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まるわかり!インパール作戦完全理解テスト

割引あり

まるわかり!インパール作戦!

目的
このテストの目的は、テスト問題を解き、解説と答えを確認しつつ、インパール作戦についての理解を深め、第二次世界大戦の概要と当時の雰囲気や大日本帝国軍についての知識を深めることで、ひいては戦争学や戦略論についての理解を深めることである。
なお、前作のシリーズである『ガダルカナル島の戦い完全理解テスト』を事前に説いておくとより理解が進むように構成しているため、その問題を解いて理解を深めてからの挑戦をお勧めします。
さらに、原稿は、加瀬伊助のnote『第二次世界大戦のインドシナ史』をもとに作成しているので、そちらも併せてご覧ください。
また、問題作成にあたってはウィキペディアなどのインターネット上の情報や画像をもとにして作成しております。

*インパール作戦完全理解テストの手順

1,即答できる問題だけを選んで素早く解く
2,解説を見て答えとその理由を確認する
3,再度問題を素早く解く
4,間違った個所を解説を見て再度確認する
5,間違った個所の問題を解く
6,理解するまで繰り返す
7,完全理解

インパール作戦の概要

南アジア地方

作戦(ウ号作戦)(1944年)

インド北東部マニプル州の中心都市インパールは、ビルマ・インド国境部の要地であり、イギリス軍の反攻拠点であった。

第15軍司令官牟田口廉也中将は、インパールの攻略によって連合軍の反攻の機先を制し、さらにチャンドラ=ボース率いるインド国民軍の独立工作によってインド独立の機運を刺激できると主張し、これが成功すれば、援蔣ルートを絶ち、米中連合軍への補給も絶つことができるとした。
この案は、第15軍の3個師団(第15、第31、第33師団)に3週間分の食糧を持たせてインパールを急襲し占領するというもので、そのためには川幅1,000メートルのチンドウィン川を渡河し、標高2,000メートル級のアラカン山脈を踏破せねばならないという極めて厳しい内容のものであった。
ビルマ方面軍は、当初牟田口の案を無謀と判断したが、南方軍と大本営は最終的にこの案を支持した。その背景には、各方面で敗北続きの戦局をなんとしても打開したいという軍中央の強い思惑があったからであるとされる。
※ビルマとミャンマーは併記していますが、特別に使い分けてはいません。

残り時間 30分 (答えは最下部)

問題スタート! 全50問各一点

※上の解答用紙を印刷してお使いください。

解答用紙

第一章 基礎問題

1,漢字問題 編 

問題1-1-1
次のうち漢字の読みが明らかに間違っているものを選べ。

1,上座部仏教 (じょうざぶぶっきょう)
2,緬甸 (びるま)
3,峻険 (しゅんけん)
4,塹壕 (ざんごう)

問題1-1-2
次のうち漢字の読みが明らかに間違っているものを選べ。

1,河谷 (ごうこく)
2,峡谷 (きょうこく)
3,英緬戦争 (えいめんせんそう)
4,怒江 (どこう)

問題1-1-3
次のうち漢字の読みが明らかに間違っているものを選べ。

1,橋梁 (きょうりょう)
2,河畔 (かわべり)
3,漆喰 (しっくい)
4,盧溝橋 (ろこうきょう)

2,用語問題 編

問題1-2-1
アヘンに関する説明について明らかに間違っているものを選べ。

1,ケシの実から採取されるアルカロイドはオピエートと呼ばれ、そこから合成されるものがオピオイドであり、麻薬とは、本来このようなオピエートやオピオイドを指す。
2,ケシから採取されたアルカロイドや、そこから合成される化合物は、鎮痛、陶酔といった作用があり、また高用量の摂取では昏睡や呼吸抑制を引き起こす
3,アルカロイドや合成化合物は、モルヒネ、ヘロイン、コデイン、オキシコドンとは区別される。
4,ケシの実の汁は古代から鎮痛・鎮静作用が知られ、医薬品として用いられてきたが、同時に習慣性や、濫用による健康被害など、麻薬としての特性があり、また、アヘン戦争を引き起こすなど重大な害悪も引き起こしてきた。

