世界の不思議や美のどこを見てるかの違いに思える件
僕は30代で洗礼受けてプロテスタントになっています。
父のことがあったからか、哲学や信仰が好きな少年で、日本仏教史なども学びました。本を読んだ程度です。
日本で暮らしています。山形・長野・山梨などがルーツで、母の故郷が長野なので、母方の文化を継承しました。仏教の空とか、しっくりくるわけです。
そこで……
僕の中の東西の美
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東アジア側の視点
無 → 有 → 無
「生まれて消えることの不思議」
・変化・無常・縁起
・夕暮れ/沈む太陽を見ている感覚
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一神教側の視点
無 → 創造主 → 有
「無から『呼び出された』存在」
・始まりと創造の瞬間
・夜明け/昇る太陽を見ている感覚
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無に帰るから無から来ると思えるし 存在を存在させる創造主欲しい気持ちも分かる これは、世界の不思議や美のどこを見てるかの違いに思えるのです。
https://www.threads.com/@karasu_toragara/post/DR3cPOMETaI
過去記事のこれを、SQL無し版に落とし込みました。
視点の違いはあるけど、物が在ることの不思議をどう考えたかは、対になるように思えます。
あくまでもアイデアの整理に過ぎないけれど、哲学やアートやAIに強い方もうちのnote見て下さるので、記事にしました。
AIとの対話の枕などに、どうぞ。
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読み物と英語の詩画集のシリーズです。
母の本は、スマホで読者が読むことを想定した改行多めの詩歌みたいな書き方だから、読む方の負担は小さく、読み物のフレーバー有ります。どれもKindleUnlimitedで読めます。
なお、我が家のコンテンツは無いですが、ながら読書はAudibleも快適ですね。
この記事を書いた人
✒部活動:note大学哲学部
✑現在のこのnoteのメインコンテンツ:みんなのための社会デザインラボ
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