江戸の生活あれやこれ~誹風柳多留の江戸の古川柳より
江戸時代の人々は、どのような生活をしていて、どのようなことを考えていたのだろうか。現代の我々とはかけはなれているようだが、それを知ることによって今に生かせるものもあるだろう。
江戸の人々のちょっとした動作や、週刊誌ネタのようなものに対する思いも出てくる江戸の川柳を見ていこう。
江戸時代の川柳を古川柳という。七七の問題(前句という)があり、それに対する五七五を一般人がつくり投稿する(最終的には五七五七七となる)。優秀作には賞金が出るというものだった。
その優秀作を集めた「誹風柳多留」の作品を紹介する。わかりやすい表現にした句と原文の句と前句を並べているが、原文の前の数字は、「誹風柳多留」の巻数と作品番号。次の4-164の句は、4巻の164番目の句になる。
ふり袖でたびたび上の句をくずし
4-164 ふり袖で度々上の句をくずし 本望な事本望な事
これはカルタの情景。江戸時代には百人一首のカルタ遊びが広がった。人々は寺子屋で文字を習っているので、ひらがなで書かれた百人一首のカルタ札が読めるのだ。もちろんルビのついた本も読める。
読めるけれども百人一首の歌を完全に暗記しているのは振袖姿の若い娘。彼女は上の句をちょっと聞いただけで札を取る。それを「上の句をくずし」と表現している。句の途中で取ってしまうのだ。
それは彼女にとっては「本望なこと」だろう。
「本望なこと」という題材を与えられて、うん、カルタ名人の若い娘だ、と思いついて作った句。
くつわ虫寝しなに一つゆすぶられ
4-189 くつわ虫寝しなに一つゆすぶられ あまりこそすれあまりこそすれ
戦争のない太平の世ともなると、人々の生活にも余裕ができ、ペットを飼うことも増えた。ペットまでいかなくとも、虫の飼育も流行した。
ここではくつわ虫を飼育しているのだけれど、くつわ虫はうるさい。そこで虫かごをゆすって鳴きやませてから寝るのだという。
文部省唱歌の「虫のこえ」では、松虫はちんちろちんちろちんちろりん。鈴虫はりんりんりんりんりいんりん。こおろぎはきりきりきりきり。うまおいはちょんちょんちょんちょんすいっちょん。そしてくつわ虫はがちゃがちゃがちゃがちゃ。たしかにうるさい。
前句の「あまりこそすれ」は鳴き声のことをいっているのだろうか。
武蔵坊あつたらことに上言葉
4-672 むさし坊あつたら事に上言葉 程程がある程程がある
武蔵坊弁慶は源義経の家来として有名で、歌舞伎などでもよく知られていた。そこでは勇壮な東国言葉でしゃべっているが、まてよ、弁慶は比叡山で修行していたので関西出身じゃないか。ということは、やさしい上方言葉(京都の言葉かな)でしゃべっていたのだろう。こりゃ残念だ。という句。
前句は、ほどほどにしとけよ、というのだが、地域の交流も多くなり、上方言葉にふれることも多くなった江戸の庶民のちょっとした感想なのだろう。
もちっとのことで鮎まで皆殺し
4-121 もちつとの事で鮎迄みなごろし 前句不明
太平の世の江戸時代だが、慶安事件(1651年)という大きなできごともあった。由井正雪らの反乱だが、未然に発覚した。由井正雪は、玉川上水に毒を流そうと計画していたといわれる。そんなことになったら大変なことになるが、川柳の作者は、そうなると川の鮎も全滅するだろうなと、句にしている。
住民を混乱させるテロ行為も、鮎の話にもっていくほど世は太平だったのだろう。というよりも、そんなふうに考えなければならないほど、おそろしい出来事だったのかもわからない。戦争はなくとも、天変地異が多くある日本の国土であり、大きな火事の多い江戸の町でもあったのだ。
「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、
タイトル画像は合巻「へマムシ入道昔話」より、
合巻は黄表紙が長くなったもので、ストーリー中心の物語。それを黄表紙の代表作者、山東京伝が描いている。
合巻のもととなった黄表紙についてはこちらも、