問題1-2-2
陸軍の機関について誤っているものを選べ。

1,軍隊(元帥府、軍、師団、連隊、など)
2,官衙(陸軍省、参謀本部、教育総監部など)
3,学校(陸軍士官学校など)
4,特務機関(軍事参議院、侍従武官府、皇族附武官など)

問題1-2-3
次の戦闘機の正しい名称を選べ。

1,グラマン
2,一式戦闘機「隼」
3,紫電改
4,零式艦上戦闘機

第二章 ビルマ 基礎知識

1,ビルマの地理 編

問題2-1-1
ビルマの地域・地形に当てはまらないものを選べ。

1,温帯
2,アジア
3,インドシナ
4,密林

問題2-1-2
ビルマの地域・地形に当てはまらないものを選べ。

1,山岳地帯
2,砂漠地帯
3,西アジア
4,東南アジア

問題2-1-3
ビルマの地理的位置について誤っているものを選べ。

1,北半球に位置する。
2,国境を接する国にバングラデシュと中国がある。
3,インドの東に位置する。
4,東西に延びる嶮しい山脈がある。

問題2-1-4
ビルマの地理についての記述で間違っているものを選べ。

1,東南アジアの西北端に位置し、日本から飛行機で五~六時間の、東南アジアで最大の面積を有する国である。
2,ビルマ中央をサルウィン川が流れる。
3,国土の広さは、678,033㎡で、日本のおよそ1.8倍である。
4,南部と南西部はアンダマン海とベンガル湾に臨んでいる。

問題2-1-5
ビルマのモンスーン気候について間違っているものを選べ。

1,一年はおおむね暑季・雨季・乾季の三つの季節に分けられ、暑季が3月から6月、雨季は7月から10月、以降が乾季のサイクルとなる。
2,南部は一年を通して高温多湿であり、乾季の涼しい時期には湿度が低く、快適に過ごすことができる。
3,北部と東部の山間部の気温は日本の冬と同じくらいの寒さが続くこともある。
4,ビルマの平均気温は26度と高く、低地部では36度に達する。

問題2-1-6
ビルマを流れる川について誤っているものを選べ。

1,サルウィン川
2,イラワジ川
3,チンドウィン川
4,ガンジス川

問題2-1-7
ビルマにある山系、山地について間違っているものを選べ。

1,ヒマラヤ山脈
2,アラカン山脈
3,シャン高原
4,フーコン河谷

問題2-1-8
以下の都市の表記で間違っているものを選べ。

1,①マンダレー
2,②パガン
3,③ラングーン
4,④モールメン

問題2-1-9
以下の川の表記で間違っているものを選べ。

1,①チンドウィン川
2,②イラワジ川
3,③シッタン川
4,④チャオプラヤ川

2,ビルマの産業・生活 編

問題2-2-1
ビルマの代表的な産業・生産品として誤っているものを選べ。

1,チーク林
2,ルビー
3,石油
4,イチョウ林

問題2-2-2
ビルマのアヘン産業における記述について誤っているものを選べ。

1,ミャンマーでは、アヘンは1519年にイギリスの商人がマルタバン海岸に持ち込んだと記録されている。
2,アヘン栽培は18世紀中頃、中国雲南省から広がり、換金作物として大々的に栽培されるようになった。
3,1996年以降、中国から圧力がかかったことにより、アヘン栽培・ヘロイン生産は減少傾向に転じた。
4,コロナ禍と2021年のクーデターにより経済状況が著しく悪化し、再び世界一のアヘン生産国となった。

