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へマムシ入道昔話②~へマムシ入道からお初、徳兵衛恋の物語へ

 江戸時代に、江戸の町で広く読まれた大人の絵本黄表紙きびょうしが、長編化して合巻ごうかんというものが生まれた。
 合巻ごうかんへマムシ入道にゅうどう昔話むかしばなし」(1813刊)、山東京伝さんとうきょうでん(1761~1816)作、歌川国直うたがわくになお(1793~1854)画は、和泉屋市兵衛いずみやいちべえから刊行された。
 上中下三編六巻の現代語訳(意訳)を六回に分けて紹介するその二回目。 

 


 南北朝の時代、山奥に住む藻屑閑もくずかん道人どうじんの家に盗人ぬすびとが入る。盗人ぬすびとは、相模次郎さがみじろう時行ときゆき髑髏しゃれこうべを盗もうとするが、相模次郎さがみじろう時行ときゆき残党ざんとうとわかり、藻屑閑もくずかん道人どうじんに呼び止められる。
藻屑閑もくずかん道人どうじんのセリフからつづいてくる。

 


前のつづき 
「そもそも、が名を藻屑閑もくずかん道人どうじんというのは変名へんめい、まことはへマムシ入道と言いしもの。先年せんねん臨済宗りんざいしゅうそう夢想国師むそうこくしほうについてあらそい、大伽藍がらんを建てようと思いしが、将軍しょうぐん足利義教あしかがよしのりにじゃまされのぞみがかなわず、そのうらみ大きく、義教よしのりあだをなさんと、天竺てんじく蝦蟇仙人がませんにんじゅつを学び、この山中さんちゅうかくれ住み、チャンスを待っているそのとき、そちが、盗人ぬすびとには見えぬのに、この家へ忍び込むのは、きっとうろこはた時行ときゆき髑髏しゃれこうべをねらってのことだろうとさっし、はたを与えて様子ようすを見た推量すいりょうにまちがいはなく、相模次郎さがみじろう残党ざんとうだろう。つつかくさず本名ほんみょうかたって聞かせよ。早く言え」
「ははあ、さすがは仙術せんじゅつを使える道人どうじん。おっしゃるとおり、それがしは、先年せんねん足利義教あしかがよしのりほろぼされた相模次郎さがみじろう時行ときゆき一子いっし大日丸だいにちまる播州ばんしゅう高砂たかさごうら漁師りょうしとなり、天竺てんじく徳兵衛とくべえと名のっている者。この家に来たのも、この二品ふたしなゆずり受け、蝦蟇がまじゅつさずかり、その術をもって味方みかたを集め、義教よしのりほろぼさんがため」
「おお、いさましいこと。われ、かねて様々さまざま修行しゅぎょうをし、蝦蟇がまじゅつたれども、これをさずけるには、名のある名剣めいけんを千匹のかえる血潮ちしおひたし、これに蝦蟇がまじゅつをこめ、 次へ

 


前のつづき あたえるときは、仙術せんじゅつ不思議ふしぎ、心のままになる。そのため、われ豊前ぶぜんの国の大苫おおとまさが次郎じろうの家の宝、波切丸なみきりまるという名剣めいけんせんだってうばい取り、仙術せんじゅつをこめおきたれば、このつるぎをそのほうへ与えるので、蝦蟇がまじゅつを受けげば、からだかくし、姿を変えるは自由自在じゆうじざい。さりながら、雲を起こし、雨を降らすための極意ごくいは今一品ひとしな、世にもまれなるかがみを使い、このつるぎ合体がったいして初めておこなえる、 次へ

 


前のつづき そのかがみもまた、大苫おおとまさが次郎じろうの家に、満月まんげつという名鏡めいきょうあれば、なんじ、これをうばい取り、このつるぎ合体がったいすべし」
と言いて、波切丸なみきりまるを与えれば、天竺てんじく徳兵衛とくべえおしいただき、
「ははあ、ありがたし、ありがたし。このじゅつさずかれば、足利義教あしかがよしのりほろぼすこと、いとやすし。あらあら、ありがたや」
と、おどり上がってよろこびしが、手に持つ髑髏どくろを見て、
「それにつけてもこの髑髏どくろ、父の遺骨いこつのなつかしや。鎌倉の武将として尊敬され、四海しかい威勢いせいをふるった相模さがみ入道にゅうどう高時たかときの次男、相模次郎さがみじろう時行ときゆきと生まれし果報かほうはありながら、今はこの髑髏どくろの姿。われは、おさなくしてわかれたので、父の顔はうろ覚え、それにつけてもはかなき最期さいご口惜くちおしや残念や」
と、歯を食いしばり、こぶしをにぎり、無念むねんの涙ぱらぱら髑髏どくろに落ちければ、道人どうじん、これを見て、
「そう言うのももっともなり。なんじが父、相模次郎さがみじろう雷冠者いかづちかんじゃと名を変えて、信濃しなのの国戸隠とがくし山に邯鄲楼かんたんろうというやかたを作り、味方を集めようとすれども運命つたなく、足利義教あしかがよしのりとの一戦に負け、栄華えいがの思いも邯鄲かんたんの夢とめてしまい、無念むねん最期さいごをとげしなり。そこまでなつかしく思うならば、 次へつづく
 
挿絵さしえ左上は、
お初おはつ
腰元こしもと藻の花ものはな

 


