書かずにはいられなかった。(3)
という、著者北村匡平氏がwebちくまから始まった「藤井風論 ー救済の音楽」。
今年の5月まで16回予定の中、12 月下旬に6回目と、先週7回目がアップされました。
まずは、第6回目「満ちてゆくこと」。
「満ちてゆく」を初めて聞いたのは、2024年の紅白歌合戦だったんですね。ニューヨークからの生中継で、最後に美しく輝く朝日が印象的でした。
まだその時は「最近のイケメンの子が、いい曲作ったね~♪」程度だったのですよ。
しかしその半年後、MUSIC AWARDS JAPANで聴いた「満ちてゆく」に圧倒されて・・・・
なぜか防御していたw心の壁が、ふわっと溶けて・・・
遂に、風沼に落ちていったのです。
「手放すこと」やそれに近い「切断」を示唆する歌詞には、解放や自由を意味する言葉が続くことが多い。藤井風は複数の楽曲で、繰り返し〈手を放す、軽くなる、満ちてゆく〉と通ずるメッセージを私たちに伝え続けているのである。
そうなんです!
「満ちてゆく」のサビである、「手放す」ことによって、「軽くなる」、それが結果的に「満ちてゆく」という経験があったからこそ、今の自分があって・・・
じわっと溢れる「豊かさ」を、愛でることができるから。
風さんの曲に、自然に落ちていけるんです。
私たちはすでに多くのものを持っている。等しくみんな受け取っている。何かに固執して求め続けていると、心のスペースは欲望に占有されてしまい、渇望はおさまらない。だが、私たちはすでに与えられている。内なる声に耳を傾け、すでにすべてをもっていることに「気づくこと」が、何より重要なのだ。
本当にそうなんですよね・・・
「すでに」すべてを持っていることに、「気づくこと」だった・・・。
藤井風自身は、この曲で歌われている「あなた」は「自分の中にいる愛しい人」であり、「自分の中にいる最強の人にしがみつきたい」「守りたい自分の中の自分を失ってしまったら死ぬほうがいい」ということを歌ったのだと述べている。
世界的にヒットした「死ぬのがいいわ」は、はじめはよくわからなかったのですが・・・
この内容を知った時は、驚きました!!
なんと、ここまで謳っていたのか、と。
藤井風の歌詞が、具象的なものを捨象することによって、小さなものから大きなものまでを包括する力をもっているからだといえるだろう。このような抽象化の作用は、連載第2回で述べたように、「周囲にある小さな日常の世界が、壮大なスケールの世界観と直結する想像力」を引き出すのだ。
そうなんです。
小さな日常が、壮大なものと繋がってしまった。
その全てを包括してしまう、美しさ・・・
何度聴いても、飽きることのない風さんの曲は
瞬時に沁みわたリ過ぎて、もう~~~、どうしようもないのです♪
次に、第7回目「一つになること」。
みんな同じものの一部。海に例えたら一人ひとりが泡。泡ってプチッてしたらもう海になっちゃう。(略)それをプチッて潰して一つの大きなものと一つになったら、自分はもうほんと大きな一つのものの一部だって思えると思うし、‟みんな一緒なんや”って思うと思うし、みんな同じもんでできとるし、みんな同じとこから来て、同じ所に流れていくんやって思える。海の泡の話はオトンがしてくれたんやけど。
素敵です、オトン様!!
そのお父さま始めご家族があって、今の風さんの曲があるんですね・・・
藤井風は、自他の壁がほどけ、みんなが一つのものの一部として溶け合っているような世界観で物事をとらえているのだ。
藤井風の歌詞に頻出する「一つになること」の本質は、西洋近代の価値観を前提とする「個人主義的人間観」や、科学的事実のみを真実としながら現代社会を覆い尽くしている「統計学的人間観」では、十分に接近することができないだろう。彼が語るエゴ(自己)がない状態。あるいは自/他の境界がなくなって大きな一つのもののなかに溶け合っている状態とは、確立した「個」を前提としない「関係論的人間観」に限りなく近い。
以前、こんな記事を書いたことを思い出しました。
こちらはドイツの哲学者が、関係性を「意味の場」と表現してましたっけね。
まさしく「個人主義的人間観」や「統計学的人間観」ではなく・・・
ひとつに溶け合う、「関係論的人間観」!!!
この稀代のアーティストの存在は、資本主義が行き詰まりを見せ、ソーシャルメディアが優劣を数値化し、強者による侵略戦争さえ横行するいま、閉塞感に覆われた時代を生きるほかない私たちにとって、一縷の「救い」に感じられるのかもしれない。
風さんは、難しい哲学書ではなく
音楽として、アーティストの立場から「本質」を歌う。
そんな風ミュージックに触れると
本来の人間の姿を思い出されて、「救い」を感じざるを得ない・・・
私は藤井風の放つ言葉の端々に、こういった「与格」性のようなものを感じる──メロディも言葉も、私にやってきて留まる。彼にとって音楽は、インタビューで不意にこぼしたように、自ら生み出すというよりも、器としての「私」にやってきてくれるようなものなのではないだろうか。だとすれば、いったいそれは、どこからやってくるのか──。無論、その答えは、インドの人びとにとってと同じように、藤井風の歌詞に頻出する「神」という語へ、自然に結びついてゆく。
「神」。
今の時代だからこそ。
縄文の時代から、脈々と流れるDNAが
「帰る」ことを、魂の底から求めているから・・・。
昨日はデビュー6年目の日だったそうです。
魂の故郷であるインドで開催された、Lollapaloozaに出演されました。
現地で拝見されていたんですね・・・
はい。
涙が止まりませんでした、ありがとうございます!!
長文お付き合いありがとうございました。
いいなと思ったら応援しよう!
拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。
できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