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へマムシ入道昔話①~江戸のスペクタクルドラマ~天竺徳兵衛、へマムシ入道より蝦蟇の術を学ぶ

 時は南北朝時代、天竺てんじく徳兵衛とくべえは、父のかたき足利義教あしかがよしのりほろぼさんと、へマムシ入道にゅうどうから蝦蟇がまじゅつを学ぶところからストーリーが始まる。
 
 江戸時代後期に栄えた、絵と文が一体となった黄表紙きびょうしは、時代をシャレのめしていたが、寛政の改革かんせいのかいかくで、マジメ路線に変更となり、作者として活躍していた武士たちが戯作げさくの世界から手を引いて、作者、読者ともに町人中心となった。
 遊里をあつかった大人の絵本から、教訓きょうくんものに、そして、一般大衆が喜ぶ敵討かたきうちなどの活劇路線となった。ストーリーもだんだん長くなり、五ちょう(用紙五枚で十ページ)二三冊で終わっていたものが、何冊も続けた合巻ごうかんとなっていく。
 そんな中でも活躍を続けたのが山東京伝さんとうきょうでんだ。
 「へマムシ入道にゅうどう昔話むかしばなし」は、山東京伝さんとうきょうでん(1761~1816)作、歌川国直うたがわくになお(1793~1854)画で、和泉屋市兵衛いずみやいちべえから文化十年1813年に刊行された。

 へマムシ入道あるいはへマムシヨ入道は、へのへのもへじ、あるいはへのへのもへのと同じように、文字で描く絵である(「道」は草書そうしょ体)。耳の部分の「ヨ」を書いたり書かなかったり、読んだり読まなかったりする。
 「なんだこりゃ」と思ってタイトルを見て、本文中では、らくがきとは一線をかくすリアルな浮世絵で物語に引き込まれるようにしている。

 上中下三編六巻の長丁場ながちょうばの現代語訳(意訳)を六回に分けて紹介するその一回目。 

 


歌川豊国筆 一筆書き ふくがえるの図

両部りょうぶ斉鳴ひとしくなく邨舎暁そんしょうのあかつき
五音ごおん難和わしがたし管弦清かんげんのせいに

 

天竺てんじく徳兵衛とくべえ 
お初おはつ徳兵衛とくべえ

へマムシ入道にゅうどう昔話むかしばなし


全部六冊 和泉屋市兵衛いずみやいちべえ

 


第一回
序文じょぶん

 慶安けいあん元年(1648)の俳諧書はいかいしょ山の井やまのい」の雛屋立圃ひなやりゅうほの句に
絵に似たる顔やヘマムシ夜半よわの月
という句あり。これ正保しょうほ(1644~1648)のころの句なり。寛文かんぶん二年(1662)の「誹諧はいかい小式しょうしき」に、
見るもにく への字いただくヨ入道 まむしのさたはおかしませとよ
とあり。貞享じょうきょう元年(1684)の「西鶴さいかく二代男」に、へマムシ夜入道を屏風びょうぶにむだがきすること見えたり、かかれば、この筆すさみのらくがき、古きことなり。これをこの草紙そうし趣向しゅこう一端いったんとして子どもたちの目をなぐさむるのみ。
  山東京伝さんとうきょうでん
文化ぶんか九年(1812)夏作成
文化十年(1813)新春発行 



雷冠者いかずちかんじゃこと相模次郎さがみじろう時行ときゆき邯鄲かんたんの夢をみるてい



浪花なにわ男伊達おとこだて野晒のざらし悟助すけ 強きをくじくほね野晒のざらし
  悪者わるもの泥九郎どろくろうすっぽんになやまさる



菊池軍領きくちぐんりょうの娘粧姫よそおいひめ
  藻屑閑もくずかん道人どうじん、一名いちみょう変魔虫夜へまむしよ入道にゅうどう蝦蟇がま仙術せんじゅつ






 



