【S6|外伝】人はなぜ、顔を変えようとするのか
顔を変えるという行為は、単なる美の問題ではないのかもしれない。
人はなぜ、身体に、顔に、そして生き方に、
痕跡を残そうとするのだろうか。
人はときどき、
自分の顔を変えようとする。
整形という行為を、
良いとか悪いとか、
そういう評価の話として扱うこともできる。
だが、それだけでは、この現象の本質には届かない気がしている。
なぜなら、
人が顔を変えようとする衝動は、
単なる流行や美意識だけでは説明できないからだ。
顔は、身体の中でも特別な場所である。
名前より先に認識され、
履歴書より先に印象を決め、
言葉を発する前から、
その人の存在を語ってしまう。
私たちは、
ほとんど無意識のうちに、
顔を通して他者を理解し、
顔を通して自分自身を理解している。
だからこそ、
顔を変えるという行為は、
単に外見を整えること以上の意味を持つ。
それは、
「どのような人間として社会に現れるのか」
を再設計しようとする試みに近い。
人類は、
環境だけでなく、
道具をつくり、
住まいを設計し、
制度を組み替え、
世界そのものを作り替えながら生きてきた。
そしてある時点から、
その設計の対象は、
自分自身にも向けられるようになった。
髪型を変えることも、
服を選ぶことも、
立ち居振る舞いを整えることも、
すべては小さなセルフデザインの一部である。
顔を変えるという行為は、
その延長線上にある、
より大きな選択に過ぎない。
ただし、
ここには一つの難しさもある。
顔は、
社会に向けたインターフェースであると同時に、
自分自身の時間が刻まれていく場所でもある。
経験、
迷い、
喜び、
葛藤。
そうした時間の積み重なりが、
少しずつ表情や輪郭に影響を与え、
その人だけの顔を形づくっていく。
だから私たちは、
「変わりたい」と思う一方で、
どこかに
「このままの自分でありたい」という感覚も
同時に抱えているのかもしれない。
人はなぜ、
顔を変えようとするのか。
それはおそらく、
より美しくなりたいから、
だけではない。
「どのような自分として生きていくのか」を、
もう一度選び直そうとする衝動が、
そこに働いているからなのだと思う。
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