這奇的見勢物語②~人の世の見世物を次々並べる山東京伝の黄表紙作品
変わったものを見せる見世物小屋が当時はあったが、それを人間社会にあてはめ皮肉たっぷりに描いた黄表紙作品。いろいろなことがらを図鑑のように並べており、ストーリーらしいストーリーはない。
「這奇的見勢物語」は、山東京伝作、北尾重政画、享和元年1801年、蔦屋重三郎刊。
三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する二回目。
中巻
六

小判娘の見世物
「金が仇の世の中」とは、歌舞伎の定九郎の金言。「金ならたった三百両」と、これまた芝居で梅が枝は言う。
されど、知恵や才覚ではどうにもならぬのが金銀の工面で、使うはかんたんだが、もうけるのは難しい。誰しもほしがる金なれば、また、金ゆえに身を亡ぼすことも多い。とかく不義の財産はむさぼるべからず。
ああ、金なんて、ほしくもなんともないなあ。
小判娘ともうすのは、小人島から来たようなせいの低い娘なれど、体じゅうに持参金の小判がはりつけてあるので、亭主を尻にしき、金で横っ面をたたく。金の威光の強さを知るべし。
♪金にうらみは数々ござる。亭主の面をはるときは、七両二分と響くなり
浮気をした間男は、見つかったら慰謝料として七両二分払えば許されたそうな。
おたふくも、亭主の目には、顔が小判に見える。
七

軽業の見世物
軽業師が一本の綱を渡るのを、「あぶない、あぶない」と見ているけれど、人の世を渡るのは、それよりも、なおあぶなきものなり。少しでも世渡りによそ見をすると、すぐさま綱をふみはずし、商売の腰の骨を折り、借金の淵に沈むこと、目前なり。世渡りは、剣の刃の上を渡る心で、少しも油断せず、大事に思うべし。
人間の一生の軽業に、いろいろの名あり。
〇夜中の一杯酒
〇じゃまがら念仏踊りのこけおどし
〇金が大事の邪見のてい、よこしまな考え
〇質の蔵入り蔵がえし
〇寝相の悪い大の字
〇むごいの金渡り
これら、みな気をつけて、つつしむべき軽業なり。
人の世渡りするのを見れば、あぶなく見えてしまうことも、わが身のことには気がつかぬ。ああ、うかうかしてはいられぬ、いられぬ。
犬なぞは、四本足で渡るので、もっとあぶない。
あんま「あんまけんびき、はりとう、はりとう」
おでん屋「この儀、首尾よくつとめますれば、まずはおかわり。おでんおでんおでんおでん、でんでんでんでんでん、あんばいよし、おで~ん」
八

大酒くらい掛け多きが破れ財布身代大からくり
最初に、まずお目にかけまするが、親代々の持丸長者の店の様子、土蔵造りのりっぱな店で、軒にはツバメが巣をつくり、表向きは繁盛しているように見えまするが、帳場では番頭が居眠りをして、手代や小者は相撲をとって遊びます。
さて、もっと内へ入って見たところ、はるか向こうに並んだ金蔵、銭蔵、米蔵が、みんなからっぽなところが目に入ります。次は、女郎屋通いの道楽息子、千畳敷の座敷で遊んでいる。たくさんの燭台がきら星のごとく輝いて、太鼓持ちはそばからおだてれば、道楽息子はうつつをぬかし、おもしろそうに見えますが、これも年末の借金取りが来れば、借金取りの提灯がずらっと並びます。借金のおかわり、おかわり。
これを名づけて、大酒食らい、借金の掛けが多い破れ財布、身代大からくりと名づけます。
主人の心の糸の引きようで、からくりよりもなお変わりやすきは人の身代なり。油断すべからず。
左下の男たち「なるほど、看板付きはりっぱな店だが、内側をのぞいて見れば大きなからくりだ」
九

家業八人芸
牡丹餅は棚にありといえども(「棚からぼたもち」)、棚から落ちた牡丹餅はもううまくはない。「富貴天にあり」(天の力で富や位は得られると「論語」にいう)といえども、なまけていては天にある富貴もやってはこない。「果報は寝て待て」といえども、橋の上に寝ている乞食に果報が来たためしもなし。朝はめざしにお茶菓子、暮れにはともし油、夜更けは具材たっぷりのしっぽくそばと、一人で八人芸のように売ってかせげば、どのような貧乏人も、すぐに金持ちになる。かせぐべしかせぐべし。
八人芸の売り子「土佐裃や外記袴、半太羽織や義太股引、河東炭消しや豊後梅、新内若芽に干し大根、メリヤスの手袋、鼓草や笛竹太鼓、火鉢ぺんぺん草のお入り用はありませぬか、八人芸の安売り安売り」
右の男「さてさて珍しい商人じゃ」
「なるほど、よくかせぐ。『稼ぎに追いつく貧乏なし』。飛脚に追いつく韋駄天なしだ」
十

猿の狂言の見世物
猿の狂言を見て笑い興ずれども、猿のほうで人間の一生、喜怒哀楽にもんもんし、世の生活に苦しむさまを狂言にして見たならば、また笑うべし。猿の人まね、猿利口、お猿のお尻はまっかっか。牛蒡焼いておっつけろ、などと、ややもすれば猿を安く見ているけれど、見ざる聞かざる言わざるなどといって、猿のほうにはおしいほしいの欲の皮、喜怒哀楽の苦しみなく、無我夢中に暮らすので、人間よりは、はるかにましなるべし。
猿の観客「人間は、おいらより三本毛が多いというが、さてさて、おろかなものだ。おいらの仲間は犬よりほかは、けんかなどしたことはないが、夫婦げんかをしては家財道具を壊すとは、本当によい見世物だ」
「もしもし、となりのおばさん、おまえ、門口へ人間をおろしておいでくださったか」
「亭主めが、人間みたいな目をして、かかあをにらんでいるさ」
「人間の狂言はあさましいものだ」
「これ、猿公、おぬしの羽織は、人間の攪乱の色あいだねえ」
十一

達磨男の見世物
達磨大師は九年のあいだ壁に向かい、尻がくさるほど座禅をして、ようやく悟りを開きたまう。
人の芸を学ぶのもそのとおり、気を長くせねば上手にはならない。合点か合点か。
「達磨さんがた芸者衆、多くの中でこの一つ悟られぬものは金と女だ。お手が鳴ったら拍子と悟り、片手鳴らして一生を悟るがいい」
正月の「門松は冥土の旅の一里塚」、うかうかするとこのとおり髑髏となる。ご用心ご用心。
見世物を次々並べ次回につづく、
※文中に差別的な表現もあるが、時代背景を考え、そのままの表現としている。
当時の見世物について、ウソも交えながら考証しているのが本作品。ところで、浮世絵師について考証した太田南畝の「浮世絵類考」(寛政二年1790年)に、本作の翌年、享和二年1802年に京伝が追加の考証をしている。(「浮世絵類考」は、複数の人物が追加の考証をしている)こちらの作品は黄表紙ではないのでウソは創作していない(本当だと信じていることを書いている)。
京伝は、享和四年1804年には、文化、風俗、生活に関する考証の「近世奇跡考」を刊行する。
当時の生活がわかる考証物として有名な京伝の「骨董集」は、文化二年1815年頃から書き始め、未完のまま京伝は亡くなっている(1816年没)。
これらの考証物を通して、江戸の生活がわかってくる。
