鸚鵡返文武二道③~鳳凰も麒麟も出てくるめでたさよ
作者恋川春町(1744~1789)は、本名、倉橋格、駿河小島藩の江戸勤めの武士。黄表紙の始祖であるだけでなく、浮世絵や狂歌、戯作をよくした。
黄表紙は、だいたい正月に発行されるが、この作品を発表した後、当然のように幕府から呼び出しが4月にあった。それを、病気を理由に断り、7月7日に亡くなっている。世間では、病没とはいうものの自殺ではないかとうわさされた。
友人の朋誠堂喜三二(1735~1813)も、本名、平沢常富、秋田久保田藩の江戸留守居役であり、藩主から注意を受け、黄表紙から手を引く。こうして武士たちは、黄表紙から去って行くこととなり、江戸の文壇は山東京伝などの町人中心となった。
そんな問題作である黄表紙「鸚鵡返文武二道」(恋川春町作、北尾政美画、1789蔦屋重三郎刊)上中下三巻の下巻最終回の現代語訳の紹介。
下
十二

延喜の帝は、政治を菅秀才にまかせ、
「大国の政治は大まかな方がよい。大通の楽しみは金銭を使いまくるがよい」
と、高殿にて少しお酒を飲めば、都の中が、馬術稽古の騒動でなんとなく騒がしければ、次にように歌を詠まれた、
高き屋に登りて見れば騒ぎ立つ
民の気取りは間違いにけり
帝「さてさて、これはけしからんありさまだ」
十三

天皇は、高殿より降り、さっそく菅秀才を呼び、相談された。
帝「武芸も大切だが、高殿よりながめれば、大きなまちがいだった。『勇猛を好んで学問を好まざれば、世は乱れる』というところだ。早々になんとかしなければ」
菅公「帝のおっしゃること、ごもっともに存じます。わたくしも、最初から学問が大切とは思いましたが、先生となるべき儒学者がいなかったため、出てくるのを待っていましたが、このたび一人さがし出しましたので、早く申し渡しましょう。今の世に儒学者はたくさんおり、朱子学者も山のようにおり、荻生徂徠派の学者もいくらでもおりますが、経済の道(経国済民=国を治め、世を救う)を得た者はござりませぬ」
帝「経済とはなんのことだ。『さい』というからには野菜の仲間か」
十四

ここに大江匡房という、文武二道の学問もでき、武士の大将、八幡太郎源義家の師範となった人あり。老年になり、世を逃れ、阿波の国に隠れ住みけるを、菅秀才、呼び出したまい、文章博士となされ、国民に聖賢の道を教えよと申し渡される。
菅公「最初から漢字だらけの中国の書籍では、やる気にもならないだろう。『論語』や『孟子』もひらがなのルビつきの本がよかろう。その教材には、わたくしがひらがなで書きました『九官鳥の言葉』という書物がよかろうかと思います。学校の教科書にして国民に読んで聞かせればよいでしょう」
十五

大江匡房は、文章の博士となり、日々、学校で授業をする。そのとき、菅秀才の「九官鳥の言葉」も読めば、それを聞く人、日々増えにける。
匡房「さあ、ここで菅公の『九官鳥の言葉』を読みましょう。天下国家を治める政というのは、時と勢いと位との三つが必要です。たとえば、『春、凧を揚げるようなものだ』と菅公の『九官鳥の言葉』にくわしく書かれています」
生徒「菅秀才公はありがたい人だ。まさに賢人だ」
十六

延喜の聖帝、菅公の賢さ、匡房の儒学、これらが合体すれば、国民すべてが、文を右にし、武を左にして、ひらがな書きの「四書五経」を読んでいたのが、今では漢字付きの文をさっさっと読んでいく。
先生「経済の勉強は『韓非子』、飲むには剣菱だ」
弟子「『荘子』は格別におもしろい」
十七

学問の道、日々盛んになり、孝悌忠信の道、さかんに行われ、この時代に「延喜式」「延喜格」という法典もできる。
菅公が書かれた「九官鳥の言葉」も出版され、世間に広まる。
客「菅公の『九官鳥』をくだされ」
本屋「凧揚げの話はおもしろうござります」
十八

天下国家を治むるは、凧を揚げるようなもの
というたとえを、
凧を揚げれば、天下国家は治まる
と心得違いをして、いい年の大人が、「われも、われも」と凧を揚げれば、鳶の形の凧を見て、「友だちがいる」と勘違いして、なんと本物の鳳凰が飛んでくるとは、なんともかんとも、延喜の時代のめでたさよ。
公家「大名は大凧を揚げなければなるまい。小名は、ふつうの凧でいいだろう」
武士「旗本は、普通の凧。それ以下なら、小型の凧でいいさ」
鳳凰「なんと、トンビの凧を見間違えてしまった。聖代だから出てきたものさ」
十九

聖代の親玉、孔子が、
「乱世の今は、鳳凰は出てこず、黄河に龍馬(想像上の動物)が出てこない」
と、おっしゃられたが、今度、鳳凰が出てきたのは、まことにめでたいことなので、多くの人にこれを見せようと、大徳寺前の茶店に命じ、そこで庶民に見せたまう。麒麟も出てきたけれど、これは隅っこに置いて見せける。
めでたしめでたし
おしまい
北尾政美画
醍醐天皇(885~930)の治世は、はじめは藤原時平(871~909)と菅原道真(845~903)の二人を左右大臣とし、理想的な政治をしていたが、後に藤原時平の言葉を受け入れ、菅原道真を太宰府に左遷した。そんなことはあるものの、理想の天皇だと思われた。
十二場面は、仁徳天皇の、
高き屋に登りて見れば煙立つ
民のかまどはにぎはひにけり
をふまえている。
炊事の煙が登らぬ姿を見て、食べるものもなく、民が苦しんでいるからだろうと、自身も倹約をし、その結果、民も豊かになったことを、かまどの煙で感じた。民衆のことを考えた天皇だったといわれる。
そういうすばらしい政治が行われると、十円玉に描かれる平等院鳳凰堂の名となった鳳凰があらわれるといわれる。またキリンレモンやキリンビールでおなじみの麒麟は、首の長いキリンとは違い、泰平の世にあらわれるといわれる想像上の動物(キリン商品のマークのイラスト)。
最終十九場面のような、ペットカフェが江戸時代にもあり(鳳凰や麒麟はいないけど)、当時は外国産のクジャクを見せる茶屋があったといわれる。挿絵は、その茶店の様子を描いたものと思われる。
江戸時代には、現代でも流行するようなものがたくさんあった。黄表紙では、絵があることによって、そういう時代の風俗を知る事もできる。
かつての日本には、こういう現代マンガの原型ともいえる作品があった。
