古今集、新古今集の歌を中学校の教科書で学ぶための勉強室
日本では、文字がまだない時代から、五七五七七の「歌」がつくられた。自然と心に浮かぶ思いを、誰もが言葉にしていた。
平安時代になると、「ひらがな」というものがつくられ、歌を文字で書いて作るようになった。そういう歌は、文字が書ける人のものとなり、さらに、好きなら「好き!」と直接思いをそのままぶつけるのではなく、頭で考えるような歌が多くなった。
知的で繊細、優美な歌が多いといわれる平安時代の「古今和歌集」の歌は、東京書籍「新しい国語」3年にこんな歌が載っている。
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ 紀貫之
(夏に)袖をぬらしてすくった川の水が(冬は)凍っていたのを、立春の今日の風が吹き溶かしているのだろうか。
山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば 源宗于
人もいない山里はとりわけ冬が寂しさを強く感じる。人も訪れず草も枯れてしまうと思うと。
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 小野小町
うたた寝で恋しい人を夢に見て以来、夢というものを頼みにし始めた。
ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平
神の時代にも聞いたことがない。竜田川の水を紅葉があざやかな紅色に染めるとは。
「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」の歌は、目の前の情景というより、想像した二つの風景の比較となっている。つまり、頭の中で考えている歌。夏の景色、冬の景色を比較し、さらには今の春の景色までを並べている。この歌のまえがきにあたる「詞書」には、「春立ちける日よめる」と、立春に詠んだとある。さらに、ダジャレである掛詞を多用している。
「むすび」は、手ですくう「掬ぶ」と糸を「結ぶ」の両方の意味をあらわす。「はる」が、「春」と氷が「張る」。「たつ」が、春が「立つ」と布を「裁つ」。「とく」が、「溶く」と「解く」の、それぞれ二つの意味になっている。これが掛詞。
関連した言葉をわざと使うことを縁語といい、ここでは袖に関連した言葉を並べている。糸を「結ぶ」、布を「張る」、生地を切る「裁つ」、糸や帯を「解く」などがあてはまる。着物や帯を連想させる言葉が使われている。
「風や」の「や」を係り助詞といい、最後が「とくらむ」と終止形ではなく連体形になる係り結び。違った終わり方にすることで、えっ、と思って、そこを強調することになる。
いろいろな言葉を並べた歌の最後が「とく」(解く)で、すべてを解いて、氷も溶けて終わっている。なんせ複雑に言葉がからみあっている。
文の切れ目である句切れなし。
ストレートに思いをぶつける万葉集とちがって、古今集では、いろいろな技法を使う。
紀貫之(872~945)は、古今集の編者であり「土佐日記」の作者でもある。それまで男性は漢文で文章を書き、ひらがなは女の文字だといっていたが、ひらがなの書きやすさから、紀貫之が自分を女性に見立てて書いたのが「土佐日記」である。「古今集」でも、ひらがなでまえがき「仮名序」を書いている。
「山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば」の歌は、百人一首でおなじみの歌。
「山里は冬ぞさびしさまさりける。」と五七五。と「。」をうって意味が切れるので、句切れは三句切れ。
また、「冬ぞ」の「ぞ」は係り助詞で、本来は「まさりけり」、「けり」と終止形で終わるところを連体形「ける」となっている係り結び。本来の形と違うので、聞いた人は「はっ」となるので、季節は「冬」なんだ、「さびしいんだ」ということを強調することになる。
とはいうものの、係り結びが多用されるようになり、いつの間にか「けり」ではなく連体形の「ける」のような形が終止形となって今にいたる。「いたる」のように終止形が「ウー」となるのが現在の動詞だ。言葉というものは日々変化している。
また、前半と後半が倒置法になっており、「人めも草もかれぬと思へば、山里は冬ぞさびしさまさりける。」となるべきところを順を変え、人も草も、なんにもないんだ、ということを強調している。
源宗于(?~939)は、天皇の孫であったが臣下となり源の名字をもらう。歌のうまい三十六歌仙の一人。
「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき」の歌は、夢の中で好きな人に会えた。日常ではなかなか会えないから、夢で会えることを期待するようになったという歌。
「てふ」は「という」が短縮されたもの。
小野小町(825~900)は、あきたこまち(秋田小町)に名を残すように、○○小町として美人をあらわす言葉のもととなった美人で、さらに、世界三大美人の一人と……日本人が言っている。
ちなみに、小町以外の三大美人は、クレオパトラと楊貴妃だといわれる。
小野小町は美人だけあって恋の歌が多いが、三十六歌仙の一人でもある小町は、歌の会にも多く参加し、「恋しい人に会えないとき」という題でこの歌を詠んだのかもわからない。つまり、実際の恋愛ではないのかもわからない。
万葉集のようにストレートにその場の思いをうたうのではなく、考え、想像しながらつくった歌もだんだん増えてくる。
