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【S5|自然と文化】機能をカタチにしたものが優れている訳ではない=流線型の罠 #2

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第2回 流線型が象徴した憧れと、その影

合理性に見えて、実は時代の幻想だった流線型デザイン。


1.流線型という夢

1930年代、アメリカを中心に「流線型デザイン」が人々を熱狂させた。
列車、飛行機、自動車、家電。あらゆる製品が流線型のフォルムをまとい、未来とスピードの象徴となった。

それは確かに美しく、当時の人々の想像力を掻き立てるものだった。
だが同時に、そこには「形態は機能に従う」という神話を補強する幻想があった。
流線型は必ずしも空気抵抗を減らすために採用されたわけではなく、機能的に見える形=合理的に思える形として人々の欲望に応えただけだったのだ。

50sは1930年代のリバイバルだ

2.デザインはイメージ戦略だった

冷蔵庫や掃除機といった家電にまで流線型が施されたことは、その象徴だ。
空気抵抗の恩恵など不要な場面で、丸みを帯びたシェルを纏わせることに意味はあっただろうか?

それでも人々は惹かれた。
「合理性が宿っているに違いない」という信仰がそこにあった。
つまり、流線型は機能から必然的に生まれたデザインではなく、人々が信じたい物語を体現したデザインだったのである。

3.同じ時代、日本では

ちょうど同じ時代、日本では柳宗悦らによる民藝運動が広がっていた。
手仕事の日用品に「用の美」を見出し、揺らぎや不完全さを美とする思想である。

ここで重要なのは、同じ時代に、異なる国で、まったく異なるデザイン観が並立していたという事実だ。
アメリカの人々が憧れを「流線型」に託したのに対し、日本の民藝は「日常性」と「人の営み」を尊んだ。

さらに言えば、日本人の価値観そのものも一枚岩ではなかった。
工業化を受け入れた都市の消費者と、手仕事を生活の根幹とする地方の暮らしとでは、求める美はまったく異なっていた。
つまり当時すでに、日本人自身が多様性を抱えていたのだ。

4.流線型がもたらしたもの

流線型は確かに「時代の夢」を形にした。
だがそれは同時に、デザインが画一化に向かう契機ともなった。
丸みを帯びた外観はあらゆる製品に適用され、個々の文化や文脈は削ぎ落とされていった。

そこには「機能を突き詰めれば形は一つに収斂する」という短絡的な思想が潜んでいた。
だが自然界が示すように、同じ機能でも無数の形態があり得る。
流線型の熱狂は、むしろその多様性を見えなくさせたと言えるだろう。

5.デザインは幻想を映す鏡

デザインは人々の欲望を形にする。
流線型は合理性の象徴ではなく、時代が夢見た「未来像」の投影だった。

だからこそ、デザインを見るとき私たちは問わなければならない。
「それは本当に機能の必然なのか?」
「それとも、人々が信じたい物語を映した幻想なのか?」

デザインは常に、時代の思想と人々の憧れを反映する鏡なのだ。

次回予告
第3回では、「多様性」をテーマに、自然界と人工物のかたちを比較しながら、なぜデザインに唯一の答えが存在しないのかを探っていく。
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