第二回

 今は昔、南北朝の時代だろうか、丹波たんばの国村雲むらくも山の谷かげ藻屑閑もくずかん道人どうじんという者あり。つたうずもれる破れ屋根やね時雨しぐれも月もれるまま、窓にりたる髑髏しゃれこうべ灯火ともしびともるもすがら、静かに座禅ざぜん椅子いすに身を寄せ、世俗せぞくを離れた住み処すみかなり。
 夜もやや丑三うしみつころ、裏の竹やぶ切り破り、ぬっとでたる大男、家に入ると、道人どうじんの鼻先に足を伸ばして、
「これ、目をとじ、寝たふりをすることはない。こわいものじゃない。おれじゃ、俺じゃ」
と言う言葉に、道人どうじんは、見向きもせずにこたえていわく、
「ほほう、座禅ざぜんの部屋に音がするのは、そもさんいかん。なんじ盗人ぬすびとだろう。すみやかにれ去れ」
と言えば、
「ええい、いまいましい。そんな話は聞きたくない。年々のお布施ふせがたまっているだろう。それを出して渡さねば、こっちにも考えがあるぞ」
と、かたないて目の前へ出せども、まばたきもせぬ道人どうじんの様子に、さすがのぞくもあきれはて、
「なんともすさまじいやつ。よもや人間ではあるまい」
と思えば、ぞっとして、かたなもびりびりふるえ出す。
 道人どうじんは、カッカッと笑い、
「一人まいのこの家で、さみしく思うところにやって来た、ちょっと落ち着き、この夜をともかたらう気はないか」
「いやさ、話したけれど、からだがすくんで動かれぬ。これが金縛かなしばりというものか」
「はて、わけもない。金縛かなしばりというのは心のまよい。いてやろう」
と、座禅ざぜんの板をり上げ、はったと打てば、たちまちからだは自由になり、にわかに言葉もあらためて、
「もうし、道人どうじん様、お言葉にあまえてもうしますが、今夜、ぬすみに入ったのは、あのるしてある髑髏しゃれこうべがほしくてです。あれを私にくだされませぬか」
「むむ、変わったものをほしがる男だ。のぞみならばやりもしようが、わりに、ここに同居どうきょし、おれ托鉢たくはつに出るときの留守番るすばんをしてくれぬか」
「なるほど、宿もさだまらぬ盗人ぬすびとなので、願いはさいわいなれど、盗人ぬすびとに留守番をたのむとは、ちょっとあぶないものではございませぬか」
「さてさて、おれには方法がある。そなたが外に出られぬように、いましめをつけておく」
と、押入おしいれから白絹しらきぬ取り出し、盗人ぬすびとからだをぐるぐるきにする。
「こりゃこりゃ、なんとなされます」
「おお、これぞまことの金縛かなしばり、わしがゆるすと言うまで、くことならぬぞ。おきょうを読むあいだ、そこでばんをせい」
と言うと、別の部屋の中へ入ってしまう。
 あとには盗人ぬすびと一人残りしが、ややあって、うちうなづくと、窓にりたる髑髏しゃれこうべを取ると、しばられたまま表へ出て行く。
そのとき、声高く、
盗人ぬすびと、待て」
道人どうじんに呼び止められて立ち止まり、
「いやいや、盗みはせぬ。この髑髏しゃれこうべは、もらってゆくのだ」
「むむむ、北条高時ほうじょうたかときが子、鎌倉滝の口でり殺された、足利幕府あしかがばくふ処刑しょけいされた相模次郎さがみじろう北条時行ときゆき髑髏しゃれこうべをほしがるおまえは、なにかある者だろう」
「おお、この白絹しらきぬにある三つ鱗みつうろこのマークは、相模次郎さがみじろうが持っていたはた、これを私に巻き付けた道人どうじん殿どのは、私を時行ときゆき残党ざんとうとごぞんじあってのことじゃよな」
「うむ、いかにもそう思ってのこと、事情を話そう。さあ、こっちへ来い」
くせ者は、また部屋へもどり、道人どうじんは座ったまま「近く寄れ」とまねかたっていわく、 次へつづく 

 


 第二回は次回に紹介予定の第二巻の内容だが、一巻が絵中心だったので、どのような文章かわかるように、ここにせる。

 一巻の絵は、歌舞伎の一場面のような各場面を今後の予告編のように紹介している。
 本文は、第二回を見てわかるように、文字中心となる。文字中心の物語に挿絵さしえがついている。このような文章が合巻ごうかんである。
 黄表紙きびょうしは絵と文が一体となり、絵の中にセリフも入っている。ようするに文字の多いマンガのようなものだ。
 それに対して合巻ごうかんはまさに絵物語えものがたり。絵と文が、それぞれ独立している。
 ストーリーも、文章の途中で終わり、「さて、つづきはいかに。次回をお楽しみに」となっている。わくわくさせながら次々読ませようとしている、今の週刊マンガ雑誌のようなものだろう。

 


合巻ごうかんのもととなった黄表紙、その始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

これらの後半部分に、他の黄表紙の紹介も全てあるので、そちらも見てほしい。
 

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