卑怯は訓練不足から生まれるかもしれない――昭和と平成の個人史より
90年代当時、40代男性だから、どんな事情やコンプレックスがあろうが、職責を果たせと、僕は元担任に対して思っています。
家庭訪問で「これが大学教授のお宅ですか」と、80年代の普通の建売住宅の居間をぐるりと見渡すなど、他の先生がしないことをしていました。
中1年の担任が裏でトラガラは使えると元担任(中2,3)に話していたそうです。これは、手のかかる不良と優等生をバランス良く配置するクラス運営で、他の先生から批判が出ていました。駒にされる側は、迷惑です。
90年代の僕の頃は、訴訟したくても同級生から証言は期待出来ません。なんとかしてトラガラが変だとレッテルを貼ろうとします。悪いこと一切しないで、勉強して友達と話して帰宅して筋トレして本を読む子だったので、運良くレッテルを貼られずに済みました。後日中1の元担任と地元の駅で行き合って、「あの時はすまなかった」と謝罪されましたが、高校生の私としては言うべき言葉は無かったです。職責を果たせない期間は、生徒に接しないとかしてくれると嬉しい。先生も立場があると思うから、暮らしていけないほど追い詰める意図はないけれど、いじめの原因を大人が作るのはやめてほしい。
1950年代の母のケースだと、まだ農村だったこともあるのか、「泣いたら終わり」「卑怯なことはするな」が通用しました。これが、神奈川の都市部の父の場合は違うので、都会と田舎ですでに文化が違う可能性があります。なにより、具体的な事例から話しているけれど、サンプル数1だから、統計的な調査も必要です。
母がいない
貧乏
母は祖父譲りの精神性の人だから、きっちり報復をします。だから、基本的にいじめには合わない。それでも、つっかかってくる幼い子がいて、だいたい上記3点を挙げたようです。
1950年頃に祖母が結核で他界していることは、当時の地域の医療の限界であり、母の責任ではありません。祖父が福祉的に育児と家事をやってもらうためだけの愛のない再婚を選ばなかったから、一馬力なので貧しいです。けど、よく働いており、子どもたちの布団の打ち直しなど、農閑期になったらやろうと、妻の分も子どもに手間をかけてくれる人でした。
枕や布団の襟が汚れるの耐えられない人で、衛生的にしているので、貧しいと言われても、迷惑をかけていません。
足は、小学2年から激痛で動けなくなり診療所に行ってもわからなくて、小学4年の終わりに原因を特定した頃には片足切断と言われるレベルでした。手術で回復しましたが走ることのできる足は失っています。
母の田舎では、こういう理由でいじめるのは卑怯なので、母が報復しても先生に理由をきかれるだけで済みました。
僕の元担任も卑怯だと思います。何らかの事情やコンプレックスは彼の持ち物であり、生徒を危険に晒す理由にはなりません。母の件も、努力しているシングルファーザーの家庭の子を苦しめてどうするのかと思います。
全てのケースとは言わないけれど、卑怯なことをするのは、本人の訓練不足も一因かもしれないです。
それに手段を選ばなくなったら、それは通り魔やテロの一種ではないでしょうか。僕らには友達も本もあるし、現代はAIもある。違う視点に触れることで、卑怯なことをせずに済むのではと、僕は思うのです。
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