待ちやれ。四月八日は、あの子の誕生日だから、誕生日ならぬ勘定日かんじょうびとして払ってやろう。
おぬしも、もうこれでこりて、道楽どうらくはやめやれ。二度と払ってはやらぬぞ」
と言いたまうゆえ、これを無間むげんかねならぬ、意見の金というとかや。
 
駕篭かき「さあさあ、失敗失敗。お釈迦しゃか様に駕篭賃かごちん二十五もんを踏み倒された。悲しや悲しや」
芸者「おやおや、座敷ざしきを十六もつとめたのに、悲しや悲しや」
料理屋「残ったものは借用書ばかり。むごいむごい。一文にもならない」
男芸者「はや、代金ばかりが十三もんめ、悲しや悲しや」
寝釈迦「ひじまくらにし、楽しみはそのうちにありと、孔子こうしの弟子の顔回がんかいが言っていたので、そのとおりにこじつけたが、これでは楽しみではなく、悲しみだ」
 顔回がんかいではなくて、おふくろの厄介やっかいだ。

 


二十三

 かかるところへ拍子木ひょうしぎの音、カッチカッチと鳴ると見えしが、たちまち涅槃ねはんまわりは舞台が代わり、ヒュウドロドロドロと不動尊ふどうそんあらわれたまい、親子地蔵の両人を伴っていでたまい、おおせけるは、
「みなみな、今度の道楽狂言やめにして、これからずいぶん精を出して開帳を開きなされ。すなわち、両人の名を、『これから』、『せいだせ』という童子にする」
と仰せあるぞ、ありがたき。
 これから童子にせいだせ童子。
 寝釈迦ねじゃか如来にょらいは、道楽をやめ、寝ていて暮らしたまう。
 蛸薬師たこやくしも開帳とともに繁盛はんじょうしたまう。いずれもありがたきことなり。
 
 これより開帳のはじまりはじまり、どんどんどんどん。

 


 江戸時代には、このように開帳が多く行われ、多くの人々が集まり、寺院の収入源ともなっていた。宗教と娯楽が一体化して、これも江戸の人々の楽しみのひとつだったろう。
 

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