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当世大通仏買帳②~女郎と仏様の恋の道行、なんとも罰当りな江戸のマンガ絵本

 仏様が女郎買いをするという、なんとも罰当たりな内容の黄表紙だが、江戸の人々が信仰心がなかったかというと、そんなことはなく、信仰心の厚い人が多かった。
 けれど宗教に対する考えは、日本と西洋は大きく違い、神は絶対的なものではなく、神も仏も人間くさいものだった。
 これは日本人の宗教観が、八百万やおよろずの神という言葉があらわすように、この世のあらゆるものに神を見いだしていたからだ。神は絶対神ではなく、どこにでもいるものだった。どこにでもいるけれども、人間を超えたものを「神」と呼んでいた。仏すらも八百万の神の一つとして考えていた。
 こういう考えが広がれば、キリスト教、ユダヤ教とイスラム教の対立もなかったのかもわからない。北欧神話やギリシャ神話の、神がたくさんいる世界を、西欧の人々も今一度思い出し、振り返ってみるのが大切ではないだろうか。

 黄表紙当世とうせい大通仏だいつうぶつ買帳かいちょう芝全交しばぜんこう作、北尾重政しげまさ画、天明元年1781年、鶴屋つるや喜右衛門きえもん刊の三巻三冊の現代語訳を三回に分けて紹介する二回目。

 


中巻

 あわれなるかな刈萱かるかや石堂丸せきどうまる息子地蔵は、父をたずねて、大家おおや弘法大師こうぼうだいしとともに、居続いつづけの迎えに来たまう。
 
弘法「初回しょかいからもてるとはめずらしい。居続いつづけはせずに帰りやれ帰りやれ」
地蔵尊「そんならまず、ちょっと行ってこよう」
松若「もし、帰しゃせんよ。一杯飲んで行きなんし」
石堂丸「すごいもてもてだね、親父おやじさん」

 


 地蔵菩薩じぞうぼさつは、松若まつわかにベタぼれとなりたまい、ついに三回目の登楼とうろうとなりたまう。仏の顔も三度のとおり、店の者たちに一(一両の四分の一)のチップをはずみたまう。
 
地蔵尊「これからも来るから、よろしくたのみます。おれも将来、この子を女房にょうぼうにしようと思っている。独身のおれは、いつでもどんと来いさ」
松若「喜介きすけどんも一杯飲まっせい」
喜介「ありがとうござります」

 


松若「もし、地蔵さんえ。今夜はことわれない客が来やんしたので、一緒にはおれません」
地蔵尊「なに、気にくわねえなあ。まあ、こんなにたびたび来ていたら、こんなこともあるだろう。そんならおれはひと独り寝」
松若「代わりの女郎でもよこしやしょうか」

 


十一

 地蔵じぞう|は、相手女郎がいなくなり、ひとをすれども、さみしくて、芸者をあげれば痛い出費と、蛸薬師たこやくし三味線しゃみせん寝釈迦ねしゃか長唄ながうたおどりたまう。これを見て、皆人みなひと、「いよっ、地蔵様、ありがたやありがたや」と言うて、おひねりの賽銭さいせんを投げける。
 
寝釈迦「おれは相変わらず寝ぼけ声で、歌われねえよ」
チンチン、テンテン
蛸薬師「♪高いも低いも色の道~♪」
タコ「和尚おしょうおどりはすごいものだ」

 


十二

 地蔵菩薩じぞうぼさつは、松若まつわか屋の松若と深い仲となりたまい、今ははや、連れて逃げようとおぼしめし、蛸薬師たこやくしに相談に来たまう。
 蛸薬師たこやくしのたまわく、
「昔もこんなことがあった。謡曲ようきょく隅田川すみだがわ』に出てくる松若は、天狗てんぐがさらって逃げた。それも松若、これも松若、さいわいなことに、目黒の金比羅こんぴら大権現だいごんげんは仲間なので、天狗のめん羽根はねを借り、天狗になって逃げたまえ」
とおおせられる。
 
