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大違宝舟②~八百屋お七に浦島太郎、てんやわんやの黄表紙物語

 本や芝居によって江戸時代の人々がよく知っている人物が、次々に出てくる作品。「大違宝舟おおちがいたからぶね芝全交しばぜんこう(1750~1793)作、北尾重政きたおしげまさ(1739~1820)画、天明元年1781鶴屋喜右衛門つるやきえもん刊、上中下三巻の現代語訳(かなりの意訳)を三回に分けて紹介する二回目。

 


中巻

 八百屋おしちは、山庄大夫さんしょうだゆうつえで目をついて、眼病がんびょうとなり、いろいろ治療をするが、
赤エイのきもがいい
と聞いて、芝居に出てくる手白てじろのサルたずね、とおくの遠距離エンきょりそのエンさる猿公エンこうがいたので、サルに、竜宮へ行って、赤エイのきもを取ってきてくれと頼む。

お七「むちゃくちゃなお願いだが、そこが芝居を組み合わせてできたお七だ。どうぞ、頼まれておくれ」
サル「八百屋の娘なら、カンピョウやシイタケが目にはいいはずですが、こりゃまた珍しいお頼みでございます。赤エイのきもより、わたしの肝がつぶれました」

 


 竜宮りゅうぐう乙姫おとひめも、ようやく春になり、少し恋しくなり、手紙を浦島屋うらしまやに届ければ、浦島太郎うらしまたろうは、うれしくて、きっとお金をくれるという手紙だろうと、俵藤太たわらとうたにも見せようと、手紙入れと玉手箱たまてばことを取り違えて持って行き、思わず開けてしまった俵藤太たわらとうたは、ああら不思議、年をとってしまう。

俵藤太「まったくそそっかしい男だ。どうしよう、ジジイになってしまった。彼女に嫌われてしまいそうだ。それより、かたいものが食えなくなりそうだ」
浦島「これは気の毒、失敗失敗、堪忍かんにんしてくれ。竜宮へ行って、玉手箱を直さなければ、元の若さにはもどるまい。当分は白髪染しらがぞめでがまんしてくれ」

 


 さても富士田ふじた淡公たんこうは、金魚不背きんぎょうふはいの玉を竜宮に取られたので、なんとか良い知恵ちえをめぐらし、取り返そうと思う、ちょうどその頃、両国橋のたもとに、美しい比丘尼びくにがおり、比丘尼姿で売春していたので、淡公たんこうも、あまりの美しさに、何度も通い、ついには自分の身の上話もし、「竜宮へ行って、あの玉を取り返しておくれ」と頼む。伝説では、藤原不比等ふじわらのふひとが竜神に奪われた玉を、海女あまが取り返しているので、同じあま海女あまなので、この後は比丘尼びくにのことは「海女あま」と呼ぶことにする。

海女「あなたのためなら、玉も取ります、料理もします、尼もやめて髪も伸ばします。これがわたしの意気地いきじ。裸になるのは売春比丘尼も海女も同じ。海へ入って、玉を取ってきましょう」
淡公「そんなら坊主をやめて、俺の女房になる気か。そいつはうれしいが、当分は髪の毛も生えないだろうから、頭のてっぺんの毛だけ残した芥子坊主けしぼうずスタイルでもしていなよ」

 


 さても、いろいろ大間違おおまちがいとなり、俵藤太たわらとうた玉手箱たまてばこで失業し浪人ろうにんとなり、浦島太郎うらしまたろうは玉手箱の修理に困り、比丘尼びくに淡海たんかい公から玉を取ってきてくれと頼まれ、久々ひさびさ登場の手白てじろのサル八百屋おしちから赤エイのきもを取ってきてくれと頼まれ、短い黄表紙きびょうしに全部の話をおさめるために、よく相談をし、みんなそろって竜宮へ行こうとする。

浦島「まず海女あま踊り子おどりこにして、俵屋たわらや八兵衛はちべえが伴奏の三味線弾しゃみせんひき、俺が長唄ながうた、サルは芸者のお手伝いの若い者にばけて、竜宮へ行き、八大竜王はっだいりゅうおう有頂天うちょうてんにさせ、そのすきに海女あまが玉を盗み取る。海女の腰には長~いなわをつけ、引くのを合図に陸から引き上げる。淡公たんこうは陸で引く役になれ。八兵衛は竜宮の人魚を食って若くなるがよい。サルはそのすきに赤エイのきもを取ればよい。俺はそのさわぎにじょうじて新しい玉手箱を盗んで逃げよう」
と、みなみなこの相談に話をこじつける。
淡公「このついでに、俺のかかあの海女とも近づきになってくだされ。毛が生えるまでは芥子坊主けしぼうずさ」
浦島「この相談で行こうぜ」

