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大違宝舟①~正月の宝船には七福神の黄表紙

 宝船には、大黒天だいこくてん毘沙門天びしゃもんてん恵比寿天えびすてん寿老人じゅろうじん福禄寿ふくろくじゅ弁財天べんざいてん布袋尊ほていそん七福神が乗っているが、こちらの作品はそれが一般の知識とは大違いだといっている。そして、皆が知っているいろいろな人物が次から次へと出てくる大サービスの物語。
 黄表紙きびょうし大違宝舟おおちがいたからぶね芝全交しばぜんこう(1750~1793)作、北尾重政きたおしげまさ(1739~1820)画、天明元年1781鶴屋喜右衛門つるやきえもん刊、上中下三巻の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する。
 宝船は、七福神の乗った船で、その絵を正月二日の夜に、枕の下に敷いて寝ると良い初夢を見るといわれる。

 


上巻

 ここに中臣鎌足なかとみのかまたり改め大職冠だいしょっかん藤原鎌足ふじわらのかまたり公の息子、藤原淡海ふじわらのたんかい不比等ふひと公は、公家くげの姿が苦しく、おもしろくないと思い、なんぞ洒落しゃれた者にならんと思うところ、今は昔と違い、貴族たちも和歌(短歌)ではなく、三味線しゃみせんつきで長唄ながうたをすることが中心となり、淡海たんかい公も長唄をよく歌いたまうが、長唄修行のため、江戸へくだり、隅田川すみだがわあたりで長唄を歌って世を渡りたまう。
 藤原の「藤」の字と淡海たんかい公の名をあわせて、富士田ふじた淡公たんこうとぞもうしける。芸人となったので、芸事を助ける、深川ふかがわ洲崎すさき弁財天べんざいてんを信仰するが、あるとき、天女てんにょから金魚不背きんぎょうふはいの玉という、ビードロガラスの中へ金魚を入れたものを、淡公たんこうにくださる。

天女「いかに淡公たんこう善哉ぜんざい善哉ときたもんだ。われは、おまえが信仰する弁天べんてんだ。この玉をおまえにやろう。金魚不背きんぎょうふはいの玉といって、玉の中に金魚の形があって、どこから見ても金魚が見える。それで、金魚そむかずというので、金魚不背きんぎょうふはいの玉という。どうだ、ありがたいか。我の持つ宝珠ほうじゅも欲しかろうが、それはやらぬ。けんたまは弁天につきものだ。よって、弁天は剣玉けんたまを持つし、男は金玉が大切だ。そう心得こころえよ」
淡公「これはありがとうございます。しかし、わたしは毎日十二もんずつお賽銭さいせんをあげているのに、ビードロの金魚とは、ちょっとちょっとでござります。まあ、ケチでなければ、あなたのように金はたまらないのでしょうね」

 


 富士田淡公ふじたたんこうは、金魚不背きんぎょうふはいの玉をもらってうれしく、急いで帰ろうと、洲崎すさきから船に乗って帰ろうとするところへ、竜神りゅうじんが、この玉をうばおうと、わにを出現させ、玉を取らせる。

淡公「さあさあ、とんだことだ。わにってのは本当はサメのことで、海にいるもので、川にはいないが、シャレた世の中だ。川からわにが出るとは、なんてこった。ついでに、挿絵さしえもサメには見えねえ。
わかった、わかった。命にはかえられねえ。玉をやりましょう。待て待て、あわてるな。ちゃんとやるぞ」
船頭「やれ、助けてくれろー。わにの目にも涙じゃろうが。さて、こいつを見世物みせものに出したら、よい金もうけになりそうだ」
鰐「なんと、シャレたワニだろう。俺も、この川では有名なワニさ。さあ、玉をよこせ」

 


 またこの頃、俵藤太たわらとうた秀郷ひでさとは、北面ほくめんの武士の奉公ほうこういやになり、淡海たんかい公の長唄ながうたにひかれ、富士田ふじた淡公たんこうの弟子の三味線しゃみせんとなって、秀郷ひでさとの一字をとって、秀屋ひでや里十郎さとじゅうろうとして、淡公と一緒に座敷ざしきに出るが、もとより、よき色男なので、女中、後家、娘、女房にまでむやみにいちゃつき、三味線はつけたしとなり、口先だけのヒモ暮らしとなる。竜宮りゅうぐう乙姫おとひめも、里十郎にれてしまい、浦島うらしまは恋の取り持ちをする。浦島太郎うらしまたろうは、浦島屋という茶屋を出して暮らしている。

