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有るとか無いとか

無い。

昨日、勉強机で宿題したのに、置いてきてしまった。
あるいは、マンゴー味のジェラートが完売している。

諸行無常、空のように全ては相互作用であること。
豊かに色々なものがあるけれど、一時のこと。
侘び寂びとか風化やサビはその過程。

太陽は寿命で膨張し、宇宙も永遠ではない。
時間と規模は違うけど、宇宙論的な無も想定出来ます。
物理学は宇宙の外は無いとしており、時間と空間の「外側」は、想像出来るのに確認は困難です。

そして、忘れ物の宿題、ジェラート、
空の相互作用、宇宙の膨張までは観測可能だとして、
宇宙が終わった「後」の時間と空間は宇宙の外に該当するかもしれず、
誰も観測出来ない状態になります。それは「無い」ことと区別がつきません。

このような無のグラデーションの中で、現れたり消えたりするので「存在」は忙しいですね。

小さな子は気がついたら・物心がついたら存在しており、
その子が寿命を迎えると世界の側は変わらなくても、
その人物視点では世界が失われています。

有るとか無いとかは、案外、「見える・感じられる」ということが根なのかもしれないと思わされるのです。
例えばプラトンにとって「イデア論」は、あまりにもはっきりと感じられ
無いとは思えなかったのかもしれません。


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