前のつづき 今、わがじゅつで父の姿をあらわし見せん。これを見よ」
と、いんむすび、呪文じゅもんとなえると、さっとはげしき風吹いて、山河草木さんがそうもく鳴動めいどうし、天竺てんじく徳兵衛とくべえが手に持つ髑髏どくろより青き火、ひらひらと燃えあがり、大蝦蟇がまあらわでて、白き息をき、そこに相模次郎さがみじろうの姿があらわれたり。
天竺てんじく徳兵衛とくべえ、これを見るより、「あら、なつかしや、父上様」と言いつつ取りすがらんとしたりけるが、たちまちはげしき風が吹き、相模次郎さがみじろうの姿は消えせ、今まであった家も、へマムシ入道の姿も見えず。
「こは不思議ふしぎ不思議」と見上げる空から、カラカラと鈴のひびき、雲の中よりへマムシ入道、本当の姿をあらわし、
「いかに、天竺てんじく徳兵衛とくべえこと大日丸だいにちまるよ。われなんじかげにそいて、本望ほんもうをとげさすべし。さらばさらば」
と言い終わると、雲に乗って飛び去りぬ。
天竺てんじく徳兵衛とくべえ、ますます奇異きいの思いをなし、髑髏どくろはたふところへ、波切丸なみきりまるわきにはさんで立ち上がり、
「あらよろこばしや、このうえは、味方を集めて旗をあげ、足利義教あしかがよしのりほろぼさん」
と言いつつ、帰ろうとする後ろから、来かかる一人の芝刈しばかりの男、十四五なる娘を連れて、これを見て、
「はて、おそろしき計略けいりゃくや」
と、思わず声を発すれば、天竺てんじく徳兵衛とくべえこれを聞き、パッと刀を抜くとともに芝刈り男のクビをはね、返す刀で娘も共にと刀をり上げたれども、娘は「わっ」と驚く拍子ひょうしに、谷川へ真っ逆まっさかさまに落ちにけり。
「この谷川に落ちては、死ぬのは必定ひつじょう、よしよし」
と、うちうなづき、刀の血潮ちしおを滝の水で洗い流し、行方ゆくえも知らずなりにけり。
 
 つらつら思うに、昔より、わざわいの起こるきっかけは、貪欲どんよく色欲しきよくの二つなり。つつしむべきは、この二つなり。
 
 ここに、大苫おおとまさが次郎じろう家臣かしん天満てんま由利右衛門ゆりえもんの娘、お初おはつというは、見目形みめかたち美しく、「天満てんまお初おはつ」といって評判の娘なり。しかるに、同国平尾村ひらおむらに、平尾屋ひらおや徳兵衛とくべえという町人、大苫おおとまやかたへも出入りして、由利右衛門ゆりえもんの家にも心やすく来ては、かねてお初おはつとわけある仲となりて、「すえは夫婦」と言いわしていたものの、このたび粂野平内兵衛くめのへいないびょうえお初おはつをやるべき縁談えんだんまとまり、結納ゆいのうの取りわしまですみければ、 次へつづく
 
挿絵さしえは次回六の予告となっている。

 


前のつづき お初おはつはどうにもできず、「言いわしたる徳兵衛とくべえ様に顔向けできず」と、黙っていることできずに、これをふみにしたため、腰元こしもとの花に言いふくめ、ひそかに徳兵衛とくべえ方へ向かわせる。

 さて、油井あぶらい駄平次だへいじという男あり。かねてよりお初おはつしたい、「妻にほしい」と望みけれども、心しき男ゆえ、お初おはつの父の由利右衛門ゆりえもんが許さず、ほどなく平内兵衛へいないびょうえ方への縁談えんだんを決めたので、駄平次だへいじは大いに腹を立て、
「なんとかして、この縁談えんだんのじゃまをして、うっぷんをらそう」
と計画し、人をやって事情を聞けば、「お初おはつはかねてより平尾屋ひらおや徳兵衛とくべえと、わけあり」との情報を
「これはさいわい、その証拠しょうこを手に入れ、縁談えんだんをじゃましてやろう」
と思うおり、お初おはつ徳兵衛とくべえ方へ送るふみ腰元こしもとが持って行くことを聞き出し、泥九郎どろくろうという欲深よくふかの男をたのみ、
「途中でうばい取れ。うまくすれば褒美ほうびはずっしり、合点がってんか」
と言えば、泥九郎どろくろうはやすやすい、待ち伏せまちぶせし、腰元こしもとの花が持つ手紙をうばおうとしたるが、の花は男まさりで、なかなか手にあまり、ついにはかたなし通し、近くの古池へ蹴込けこみ、手紙をうばって行こうとすれば、たちまち草木揺動そうもくようどうし、池の水逆巻さかまき、大雨降りきたり、稲妻いなづま光り、 次へつづく
 
挿絵さしえは、「なんだこれは?」というもので、次回予告となり、期待をふくらませる。

 


 絵と文が一体となった黄表紙きびょうしと違い、合巻ごうかん文章中心となる。第一場面などは文章だけとなっている。絵のある本文も、余白にぎっしりと文字が入り、マンガではなく絵物語となっている。挿絵さしえも本文どおりではなく、次回の予告となっているものが多くある。

五場面   一場面



作者山東京伝さんとうきょうでんについてはこちらも、


 

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