蛸薬師「なんと、タコが知れたことだ。タコタコあがれ、タコがあがればて食おう。とにかくその玉を連れて来たらこっちのものだ。早く実行実行」
地蔵尊「これは先生、よい計画だ。そんなら金比羅こんぴらのところへ今から行って、天狗のめん羽根はねを借りよう」

 


十三

 地蔵菩薩じぞうぼさつは、金比羅こんぴら大権現だいごんげんへ、しかじかのことを話し、めん羽根はねを借りに来たまう。
 
天狗「面は貸してやるが、性病持ちの女郎はやめとけよ。梅毒になって鼻が落ちてはならぬ。羽根はねは体に付いているものだからどうにも貸しにくい。とかく、どうにもならないものはかね羽根はねだよ。おれもこのごろは、金と羽根はねのやりくりに、ちと困っている」
地蔵尊「そんなら羽根の工面くめんは、こっちでなんとかしよう」
と、天狗の面ばかり借りて帰りたまう。
♪羽根の工面はこっちでせい、めんめこめんめこめん♪

 


十四

 地蔵菩薩じぞうぼさつは、羽根はね工面くめんに困りたまい、石の手水鉢ちょうずばちに向かって無間むげんの羽根をつきたまう。浄瑠璃じょうるり無間むげんかね」では、手水鉢ちょうずばちをうてば、三百両の金が与えられる。
♪こっちは羽根ならたったの三百枚、かわいい女にわれぬか。それよ、女ゆえには石となったる地蔵もあり、博多のおびは赤くなる。天秤棒てんびんぼうは上へる。とんだ茶釜ちゃがまはヤカンにける。目黒のもちは花となる。一念いちねんは、だれにもおとらぬ、開帳かいちょう開帳。この世はおろか、無間むげん地獄じごくはおれがかぶ、たとえこれにて腹がへり、昼飯ひるめし、夜食は一度に食うとも、だんないだんない大事だいじない。
 すでにかんとしたまうところに、二階の障子しょうじのうちよりも、その羽根はねここにと三百枚、雉子きじの宮の雉子きじ、さらさらさらとまきらす。このとき雉子きじは、いつもの鳴き声、ケーンケンに、無駄むだの「む」の字を足して、ムケーンムケーン、無間むげんの羽根と鳴きにける。
 
 これは夢かやうつつかや。ここに三枚、かしこに五枚、ひろい集めて持って行く。
雉子「なんと羽根も役に立つもんだねえ」

 


十五

 かかるところへ、目黒の犬がけつけ来たり、
今宵こよい松若まつわか様を連れてお逃げなさるなら、まずわたくしが先に偵察ていさつに参り、様子をお知らせもうしましょう」
と言う。
 今の世でも、偵察ていさつに行くスパイのことを「イヌ」というのはここからなり。
 
犬「なになに、こわくもワンともござりませぬ。キャンといういきな男となって参ります」
地蔵尊「そんなら様子を見てきてくれろ」

 


次回につづく、

 


「さあさあ買うた買うた。色よし味よし器量きりょうよし♪」
というバナナのたたき売りのように、江戸時代の開帳かいちょうでも、呼び込みのセリフは、人々をさそうものだった。
 十四場面のセリフも、こういう開帳のセリフが口コミで広がっていたのだろう。ネットがなくてもあっという間に情報が広がったのが江戸の町だった。
 ちなみに、「女ゆえには石となったる地蔵」は、そういう話があったのだろう。「博多のおびは赤くなる」は、献上品けんじょうひんがらをさし、「とんだ茶釜ちゃがまはヤカンにける」は、美人の茶屋娘、笠森かさもりせんを見に行ったら、いつの間にかヤカン頭のおやじにかわっていたことからできたことば。「目黒のもちは花となる」は、目黒名物「餅花もちばな」で、餅を木にさして花のようにしたもの。
 

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