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這奇的見勢物語①~山東京伝の考証的随筆につながる黄表紙

 昔は見世物みせものというものがあり、珍しい人や動物、物などを、金を取って見せていた。
 「親の因果いんがが子にむくい、世にも珍しいヘビ女。さあ、ってらっしゃい見てらっしゃい」というやつだ。本当かウソかわからない見世物を、さらに本当かウソかわからない黄表紙きびょうしにしたのが本作品である。

 「這奇的こはめずらしい見勢みせ物語ものがたり」は、山東さんとう京伝きょうでん作、北尾きたお重政しげまさ画、享和きょうわ元年1801年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう版の三巻三冊。
 サブタイトルは「昔男むかしおとこ生得いけどり」で、正式名称は「昔男むかしおとこ生得いけどり這奇的こはめずらしい見勢みせ物語ものがたり」となる。
 その現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する。

 


上巻
じょ

 唐土もろこし観物場かんぶつじょうというのは、日本の見世物みせもの芝居しばい小屋ごやのことなり。中国のしょ避暑録話ひしょろくわ」(宋代の葉夢得しょうぼうとくの会話の記録)にさる狂言きょうげんのことがあり、「五雑組ござっそ」(みん代の謝肇淛しゃちょうせいの書)に梯子はしご曲乗きょくのりあり。長毛国ちょうもうこく熊女くまおんな徒然草つれづれぐさ鬼娘おにむすめ、ともによき見世物みせものとなり。遼東りょうとうぶた軽業かるわざは、ありふれたものなので、世間知せけんしらずのたとえに使われ、鎌倉幕府の執権しっけん北条ほうじょう高時たかときが犬の相撲すもうに熱中しすぎたのは亡国ぼうこくきざしとなる。看板かんばんにいつわりなしといえども、外は菩薩ぼさつで心は夜叉やしゃ、いつわり多きは人の心なり。見物の見るところ、口上こうじょうが指さすところ、善悪ぜんあく邪正じゃしょう、すべてこれ天地てんち間の見世物であり、親の因果いんがは子にむくい、息子のしりは親父がぬぐう。みなさん、左様さようじゃ。すべてむくいじゃないかいな。
 京都に流行はや四書ししょ五経ごきょう、大坂にては道徳どうとくきょう、伊勢は白子しろこ観音経かんのんぎょうにいたるまで、さぐり求めて見勢みせ物語ものがたり、胸のからくり、心のしな玉、手品の玉投げジャグリング、作者の筆の一本竹。
 さてまた次の軽業かるわざはいかに。まずどんな話が出てくるか見よ。

 


 むかし男ありけり。奈良のきょうに住みて、春日屋かすがや鹿平しかへいという。この人、諸国しょこくをめぐりて、異類いるい異形いぎょう種々しゅしゅ雑多ざった見世物みせものを買ってきて、これを見世物みせものにして、金をもうけるのを得意とくいとしけるが、あるとき、つらつら思うに、世の中の人の心は、わが渡世とせいとしている見世物みせもののごとく、看板付かんばんつき(評判、見た目)はりっぱに見えても、心の中へ入ってみれば、みなみな愛想あいそうのつきるのが人の心なり。もし、人の心が、目に見えるものならば、満足なものは少なく、たぶんなにかけた者だらけだろう。これ、一つ、目のつけどころなりと思いつく。
 
鹿平「人の心のさまざまなる、りこうあり、ばかあり、ぜんありあくあり、おにありほとけあり。仏もあれば生きとし生きる衆生しゅじょうあり。衆生しゅじょうあれば山姥やまうばもあり。山姥やまうばあれば金太郎もあり。金太郎がいれば熊女くまおんなもあり。こんなことをならべてもとめどがない」
 金太郎は、山姥に育てられたといわれ、金太郎は熊と相撲すもうをとっていた。

 


へびむすめ見世物みせもの
 このへび娘は、丹波国たんばのくに爺打郡ててうちごおり栗木村くりのきむらに住むたぬき角兵衛かくべえという猟人かりうどの娘なり。(右上)
 この娘、幼きときよりヘビをあつかい、手習てならいや縫物ぬいものを教えても、ぬらりくらりとヘビとばかり遊んで、覚えず。容色ようしょくは十人並みにすぐれていたが、とても親の思い通りにはならぬ娘なので、ちょっとでもましになるようにと、子守り奉公ぼうこうに出しけるが、ますますヘビと遊び、居眠いねむりはするは、動くにもしりが重く、ときどき仮病けびょうまでつかうので、ついに一年も勤めずひまをもらい、そのうち、油売あぶらうりの女房となり、はなはだ貧乏に暮らしけり。
 ちなみに、「油を売る」とは、仕事もせずにさぼることなり。
 油を売る男も、ヘビをつかう女と夫婦になっては、貧乏になるはずなり。これがほんのいい見世物みせもので、ヘビをつかってなまける者に対して、よきいましめなり。
 
女「おまえは油を売る、わっちはヘビをつかう。そのむくいで米びつがからになりかけた。お金もないから、この帯締おびじめをげて、なべへ入れるつもりさ」(画面)
男「本当のヘビかと思って、びっくりした。そんなに苦にするな。つらいヒモ(日も)あれば、いてうれしいめしもありさ」

 


