世上洒落見絵図①~シャレしゃれ洒落の江戸の町のマンガ絵本
これは関西だけのことなのか、テレビをつければ吉本興業を中心に芸人だらけ、しかも落語や漫才をするのではなく、生活の素を出しながらのバラエティーが中心。M-1とかザ・セカンドとか演芸番組もあるけれど、芸の後には司会者が芸人を呼んで、素の思いを引き出す。芸なんてどこにもなくなってしまう。テレビの中の人が、別世界の人ではなく、近所の兄ちゃんやおじさん、おばさんになってしまう。いつからこんなことになったのだろう。
おっと、はるか昔の江戸時代にも、同じようなことを書いた本がある。
「世上洒落見絵図」は、山東京伝(1761~1816)作、菊亭画、寛政三年1791年に蔦屋重三郎から出版された。菊亭は、京伝の別名で、この作品の前年、遊女菊園を妻として迎えていることにちなんだ名だろう。
三巻三冊の現代語訳(かなりの意訳)を三回にわたって紹介する。
上巻
序
洒落ること難し。黄山谷(中国の詩人)が云く、茂叔(中国の儒学者)が胸中洒落たること、光風霽月(すがすがしい)の如し。此が洒落というものか。当世之洒落は洒落に非ず。なお廡下の扁螺の房、堂上の猫兒の屎之洒落たるごとし。悉く皆本意を失い、且行過て、頭を前の十字番の楹に觸に及ぶ也。於戯、洒落ること難し。
山東京伝識于 菊亭
一

風鈴の音を鳴らすので夜蕎麦売りを知り、笛の音を鳴らすので按摩と知るのは昔のこと、今は、人さし指をまげてみせると、質屋に質をおくことと悟るは、なるほど、しゃれた世の中だ。
ここに絵草紙の作者、京伝というもの、例の役にも立たない本のアイデアを考え、一人、机に向かっているそのとき、家の前を、
「洒落見の絵図、洒落見の絵図」
と呼びながら通りければ、京伝、はたと手を打って、
「ああ、つらつら思えば、世の中の人の心、こうでもないああでもないと、むしょうにしゃれしゃれしてみたところの、すえはいかなるものになるだろう」
と、一人つぶやけば、すなわち一つの趣向がうかび、
「うれしや、ならば書こう」
と、筆をもって、さあ文章をつづろうと、そうでなくとも道成寺、これはソーダだ、そうだそうだと笑止千万。
売り子「♪親父もしゃれれば息子もしゃれる、娘もしゃれれば乳母もしゃれる。しゃれてしゃれて洒落見の絵図洒落見の絵図。おんあぼきやあ、ベエろしあのうまかもだら」
木魚の音に曰く、
ポクポクポク、タボタボタボタボタボ
「タコタコあがれ、あがったら煮て食おう」
二

昔から、天地一番の戯場といわれる芝居というものは、もともと勧善懲悪を描くものなれど、いつしかおおいにしゃれてきて、見物も、理屈くさい狂言(芝居)より、目先のおもしろい狂言をよろこび、楽屋落ちをうれしがるようになりければ、だんだんしゃれしゃれして、今は早、狂言は全部やめてしまい、舞台で、役者の家の様子をそのまま見せければ、大入りにてはめをはずす。
市川団十郎の出番、団十郎、素顔で普段着のままで、俳句をつくっている。本当の女房のお亀、奥から出てきて、
「このまあ、息子の海老蔵は、なにしておることぞ」
と心配する様子。「どりゃ、縫い物でもしようか」と言うのを合図に、幕の奥から、「若旦那のお帰り」と声がして、海老蔵も素顔にて、外出着で、市川升五郎に手を引かれ、出てくれば、見物は、「わあっ」と言って、拍手が鳴り止まず。
「この次は、浜村屋(瀬川菊之丞)の家の様子だそうな。巳祭りで、役者が集まるところだとさ」
三

今どきは、秘仏を公開する開帳なぞも、信心で参る者は少なく、やれ近くの水茶屋によい娘がいるの、仲介の役者がやって来るの、という評判を聞き、それを見に参詣するので、かんじんの本尊の仏像はなくてもすむと、こちらも大しゃれにしゃれてきて、本尊は最初からやめにして、仏像のかわりに美しい娘と色男を立たせて、秘宝を出すのもやめにして、また、あいきょうを引き出すお守りや運をつけるお守りはまだるっこしいと、女郎買いに行くと最初からほれられて、女郎の方から金を出して会いたくなるお守りや、宝くじを買うと一等二等と最後まで手に入るお守り、百両の支度金で嫁に行き、跡継ぎを生むお守りを出せば、老若男女貴賤つどって参詣する。
「転んだところでお金を拾うお守りも、これから出ます」
四

猿の芝居や小犬の輪くぐり、鼠が人形をくわえて来ることなどは古いが、最近の蝙蝠の軽業、これは近年の洒落と思えば、そんなことではなく、見世物もだんだんしゃれてきて、鸚鵡が芝居の役者の声色をつかいものまねをし、九官鳥が芝居の長唄の歌まねをする見世物が出る。なんとまあ、このうえのしゃれようがあろうか。
鸚鵡「最初に出まするが、高麗屋市川高麗蔵錦升でござります。
宵に降ったる雨上がり、沢辺の葦のざわざわと」
九官鳥「ふけてきぬたのなあ~音さえゆかし」
トッチリトントン
客「おいらはさっぱりこんな芸はないから、すみっこ暮らしでてれて見ている」
五

あるお寺の和尚、毎日毎日、地蔵菩薩の本堂建立の寄付を集めに出かけるが、本堂の足しにはせず、自分の生活費にばかり使うので、本尊の地蔵尊、思いたまうに、こういうことではどうしようもない、このうえは、あいつらを出さずに、おれが自分で出かけようと、かたじけなくも地蔵尊みずからお出になる。されば、今は、仏も人に助けられる世の中、とんだしゃれたものなり。
地蔵尊も、自分の口から「地蔵菩薩本堂建立」とも言いにくく、また、だまして歩くわけにもいかず、
「わたくしの建立建立」
とは、ありがてえね。
昔なら、石の地蔵様が歩けば、やれ、ありがたいのへちまだのと、人々がさわぐ場面なれど、しゃれた世の中なので平気で、あたりまえに思っている。
地蔵「今までは、あいつらが寄付を集めては無駄遣いをしていた。一生のじぞうそんだ」
芸能人の私生活をあばいたり、次々しゃれのいきすぎを描きつつ、次回につづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
