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📖『食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)

📖『こころにしみる日々(上) 〜 愛と喪失と再生の獄中272日間 〜』

📖『こころにしみる日々(上) 〜 愛と喪失と再生の獄中272日間 〜


2023.4.23 ~ 26

📖食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)

P.93、P.143、P.145、P.183、P.246、P.342、P.362、P.364、P.385



かーつ!!!

あ そこ きく



🎙️文庫版後記に野々村氏が近所の空き地のススキを盗んで警察沙汰になったエピソードが書かれていて、その時に「犯罪者」という3文字が胸に焼きつき、その事件がきっかけとなって出家したといういきさつを読み、興味を持って読み進んだ。寺というイメージとは裏腹にいきなり殴られ、けられ、怒鳴られるという世界に刑務所に似たものを感じた。しかし決定的に異なるのは、刑務所では刑務官が受刑者を殴ったり、けったりしたら犯罪になるということ。また刑務所ではそれは単なる暴力として行われるが、寺では、それを暴力として行っているのではないという根本的違いがある(👉P.183) 




つまり永平寺の

暴力"にはがあり、刑務所のそれには愛はなく、単なる暴力となる。だからいくら行き過ぎても永平寺では殺人は起こり得ないが刑務所では周知のように名古屋刑務所殺人事件を見てもわかるように、殺人が実際に過去にも起きていて、今後も起こり得る。


👩‍💻「📰刑務官22人受刑者に暴行 名古屋刑務所 たたく、顔にスプレーなど 特別公務員暴行陵虐罪を検討

👩‍💻「📰刑務官13人書類送検へ 名古屋刑務所 受刑者に暴行容疑

👩‍💻「📰受刑者に暴行・暴言400件超 名古屋刑務所

👩‍💻「名古屋刑務所事件

👉名古屋刑務所では2001 年、2002年に刑務官が受刑者を殺傷する事件が起きている

👉信じられないことに有罪判決を受けた刑務官には執行猶予つき判決が下っている。人が死亡する結果となった事件で執行猶予あり得ない話である(2025.2.27)


🎙️私は実際に、留置場、拘置所、刑務所でこの9ヵ月を過ごしてきたわけだが、

それがはっきりとわかる。だからこそ、こんなプロジェクトの企画を思い立ったのである。

さらに決定的に異なるのは、永平寺はどうしても嫌なら脱走できるということ(もっとも、それは山で囲まれているだけに簡単なことではないと書かれてあるものの)刑務所ではそれは(通常なら)到底不可能だ(拘置所、留置場も同じく)。

👉ま、こんな人たちもいるにはいるようですが。。。(2025.3.7)

📹「脱出不可能と言われた刑務所から4回脱獄した死刑囚。白鳥由栄【昭和の脱獄王】

📹「【脱獄】世界最高セキュリティ「アルカトラズ刑務所」から脱獄した男たち

📹「天才脱獄犯...死ぬまで逃げ切った


🎙️そもそも永平寺と刑務所を比較すること自体が間違っているのだが、どうしても今の境遇からするとそういう視点になってしまう。

さてそれはそうと、全体を通してみると、野々村氏が永平寺で出会った様々な人たちのエピソードなどが折り込まれていたり、永平寺のきびしい修行の様子や、細かな作法までが書かれていて興味深かった。

歯を磨くのにつまようじを用いるというのも、読んで以来、実際に試しているところである(👉P.113)。

👉私は留置場にいた頃に歯茎から出血していることに気づいていた。シャバでは歯間ブラシを用いていたが、留置場、拘置所、刑務所共にそんなものはないし、買えもしない。しかも、留置場では歯磨きは朝食前と夕食後の2回のみ。ま、郷にいれば郷に従えだし、唾液は天然の歯磨きということもあり、何とかそれなりにトラブルもなくやり過ごしていた。ただ出血はずっと続く。そうしてこの頃には、歯茎の出血している部分が腐敗臭を放っていることに気づく。そこで、日々毎食後につまようじで歯茎についた歯垢を取り除き、(刑務所で支給される)パックの緑茶でうがいを繰り返す。出所する頃には見事に腐敗臭はなくなり、出所後はさらに自分で歯垢を取り除き、口臭は元通りゼロに(元々口臭などなかったのだが。👉この件に関しては追って詳細を別途アップするかも 2025.3.7)。


💡【提案】

ホーム大臣へ

こういうこともあるので、特に、留置場はあくまで刑の確定していない被疑者を勾留するところであり、つまりご承知の通り、無罪の人、冤罪の人も含まれますし、そうでなくとも、

①歯磨きはいつでも自由にできるように

②また、歯間ブラシタフトブラシなどを購入できるようにすること、または希望者に支給することを提案します。

③拘置所、刑務所なども同様。

罪人とひとくちに言ってもいろいろな人がいますし、出所後の生活のために体の健康を維持することは誰にとっても大事なことです。


🎙️ということで話は戻り、

印象に残った箇所


📄① 思えば人間というのは実に妙な生き物である。

あるものを欲する欲望を、まったく正反対に向け、その欲望に満たされない満たされることを欲しない自分をまた別の自分が見届けることによって、異なった次元の充実感を得ようとする。なんとも複雑な思考をするものだ。これは人間が他の動物と違い、欲望を満たす方法を駆使することに長けているのと、それによって節度や限界といったものを見失いやすいために働く、ある種の本能的思考なのかも知れない。この地球上に同じ生命体として存在し、人間が他の生き物よりも複雑な思考をすることは、幸福なことである一方、ある意味では不幸なことなのかも知れない(P.146)。

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)