女の力持ちからもちの見世物みせもの
 女の黒髪くろかみで作ったつなは、大きなぞうをもつなぐという。女ほど男に対して力の強きものはなし。城をかたむけ国をかたむけ、土地に家屋敷いえやしき金蔵かねぐら米蔵こめぐらかたむけるは、みな女の力なり。また、よくよく考えれば、これは女の力というよりも、みな色欲しきよくの力によるものなり。おそるべしおそるべし。
 
 持参金じさんきんをたんと持ってきた嫁は、碁盤ごばんでローソクの火を消す(右上)。これらは前段なり。
 
 亭主ていしゅの鼻毛を見ぬいた女房は、大酒を飲んで酒樽さかだるのような亭主を、小指の先であしらう。おそろしき力なり。「亭主の鼻毛」とは、女房が亭主を思い通りにすることなり。
男「さてさて、よいよい、さてよい、さてよい。おれがかかあを、どっとほめておくれ」(右画面)
 
中央の花嫁「この持参金を鼻にかけたいが、鼻が低くてかけるところがない」
 
 遊女高尾たかおは、大八車だいはちぐるまにつんだ身請みうけの大金たいきんを、なんの苦もなく持ち上げて、二階まで登る。(左画面)
「三味線にあわせて太夫たゆう梯子はしごにさしかかります。さてよい、さてよい」

 


唐渡からわた名鳥めいちょう見世物みせもの
 猩々しょうじょう隠居いんきょというのは、顔がキジのごとく赤く、足は千鳥ちどりのようにひょろつき、舌がまわらない鳥で、なにかというと、息子の銭金ぜにかねを取ってはコウコウコウコウ親孝行おやこうこうと鳴く。猩々しょうじょうは、真っ赤な姿の精霊せいれいといわれる。
「おれの息子はケチなやつで、ろくな酒を飲ませない。岩田の『すやま』でなくては飲めぬ飲めぬ」
 
 おいらんだ渡りの金傾鳥きんけいちょうは、かねかたむける鳥と読んで、一度鳴けば、すぐに金財布かねざいふかたむく。いたって毛色けいろは美しく、頭にはべっこうのかんざしのようなとさかが何本もある。胸には剣羽つるぎばをかくし、晦日みそかの月の出るときに四角な卵を産む。おそれつつしみて、近づきがたい鳥なり。
 ちなみに、人間の傾城けいせいが客にまごころをもつはずがないことを意味する「卵の四角」と「晦日みそかの月」という言葉がある。晦日みそか旧暦きゅうれきの月末で、この日は新月しんげつで月が見えない。四角の卵なんて、あるわけない。
 
 なまけ隠居いんきょというのは、少しも後生ごしょうを考えることもなく、おきょうを読む鳥や数珠じゅずかけのハトをあざ笑い、ただ栄耀えようを考え、息子のぜにをへらし、小言こごとばかり言う鳥なので、なまけ隠居いんきょと名づける。
 
 日待ひまち夜鳥よどりは、オウムのごとく、よく人のマネや三味線の歌や浄瑠璃じょうるりをさえずる、といえども、全体の毛は白と(素人しろうと)にて、胸の毛ばかり黒と(玄人くろうと)なり。
左下の男「このあいだは、かぜをひいて声をだいなしにいたしました」
 
 手しゃくは、ぐいのみ、おうきり、やけざけなど、さまざまな名あり。ついには酒のために激痛げきつうしゃくをおこして人のやっかいとなる。一生、羽を伸ばして高く飛ぶことのできぬ鳥なり。

 


熊女くまおんな見世物みせもの
 亭主ていしゅ女房にょうぼうにあまくては、必ず家はまとまらぬものなり。亭主の心を見ぬいた女房は、おのずと心がおごり、くまの皮のようなビロードのおびをしめ、ツキノワグマの月の輪のようなくしをさし、アナグマのようにコタツに入りこんで、わがままばかり言っている。このような女ほど、熊の膏薬こうやくのように、べたつくものなり。女房に鼻毛はなげをよまれる、つまり、女房のいいなりになる、べらぼうな亭主と、きもふといアナグマのような女房と、ケンカをすると、とちめんぼうを引きあう。「とちめん棒をふる」とは、うろたえあわてる様子をあらわす言葉なり。これを、熊女くまおんなのべらぼう(棒)引きともうすなり。
 
亭主「あめんぼう(棒)でもあるまいに、アメのようにしゃぶるな」

 


 ここまでが上巻。
 本当かウソかわからない見世物みせもののあれこれを、さも本当のように見せながら、次々並べて次回につづく、

 


※文中に差別的な表現もあるが、時代背景を考え、そのままの表現としている。
 
 そもそも見世物みせもの自体じたいが差別的なもので、それを人々はおもしろがって見ていた。
 作者京伝きょうでんは、女郎を二回も本妻として迎えており、差別的な人間ではないが、時代が差別を当たり前にしていた。差別の時代でありながら、差別されがちな盲人もうじん障碍者しょうがいしゃが家にとじこもるのではなく、普通に生活をしていた。そんな時代でもあった。
 京伝きょうでんは、いろいろなものに興味きょうみを持ち、その由来ゆらいなどを調べたり、自分で考えたりしている。それを考証こうしょうといい、本当のこと(本当だと信じていること)を後に京伝は随筆ずいひつとしてしるすようになる。

 


黄表紙の始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775年)の現代語訳は、こちら、

黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」(1785年)の現代語訳は、こちら、

これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
 

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