 


十一

 さて、竜宮への相談も決まり、吉日を選んで竜宮へと船出する。海女あまは裸になり、腰に長~いなわをつける。

 


十二

 それより二万ほど船で行くが、船もくたびれたので、おとぎ話のとおりカメに乗って行こうとし、あまいお菓子を投げて、「カメよ、カメよ」と呼び、手をたたけば、カメ七、八匹、「お駕籠かごじゃなくて、おカメにどうぞ」と、泳いでやって来る。

カメ「東門とうもんの手前までなら二百もんずつで行きますよ」
カメ「東門までなら、もうちょっとイロをつけてくださいよ」
浦島太郎うらしまたろう俵藤太たわらとうたはカメの駕籠かごに乗って行く。海女あまはカメにうというので、サルにおぶさって行く。

カメ「相棒あいぼうよ、おなじみのサルさんと浦島さんだ」
カメ「ダンナ、昔は一匹で甲羅こうらに乗せましたが、今では竜宮にも駕籠屋かごやができました」
海女「昔のとおりにカメに乗るのが温故知新おんこちしんでよいと思いますよ」

 


十三

 八百屋おしちは、俵屋たわらや八兵衛はちべえ沙汰さたなしに竜宮へ行きたると聞き、追っかけて行こうと思えども、女の身で、行くべき方法もなく、心を苦しめていたが、しば毘沙門天びしゃもんてんへ七日おまいりして、なにとぞ竜宮へ行けるようにと願いければ、毘沙門天びしゃもんてんこと多聞天たもんてんは、願いを聞き入れ、七日目にお七に会い、
「いかにお七、なんじはすけべで焼きもち焼きなので、急いで竜宮へ行きたがる。それはわかるが、そんなにすぐにかなうことではない。しかし、地獄じごく沙汰さた金次第かねしだいで、今は、竜宮も金を使わなければ何もできぬ。そこで、俺が金を貸してやるので、竜宮から帰ったら、五両につき月一分つきいちぶの高利で、すぐに返金しな。なんじの帰り道に金を出しておく。決して踏み倒して逃げるなよ」
お七「それはありがとうございます。その代わりに、一生、毘沙門天びしゃもんてんの使いというムカデを食べません」
毘沙門天「とんだことを言う。ムカデが食えるものか。『ムカデを食べない』とは、あんまり虫がいい」

 


十四

 お七が、よろこび帰る途中に、ムカデがたくさん集まっているが、たちまち百両ばかりの小判となる。
お七「おやおや、ムカデが小判になった。毘沙門びしゃもん様のご利益りやくはありがたい。ここに三両、あちらに五両。これは夢かな。この金で、人気のかんざしと流行の色の振り袖ふりそでをこしらえて、竜宮へ行きましょう」

 


十五

 俵藤太たわらとうたが、竜宮の門番に言う。
「もし後から、八百屋やおやしちという娘が、わしを追っかけて来ることもあるだろう。決して竜宮城へ入れてはだめですぞ」
と頼みけるゆえ、「お七禁制きんせい」として、入れないようにする。お七は、ここまで来たが、門の中に入れないので、門番に例の小判を一両ずつ、そでの下のワイロとし、竜宮城へ入る。
門番「今は、竜宮城でさえ、これこのとおり、坊主もワイロを受け取る。これで一両とは、どうぞお入り、お入り」

 


登場人物が次々竜宮に集まり、次回につづく、

 


 作者、芝全交しばぜんこう(1750~1793)は、町人であり、代表的な黄表紙作家である。

全交ぜんこう法師ほうし常々艸つねづねぐさより


 画像は、黄表紙「全交ぜんこう法師ほうし常々艸つねづねぐさ」(寛政六年1794、鶴屋喜右衛門つるやきえもん刊、芝全交しばぜんこう作、北尾重政きたおしげまさ画)より、模写。

世の中のよし よきことは なさずとも
しきは深くつつしむぞ よき

 

 彼の代表作であり、黄表紙全体を代表する作品でもある「大悲千禄本だいひのせんろくほん」はこちら、


 挿絵の北尾重政きたおしげまさ(1739~1820)は、浮世絵師として北尾派をおこし、弟子には北尾政演まさのぶ山東京伝さんとうきょうでん)、北尾政美まさよしがいる。黄表紙には二百部以上に挿絵さしえを描いている。

 版元はんもと鶴屋喜右衛門つるやきえもん(?~?)は、江戸時代の出版社で、三代続いた。蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろうとともに有名。浮世絵を多く出版した。
 

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