【出版決定】軽部出版からnoteクリエイター「きょう」さんの本の出版が決定しました✨
こんにちは!軽部出版 代表取締役の軽部凌です!
本日は、noteで活動されているクリエイター「きょう」さんが、軽部出版から本を出版されることが正式に決定しましたので、そのご報告と、この方がどのような書き手であるのかを、ぜひ皆さんに知っていただきたく、この記事を書いています!
きょうさんの書籍のテーマは、「英語教育」と「母語としての日本語」についてです。
英語をめぐる議論というのは、たいてい「日本人は英語ができない、だからもっと英語を」という結論に着地しがちです。
ところが彼の記事を読み進めていくうちに、私は自分の予想がまったく的外れだったことに気づかされました。
この方が書こうとしているのは、英語をどう学ぶかという話ではありません。
私たちが母語をどう扱っていくのかという話です。
「英検準一級は、かけらの役にも立ちませんでした」
きょうさんは、29歳からニューヨークで生活を始め、現在も現地で研究を続けている研究者です。
日本にいた頃、高校2年生で英検準一級を取得されています。日本の物差しで言えば、英語ができる側の人間だったはずです。
けれども彼は、その資格が実際の英会話の現場では「かけらの役にも立たなかった」と、書いています。
自分が持っている実績を守ろうとせず、現場で通用しなかったという事実を、単なる自虐話で終わらせず、なぜそうなるのかを丁寧に解説しています。
日本語と英語では、そもそも語順が違う。主語、目的語、述語の順で話すことに慣れきった人間が、主語、述語、目的語の順に組み替えて話そうとすると、どれだけ英語に慣れても、とっさに口から出る単語の順番が日本語のそれに戻ってしまう。
さらに、カタカナ発音に慣れた耳には、ネイティブが発音する同じ単語が別の言葉のように聞こえてしまい、そもそも聞き取れない。
彼自身、趣味でスペイン語を学び始めたところ、語順の近さのおかげで単語がはるかにスムーズに並べられることを実感したのだそうです。
言語の得意不得意には、努力量だけでは説明できない構造的な理由がある。
このことを、現地で暮らしながら実感として語れる人の言葉には、机上の議論にはない言葉の重みがあります。
「日本人は英語ができない」という思い込みを疑う
彼はさらに、そもそもの前提そのものを検証していきます。
一般に、シンガポールやマレーシア、中国、台湾、韓国といったアジアの国々のほうが英語を話せるというイメージがあります。
けれども研究者の著作やデータを引きながら彼が示すのは、それらの国々で英語を話せる人の多くは、ある程度の所得や、教育の面で恵まれた側にいた人々であるという事実です。
つまり、国内での英語力の格差が非常に大きい。話せる人は話せるけれど、話せない人はまったく話せない。
それに対して日本は、流暢に話せる人こそ少ないものの、国民全体としてはある程度のレベルで英語をなんとなく理解できる状態にある。
そして彼は、読解力という一点においては、日本人は決して悪くないのではないかと指摘します。
その根拠として彼が挙げているのが、科学の現場です。
論文は英語で読み書きしなければならないにもかかわらず、日本の研究者たちはそれを解釈し、数々の素晴らしい成果を上げてきました。世界的に見て英語力が低いと一概に言えるものではない、と。
議論の前提を疑い、データに当たり、そのうえで自分の肌感覚と突き合わせる。
現場に身を置く研究者らしい、誠実な思考の運び方だと感じました。
なぜ「教育の英語化」に反対するのか
そのうえで彼のnote記事の中で「NO」と答えているのが、大学など高等教育の場を英語化するという方向性です。
理由は、実にはっきりしています。
読解力と会話力は同じではない。英語論文を読みこなしている先生であっても、いざ話す場面になるとほとんど話せない人を、彼は数多く見てきたといいます。そういう人が英語で授業をしたところで、結果は見えている、と。
そして何より重要なのが、高等教育には深い理解が必要であるという点です。
日本の研究者が数々の功績を残してこられた要因の一つは、母語である日本語で現象を理解し、日本語で議論を重ねることで、相互に理解を深められたからに他ならない。彼はそう書いています。
ニューヨークで英語のディスカッションに参加していても、あまり頭に入ってくる感覚がない。そしてそれは、英語が上手な中国人研究者であっても、英語のネイティブであっても、聞いている限り議論がそれほど深いものになっているとは感じられない、というのです。
おそらく誰もが、英語という共通言語で話しながら、理解そのものは自分の母語に落とし込んで行っているのではないか。
英語は、あくまでツールでしかない。