問題2-2-3
現在のビルマの主要輸出産品のうち誤っているものを選べ。

1,衣類
2,天然ガス
3,米
4,機械類

問題2-2-4
ミャンマーで日常よく食べられている食品について明らかに誤っているものを選べ。

1,魚
2,寿司
3,牛丼
4,納豆

問題2-2-5
ミャンマーに生息する動物について誤ったものを選べ。

1,メガネザル
2,ベンガルトラ
3,カワゴンドウ
4,アジアゾウ

問題2-2-6

ミャンマーに生息する世界的な猛毒を持つ蛇(↑)は次のうちどれか。

1,ハブ
2,イースタンブラウンスネーク
3,インランドタイパン
4,アマガサヘビ

3,ビルマの歴史 編

問題2-3-1
ビルマ発祥の歴史についての記述で誤っているものを選べ。

1,ビルマでは10世紀以前にいくつかの民族文化が栄えていたことが伺えるが、この頃のビルマ民族の存在を示す証拠は現在のところ見つかっていない。
2,遺跡からビルマ民族の存在が確実視されるのは11世紀以降のパガン朝からである。
3,ビルマ族の起源は中国青海省付近に住んでいたチベット系の氐族と考えられている。
4,中国雲南省の大理には、日本人の流民の遺跡があり、ビルマ人の起源となった都市の一部であると考えられており、のちに統一されて南詔となった。

問題2-3-2
8世紀頃のビルマの歴史について誤っている記述の選択肢を選べ。

1,ミャンマー南部の地は古くからモン族が住み、都市国家を形成して海上交易も行っていた。
2,ミャンマー北部から中央に掛けては、7世紀頃にピュー人がピュー(驃)を建国した。
3,南詔は8世紀半ば頃、中国西南部、雲南地方に勃興したチベット・ビルマ語族の王国で、最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した。
4,8世紀頃のエーヤワディー平原は、マンダレーを中心にした農業都市のピュー人系の王朝が栄えていた。

問題2-3-3
10世紀ごろのビルマのパガン王朝についての記述で誤っているものを選べ。

1,パガン王朝は現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝である。首都はパガン。
2,「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。1287年のパガンの戦いにおいて世界的な帝国アユタヤ朝によって滅ぼされる。
3,ビルマ族は、エーヤワディー地方に先住していたピュー族から農耕技術を学び、彼らとの接触によって仏教を知ったと考えられる。
4,12世紀ごろの王朝全盛期においては、キャウセ、シュエボにおいて灌漑を実施して生産力を高め、また、ビルマ族とビルマ南方民族のモン族との融和によって国内の開発が進んだ。

問題2-3-4

世界遺産バガン遺跡群

世界遺産バガン遺跡群についての誤った記述の選択肢を選べ。

1,現在のバガンは、マンダレー地方域にある地名で、以前の表記はパガン。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称されている。
2,パゴダとは仏塔を意味する英語で、日本ではビルマ様式の仏塔のことを指す。パゴタ内には王の姿を模した仏像や壁画が描かれている。
3,バガン遺跡群に点在するパゴダや寺院のほとんどは11世紀から13世紀に建てられたもので、仏塔の数は3,000を超えるとされる。
4,パゴタや寺院は、本来は漆喰により仕上げられた鮮やかな白色をしているが、管理者のない仏塔は漆喰が剥がれたためレンガの赤茶色の外観となっている。

問題2-3-5
11世紀以降のビルマの王朝の説明について誤っている選択肢を選べ。

1,下ビルマと呼ばれるビルマ南方地域には11世紀初頭までモン族の国家であるタトン王国が存在していたが、タトン王国はビルマ族の国家であるパガン王朝によって征服された。
2,13世紀末のパガン王朝の衰退を機に、ペグー王朝は、ペグー(現在のバゴー)を首都としてエーヤワディー川流域の下ビルマを支配した王朝である。
3,ペグー王朝は東のマラッカ王国と西のインドとの交易で繁栄し、ペグーはビルマ史上最も栄えた都市のひとつとされている。
4,タウングー王朝は、14世紀頃から1752年まで存在したビルマ人の王朝で、ミャンマー中部のタウングーが首都。

問題2-3-6
18世紀のビルマのコンバウン帝国について誤っているものを選べ。

1,コンバウン王朝はビルマに存在した最後の王朝で、アラウンパヤー朝ともいう。
2,第二次タウングー王朝の首都パガンが衰退すると、現在のシュエボ地域の王が台頭し、コンバウン朝を建て、アラウンパヤー王を名乗った。
3,アラウンパヤー王はモン族の本拠地ペグーを下し、西部のシャン地方や東方のマニプルにまで遠征してインパールを占領した。
4,コンバウン帝国はインド国境地域のアラカン王国を征服し、マニプル王国やアッサム王国を支配下に治め、ビルマ史上最大の版図を実現した。

