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氷を買いに: 「息子」の精神構造から抜け出せない、私の父の、父親業修行

父が父親になるために4年前後の時間が必要でした

簡単に言うと、私の子育てを通して、彼は自分の役割に慣れていきました
最初の子の皆様、お疲れ様です

父親になりたかったと口にする父は、結婚して子どもが生まれれば
自動的に父になるわけではないことを
暗中模索したようです

私が物心つかない頃、帰宅してベビーベッドの息子を数分見て
妻と何か話すわけでも労うわけでもなく
自分の書斎にこもって研究を続ける人でした

ポジティブに考えたら
「俺、大黒柱だから頑張らないと」という
彼の勤勉さもあるのでしょうが
妻とのコミュニケーションから逃げたと感じます

仕事柄、勉強する時間が必要なことは理解していても
若かった母は父の態度に傷ついたようです

母方の祖父は言葉にして労う人でしたから
自分のロールモデルと夫のギャップも大き過ぎたのでしょう

私が幼稚園に上がってからは、心筋炎になったり40度近い発熱にも私が慣れていることはあっても
自宅の冷蔵庫の冷凍庫で氷を作り、
アイスノンをよく冷えているものとぬるくなったものを交代させる範囲ですみました

対して、乳幼児の頃の発熱は自宅の冷蔵庫では間に合わなかったらしく
1980年代のその町ではコンビニが無くロックアイスも買えないため
父が氷屋さんへ出かけたようなのです

氷屋さんというと、木製冷蔵庫の時代を連想するため
自分の幼少期のこととはいえ文化の違いを覚えます

🧊

父親は自分が父になることの意味が分かっていなかったのでしょう

生まれたばかりの息子が妻の関心を奪っていくという受け止め方をしたようです

これは生まれたばかりの子にとっては
母親からは肯定が、父親からは否定が伝わってくるような状況です

父も母も大切に思っていますし、遺伝も環境も
彼らが与えてくれたことに感謝はしています

けれど、双極性障害と診断される前から
自分の体調に波があることは自覚しており
全肯定と父の無意識の全否定(妻の関心を奪う者)という
「不適切なライバル視」は
私の人生に大きな影を落としています

自分自身を返品交換出来ないように
自分の両親も理解するしかないと思い
私自身が大人になることで解決した面もあります

家の中がピリピリして安心できないことを
乳幼児なりに感じ取れば免疫落ちるよなぁと思いますが

若い父と母の人間としての限界でした
勤勉で他人の痛みが分かる人々ですし
得意なことは得意なのですが凸凹のある夫婦です

🧊

しかし、父も息子のことを憎んでいたわけではなく、こんなことがありました

小学3年性のこと、プールの授業がきっかけで中耳炎になりました。両耳ともです

楽しみにしているプールには参加できないし
経験したことの無い耳の痛みですし
痛みと残念さと心細さで寝室で静かに泣いていました

「泣いたら治るのか?」

枕元で父にそう言われて、ギョッとしました
泣いているのは理屈ではなく感情の問題なので
泣くことは非論理的である、みたいに言われても息子は困ります

けれど、素直な小学3年生としては、泣いても治らないことは理解します

父は、泣きたいことがあっても、自分にもそう内面で言ってきたのでしょう

おそらく、このタイミングで、私の乳幼児時代の
熱性痙攣に関して話してくれました

泣いている病床の息子に言葉をかけてやりたい気持ちはあっても
子どもを安心させるような話し方は出来ない人なのですが

父なりに息子とコミュニケーションを取ろうとしていたのでしょう

また、母が熱性痙攣を起こした私の世話をする様子を

赤ちゃんが高熱で歯を食いしばって吐いてしまうと
吐瀉物で窒息するから、スプーンを清潔なガーゼで
怪我をしないように準備するけれど
咄嗟の時で間に合わなければ

指の痛みも無視して、指で歯を食いしばらないように看護していたことを話してくれました

「母親というのはすごいものだな」と思ったのだと
父は妻の努力を認識していたのです
それを妻に伝えてくれると、助かるのですけれど
我が家では無理でした

🧊

コミュニケーションはお互いの責任で歩み寄るものですが
父のように自分が幼い点があることを理解していない人に歩み寄るのは難しいものです

男尊女卑という価値観は何なのかとか、妻に対して夫はどういう存在なのかなど
父の世代でも考えた人はいるので

父は妻の努力をねぎらい、感謝の言葉を直接伝えられないことは
息子として遺憾に思います

このようにして、父親は自分なりに成長し
下の子が生まれる頃にはだいぶ父親業に慣れていました

言葉は過ぎても足らなくてもいけないし
相手との関係にもよるから
感じ取る力と学習能力や観察力だけでは
家族としての絆を育てるには不利ですね

父にとって、氷屋さんへ氷を買いに行くことや
病気がちの息子という存在を通して
父親である事を暗中模索したのでしょう

妻に、話して補い合うことが出来ないことは
彼にも妻にも乳幼児の私にも
痛みを残すことになるのでした

下の子の時には、「慣れていた」ことは救いです


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