海外で活躍する日本人研究者の多くが、日本で博士号を取得してから海外に出ているという事実も、彼のこの見立てを裏づけているように思います。
「イマージョン型最新映画」と、「没入型最新映画」
そしてもう一本、この本の核になるであろう記事があります。
ビザの更新で一時帰国した彼が、日本の街で受けた強い違和感についての文章です。
数年前と比べても、カタカナ語と英語表現が街に溢れている。イマージョン、ハートウォーミング、リスキリング。
かつては、日本語では表現しにくいものにカタカナを当てていたはずなのに、いまは相当する日本語がきちんとあるにもかかわらず、わざわざカタカナに置き換えている。
彼はこう問いかけます。
「イマージョン型最新映画」というタイトルを見たとき、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。
では、「没入型最新映画」あるいは「世界観に浸る最新映画」と言われたときはどうでしょうか。
意味を知っている自分ですら、後者のほうが瞬時にイメージが湧く、と彼は書いています。
そして漢字の優れた点として、一つひとつの文字の意味がなんとなく分かっていれば、初めて見る熟語でもおおよその意味が推察できることを挙げています。
ひらがな、カタカナ、漢字という三つの文字体系を日常的に使いこなしている国民なのだから、カタカナ一辺倒に頼らず、その利便性をもっと活かすべきではないか。
これは単なる言葉狩りでも、懐古趣味でもありません。
伝わるかどうかという、極めて実務的な問題提起です。
言葉が出てこない、という感覚
彼の文章の中で、研究者あるあるとして書かれていた一節にも興味を惹かれました。
自分の研究成果を日本語で発信しようとすると、英語表現が先に出てきてしまい、それに相当する日本語が出てこなくなる。自分は何を言おうとしているのか分かっているけれど、聞き手はどうだろうか、と。
学生の反応を見ていると、たいていはポカンとした顔で聞いている。
以前からこのnoteを読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、私自身も吃音とともに生きてきた人間です。
言いたいことははっきりあるのに、それが言葉として外に出ていかない。その結果、相手には何も伝わらないまま終わってしまう。
私が何十年も抱えてきたその感覚と、彼が書いている状況は、原因はまったく違うのに、生じている断絶はよく似ていると感じました。
伝わらないという事態は、話し手の意欲や能力の問題ではなく、使っている言葉と相手との距離の問題なのだと。
だからこそ、この本は英語教育の本でありながら、言葉を使って何かを伝えようとしているすべての人にとって、自分ごととして読める一冊になるはずです。
この本を、誰に届けたいか
英語をめぐる本は、書店にいくらでも並んでいます。
けれどもそのほとんどは、どうすれば英語ができるようになるかという本ばかりです。
実際のデータを踏まえ、海外の研究現場で暮らす当事者としての実感を交えながら、「では母語をどう扱うべきなのか」というところまで踏み込んだ本は他にあまり無いのではないでしょうか。
お子さんの英語教育に悩んでいる保護者の方。教育のあり方を考えている先生方。英語が話せないことをどこかで引け目に感じているすべての社会人の方。
そして、日本語で何かを書いたり話したりして生きている、すべての方に読んでいただきたいと思っています。
言語はその国のアイデンティティである、と彼は書いています。
そのアイデンティティを守るための本を、日本語で書かれた一冊の本として世に出せることを、出版社として光栄に思います。
最後に
軽部出版は、「全国民が1人1冊以上の自分の本を出版できる社会」を目指した『著者1000人プロジェクト』を実現するために、有名かどうかではなく、本にすべき物語を持っているかどうかを基準に、著者の発掘を続けている出版社です。
きょうさんとの出会いは、まさに私たちが本にすべきだと信じてきた物語との出会いでした。
書籍の詳細な内容やタイトル、発売時期については、今後の制作の進捗に合わせて、改めてこのnoteでご報告させていただく予定ですので、どうか楽しみにお待ちいただければと思います。
そして、きょうさんのnoteをまだ読まれたことのない方は、ぜひこの機会に記事を読んでみてください。
きっと、英語を学ぶということの意味を、これまでとは違う角度から考えていただけるはずです。
そして、「自分も本を出してみたい」「出版について詳しく話を聞いてみたい」という方は、軽部出版のLINE公式アカウントからお気軽にご連絡ください。
あなたの物語が、誰かの人生を変える一冊になるかもしれません。
軽部出版 代表取締役
軽部 凌