📄② しかしわれわれはもっと自然を知らなくてはいけない。

また同時にそのわれわれ人間自身が紛れもない自然の一部であるということに気づかなくてはならない。この地球上で人間が生きていく環境とは人間が作るものではなく自然から与えられるものであることをさとらなくてはならない。地球の自然の中から生まれた生命体は、地球の自然とともにあって、はじめて生きていけるものなのだと思う。人間だけが例外ではない。それを正しく理解した上での、進歩であり、発展でなくてはならないのだ(P.341)。

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)


📄③ この坐るということはいったい何だったのか。

【中略】

どうして足を組み、壁に向かうという形が必要なのか。それはまさに語りえぬ領域のものである。ここに存在しているのが宗教なのだと僕は思う。もちろん、教団に属することが宗教などではないのだ。宗教は解明するものではなく、信じるものである。われわれがあれこれと詮索する以前に、確固として存在するもの。それは大自然の原理であったり、偉大な人の生きざまであったりと、人によってさまざまだが、それが信じられれば、その人にとっての一つの宗教なのだと思う(P.362)。

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)


📄④ 要するに(禅における)自由とは、

自分を取り巻く外部の何かから解放されることではなく、自分の内面にある欲望やその他もろもろの精神的なものから解き放たれることである。そこに、何ものにもとらわれることのない、真の自由が生まれる。これはまた、仏教の源泉である古代インドから脈々と続くことわりでもあったのだ(P.364)。

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)


📄⑤ もしも人間が生きるということに意味があるとすれば、

まずこの世に存在していること、これこそが生きることの根本的な意味なのだと僕は思う(P.365)。

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)


関連するコンテンツ📖「💠コラム的な:生きる


👉野々村氏は永平寺で1年間修行されたということで、この本を読む限り、最終的には優秀なポジションにつかれている。しかもたったの1年でこれだけ多くのことを学び、悟ったということに驚かされる。恐らく野々村氏の感性が優れているのだと思う。ちなみに(正直なところ)私にはこんなきびしい修行はとても無理だと思った。今回の引用箇所ではそれは全く伝わらないが、本書にはその精神を鍛えるため?あるいは我を捨て去るためのとても厳しい修行の内容が随所に出てくる。私はあそこ🏰刑務所を出る間際にたまたまこの本に出会ったのだが、紛れもなくあそこで読んでおくべき一冊だったことは間違いない(2025.3.6)


📄⑥ ふと顔を上げると、薄紅色の花びらをつけた満開の桜の枝が、

あたかも天蓋てんがいのように空を覆い、

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)

天蓋てんがい 👉仏像の頭上の装飾的な覆い


その隙間から花びらとともに、まばゆい春の陽の光がキラキラとこぼれ落ちていた。
「ああ、これが。これが春だったんだ」僕はその時、初めて春が春であることの意味を知った。三十年という年月を生き、つねに何かを探し求めることにあくせくし、ここでようやく春の意味を知った。それで十分だった。僕は、もうこれで何もいらないと思った。枝から離れた薄紅色の花びらは、風に運ばれ、川面にたどり着いた。そして、川面に照りかえる春陽の中に見え隠れしながら、朗々と流れる川の流れに身をまかせ、右に傾き左に傾き、どこまでもどこまでも漂い流れていった(P.385)

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)


🎙️余談になるが、私が出所した日はこんなに美しいものではなかった。いや、むしろその真逆となる。私はそこで荒廃し切った己れの姿を見ることになる(👉もちろん自業自得 2025.2.20)。

仏教ホスピス 👉身心の安らぎや休息の場所、仏教の教えに基づいた終末期医療の施設


油のあるものを食べた後は皂莢さいかちの実の粉を用いるのがよいだろう

食う寝る坐る 永平寺修行記/野々村 馨』(新潮文庫)

👉道元禅師の教えだったと思う(2025.3.7)


🔗️📖P.82『2023.3.8~』





『【隣の🔪犯罪論】 〜 誰もが超えてしまえる、その一線 〜』

【隣の🔪犯罪論】 〜 誰もが超えてしまえる、その一線 〜

🐦‍⬛🐦‍⬛❤️ここしみとは一線を画する異色作


⚠️【速報!】

となはん、ゲスト❤️スキ率75%突破。
読んだ4人のうち3人が、外の世界から。
“届いた”を超え、“共鳴した”文学




がとありまふ





📢コンテンツを読んでくださった方へ

これは実は、全体でひとつのリアルなストーリーになっています。

🔰📖『ここしみ』 超・あらすじ

👉ざっくりと全体を把握したい方へ

📖『ここしみ』って?

👉全体像。壮絶な日々の果てに綴られた“特別な一篇”。こころに灯る何かを感じてもらえたら。。。

壊れた人生。それでも生かされた。だから今語り始める。「」、「再生」、そして「本当自由」の物語。私があそこで過ごした272日間と、その後の壮絶な日々を綴っています。

また、獄中「🏛️訴訟ゲーム」を通じて、冤罪死刑制度司法の闇など、現代社会の深い問題についても斬ります。他に、「🏰ムショトピ」といったゆるーいコンテンツも。

そんな風に、ひとつの人生の軌跡を通じて、生きるとは何か?」「とは?」を問いかけます。

👉気になるコンテンツだけでもOK

👉だいたいの話は各話ごとの短編としても(多分)お読みいただけます


📖『こころにしみる日々(上)~ 愛と喪失と再生の獄中272日間 ~


📖『こころにしみる日々(下)~ 灯りを求めて。出所、そして壮絶な日々 ~


💠コラム的な:』 👉📖『ここしみ(上)(下)』から抜粋したエッセイ集


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