「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」の歌の、「ちはやぶる」は「神」という言葉を出すためのまえおきの言葉で、枕詞といわれる。「たらちねの」→「母」のように、枕詞はもとの意味がわからなくなったものが多く、訳さなくていいが、「ちはやぶる」には、荒々しいという意味がある。昔は、神は荒々しいものだという認識があったのだろう。
神の時代からも聞いたことがないといっている。竜田川に紅葉が浮かび、川を赤く染めている。その赤は、唐紅で、外国産の赤い色だといっている。まあ、今まで見たこともないような赤さだった、ということだろう。
在原業平(825~880)は、「伊勢物語」の主人公にされる恋多き貴公子。
古今和歌集は、紀貫之(872~945)が中心となって、紀友則(850~904)、凡河内躬恒(859?~925?)、壬生忠岑(860~920)の四人で編集した。醍醐天皇の命でつくられた勅撰和歌集で、約1100首がおさめられている。
さらに頭を使い、幻想的で、幽玄、華麗といわれる鎌倉時代の「新古今和歌集」の歌は、同じ教科書にこんな歌が載っている。
ほのぼのと春こそ空に来にけらし 天の香具山霞たなびく 後鳥羽上皇
ほのぼのとまさしく春は空に来たなあ。夜明けの天の香久山に霞がたなびいている。
道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ちどまりつれ 西行法師
道のほとりに小川が流れ、柳が涼しい木陰を作っているところに、わずかな間休もうと立ち止まったのだが……。
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家
見渡してみると春の美しい花も秋の美しい紅葉もない。海辺の粗末な小屋の周りに広がる秋の夕暮れ(これもまた美し)。
玉の緒よ絶えねば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
私の魂の緒よ、消えるならば消えてしまえ。このまま長く生きていれば、秘密の恋に耐え忍ぶ心が弱まってしまうから。
「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく」の歌は、大和を代表する天の香具山の春霞たなびく夜明けの情景をうたっている。
「春こそ」の「こそ」は係り助詞で、終止形「けり」ではなく、連体形「ける」+「らし」=「けらし」となっている係り結び。春なんだぞと強調している。
「ほのぼのと春こそ空に来にけらし。」と、五七五。となる三句切れ。
後鳥羽上皇(1180~1239)は、「新古今集」の編集を命じている。天皇、上皇の命でつくられた歌集を勅撰和歌集という。
「道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」の歌の、「道の辺」は、道のほとり。水辺の柳の木が日陰をつくっている。しばし休もうと旅の途中で立ち止まった。
「しばしとてこそ」の「こそ」は係り助詞で、「立ちどまりつ。」ではなく、「つれ」と已然形で終わっており、そこを強調し、少しのつもりがずっと休んでいたなあ、となる係り結び。文の途中で終わり、読者に「ずっといたんだろうな」と想像させるようにしている。
「道の辺に清水流るる柳陰。」の三句切れ。
西行(1118~1190)は、旅をしながら歌をつくっており、後の時代の松尾芭蕉があこがれた人物。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」の歌は、美しさの代表である花も紅葉もない浜の粗末な漁師小屋の情景。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり。」と終わる三句切れ。文末を「秋の夕暮」という名詞、体言でおわらせる体言止め。名詞で終わり、「秋の夕暮」を強調する。清少納言が「秋は夕暮れ」といってから、秋は夕暮れが美しいといわれた。そこに、他に何も美しいものがない「美」を見いだしている。
藤原定家(1162~1241)は、「新古今集」編集の中心となっている。また、「小倉百人一首」を選んだことでも知られる。
「玉の緒よ絶えねば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」の歌は、百人一首にもある私の好きな歌。なんとも情熱的じゃないか。こんな恋をしてみたい。でも、ちょっと重いかな。
人には魂があって、魂は体とひもで結ばれている。このひもを「玉(魂)の緒」といい、このひもが切れると命がなくなると思われていた。死ぬほどの思いの恋の心を「玉の緒」に託して詠んでいる。
「玉の緒よ絶えねば絶えね。」と五七。で意味が切れている二句切れの歌。
式子内親王(1149~1201)は、後白河天皇の娘。式子内親王ともいう。
「新古今和歌集」は、武士の時代となった鎌倉時代に、政治的な力を失った貴族たちが、「和歌は武士にはわかるまい」と、これでもかというぐらいにわかりにくい歌をつくっている。教科書には、わかりやすい歌を選んでいるけどね。
歌を選んだのは六人といわれるが、中心は藤原定家。1205年に完成した後鳥羽上皇の命による勅撰和歌集で、約2000首がおさめられている。
これらを参考にして、テストでいい点がとれるようにしてほしい。
この夏休みに、力をつけよう。
そして、ちょっとでも興味が出たら、もっとくわしく歌について調べてほしいし、他の歌も見てほしい。きっと、心が少しだけ豊かになると思う。
以上、全3回の解説の最終回。
解説の中に百人一首の歌もあるが、百人一首の現代版訳詩はこちら、
秋の夕暮れをすばらしいといった清少納言の「枕草子」冒頭文はこちら、
