【S3|身体性の哲学】ココロに響く声 —— 浸透する波長というデザイン #2
第2回|声と信頼
人は、コトバで信頼しているわけではない。
そう思うようになったのは、
いくつもの違和感を経験してきたからだ。
正しいことを言っている。
論理も通っている。説明も丁寧だ。
それなのに、
なぜか腹に落ちないことがある。
逆に、
言葉数は多くない。説明も十分とは言えない。
それでも、
なぜか任せてもいいと思ってしまう瞬間がある。
私たちは、
コトバそのものではなく、
その人の「声」を聞いているのではないか。
ここで言う声とは、
音量や話し方、滑舌の良さのことではない。
もっと奥にあるものだ。
言葉が発せられる、その手前。
感情や思考が、まだ形になる前の層。
ウソの声は、
どこかで無理をしている。
正しいことを言おうとするほど、
声に、余計な力が入る。
逆に、
本心から出た声は驚くほど静かで、
主張しないのに、
なぜか届いてしまう。
私は、
「この人は信用できるか」を
頭で判断しているわけではない。
声が先に答えを出していて、
そのあとで理由を探している。
だからこそ、
信頼は一瞬で生まれ、
そして一瞬で崩れる。
取り繕った言葉よりも、
ほんの一言の声色が、
すべてを決めてしまうことがある。
これは、
合理的な判断ではない。
けれど、
非合理とも違う。
長い時間をかけて沁みついた、
私たちの身体の判断だ。
声は、
その人が積み重ねてきた時間の総体だと思う。
生き方。
迷い方。
逃げなかった瞬間。
そういったものが、
声に滲み出る。
だから私は、
コトバよりも先に、声を聞く。
信頼とは、
あとから説明できるものではなく、
先に感じてしまうものなのだと思う。
連載一覧(マガジン)はこちら
D4G Worksについて
私が運営する「D4G Works」では、デザインを通じて社会や生命の営みをより良くする実践を進めています。
詳しくはこちら → D4G Works公式サイト