淡公「おまえも、乙姫おとひめさんを口説くどいて、茶屋でも出してもらいな」
浦島「竜宮りゅうぐうの人間は、金は使いますが、ちょっと寝室ではエッチすぎるね」

 


 竜宮りゅうぐう乙姫おとひめは、秀郷ひでさとに首ったけとなり、毎晩、浦島屋へ通い、八大竜王はっだいりゅうおうがせっせとためた金を、一人娘の乙姫に食いつぶされる。

乙姫「おーい、浦島屋、わたしだわたしだ、なんと押活おしかつ押活の熱烈ねつれつファンだろうが」
浦島の女房「おや、おとさんかえ、よういらっしゃった」
腰元こしもとおふぐ「フグは食いたし、命はしい。わたしゃゼニが惜しいわい。」

 


 さても秀郷ひでさとは、竜宮りゅうぐう乙姫おとひめにお世辞せじ攻撃こうげき、半分ウソも交えながら、ついには乙姫のヒモとなり、茶屋を出してもらい、八大竜王はっだいりゅうおうの八の字と、俵藤太たわらとうたの俵を取って、俵屋たわらや八兵衛はちべえと名のったが、乙姫おとひめは、だんだん金がなくなって、それから目がめたように遠ざかり、ついには大晦日おおみそかまで便たよりがない。秀郷ひでさとは、たびたびふみを送れども、いっこうに返事がなく、ことに正月の準備も、乙姫を頼りにしていたので、気をもんで、浦島太郎を呼んで相談すれば、浦島も、年末準備に乙姫を当てにしていたので、「俺もおとさんに会いたいが、どうしたものだろう」と、さまざま相談して、
浦島「わしに思案しあんがある。芝居の『阿波あわ鳴門なると』や『八百屋おしち』を見ると、恋しい人の書いたふみを燃やすと、その姿が出現する。だから、乙姫の文を燃やせば、乙姫が出てくるだろう」
と、ふみを燃やすと、浦島も秀郷も調子者なので、乙姫の手紙と芝居のパンフレットを取り違えて燃やせば、不思議や不思議、湯気ゆげの中から、山庄大夫さんしょうだゆう八百屋お七が現れ出る。

山庄大夫「われは、山椒大夫さんしょうだゆうならぬ山庄大夫さんしょうだゆうなり。乙姫が出るはずが、なんだこりゃ、というところだろうが、そこが芝居のおもしろいとこだ。これが今の流行はやりだ。まあ、俺たちも、とんだところへ出てきたが、そっちも手紙を取り違えた粗相そそう粗相、お互い様さ」
お七「八兵衛はちべえさん、俵屋たわらや八兵衛はちべえさん。わたしはおまえにれたわいな。今まで俵藤太たわらとうたとえっちはしたことがないけど、今の娘は尻が軽いものさ」
俵藤太「これは困った困ったこまどり姉妹。お七は金で売ることもできるが、親父をどうしよう。大晦日おおみそかだというのに、とんだ居候いそうろうを二人もしょいこんだ。」

 


 さても山庄大夫さんしょうだゆうは、俵屋たわらや八兵衛はちべえの裏に引っ越し、八百屋お七色事いろごとのもめごとで店を追い出され、親の久兵衛きゅうべえと一緒に、俵屋たわらやの隣に引っ越し、八百屋を始めるが、お七は俵屋たわらや八兵衛はちべえとの色事で、毎晩、裏でえっちする。このことを山庄大夫さんしょうだゆうが知って、恋のじゃまをしようと、ある夜、俵屋たわらや八兵衛はちべえがトイレに入っているすきに、山庄大夫さんしょうだゆうが待ち伏せしているのを知らず、お七は、八兵衛だと思い、抱きつけば、そのひょうしにつえで目をついてしまう。

 


 ありゃありゃ、なんてこった。目を痛めたお七はどうなるか、次回につづく、

 


 現代とは考え方の違う江戸時代の話さ、と、不適切にもほどがある部分はお愛嬌あいきょうだと思って見てほしい。
 数年前までは夜這よばが当たり前にあった地域もあるし、盆踊りは地域によってはフリーセックスの場でもあったのだから、「性」に関する考えも時代とともに変わっていく。売春をする遊郭ゆうかくがあっただけでなく、当時の八百屋お七のような一般女性も、性に関しては自由な考えを持っていたのだろう。多様性を認めて、江戸時代の黄表紙を楽しんでほしい。

 


黄表紙の始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので一度は見てほしい。
 

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