問題2-3-7
19世紀の第一次英緬戦争の説明について誤った選択肢を選べ。

1,イギリスは1600年に東インド会社を設立して以降、継続的にインド地方を植民地化し、東インド会社は19世紀初めまでにインドの大半を支配下に置いた。
2,ビルマは、1752年にアラウンパヤーが建てたコンバウン王朝が興って以降、領土拡張を目指して隣国シャムや清の雲南に対して侵攻を繰り返していた。
3,1818年にイギリスはビルマ王に対してベンガル地方の東半分までの割譲を要求するも、応じなかったことから、1822年にイギリス軍はベンガルに侵入し、ビルマはこの地を失った。
4,1824年にイギリスがビルマ攻撃を開始し、1826年にヤンダボ条約を結んで、ビルマは自国の最南部アラカンとテナセリムをイギリスに占領された。

問題2-3-8
19世紀末の英緬戦争以降の状況についての記述として誤っているものを選べ。

1,1885年11月、イギリスはビルマの完全支配を目指して三度目の侵攻を開始、翌1886年にはビルマ王がイギリスに降伏し、ビルマはイギリス領インドに組み込まれた。
2,第三次英緬戦争の結果ビルマ王朝は滅亡し、1886年にイギリス領インドに併合されてその1州となる。首都パガンはイギリス兵により略奪されたが、王家には特別な被害はなかった。
3,1886年7月、イギリスは清朝と「ビルマとチベットに関する条約」を締結し、清朝はイギリスのビルマ併合を認めビルマへの宗主権を主張しないこと、清朝とビルマ間の朝貢貿易は引き続き行われることを取り決めた。
4,1937年にイギリス領インドから分離して自治領となったが、完全な自主独立が回復したのは1948年1月4日にイギリス連邦を離脱してからである。

第三章 インパール作戦 編

1,大東亜戦争の序章 編

問題3-1-1
大東亜戦争の概要について明らかに誤っている記述を以下から選べ。

1,大東亜戦争は、1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)にかけて行われた大日本帝国と中華民国・アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダなどの連合国との全ての戦線の戦争を指す日本側の呼称である。
2,1941年(昭和16年)12月8日にマレー作戦と真珠湾攻撃を行い、その後米英両国に対して宣戦布告した。
3,1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端とし、満州事変が勃発した。ここが後に、大東亜戦争が開始された地点とされる。
4,日中戦争は盧溝橋事件により発生した、1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争である。支那事変、日華事変、日支事変とも呼ばれる

問題3-1-2
マレー作戦の説明について誤っている記述を選べ。

1,マレー作戦は、1941年12月8日に太平洋戦争/大東亜戦争で日本軍が実施した南方作戦内のイギリス領マレー方面の作戦である。マレー作戦では本戦争において全ての他の作戦に先行して攻撃が開始された。
2,南方作戦の目的は、香港、マニラ、シンガポールの重要軍事拠点を覆滅してスマトラ、ジャワ、ボルネオ、マレーなどの重要資源地帯を攻略確保することであった。
3,1941年、日本時間12月8日午前1時30分、第25軍はイギリス領マレーの北端に奇襲上陸した。これはハワイ島の真珠湾攻撃直後の大東亜戦争の二番目の攻撃であった。
4,イギリス海軍のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは上陸部隊を撃滅すべくシンガポールを出撃したが、海軍航空隊はマレー沖海戦で両戦艦を航空攻撃で撃沈した。

問題3-1-3
マレー作戦後の状況について明らかに誤っているものを選べ。

1,日本軍は驚異的な速度でマレー半島を進軍し、イギリス軍を急追して開戦以来70日でマレー半島およびシンガポールを陥落させた。
2,日本軍は戦前から周到な準備を重ね、陸軍の進撃を海軍と航空部隊が支援し、また歩兵、工兵、戦車がよく協力しあった。
3,日本軍の南方作戦は順調なスタートを切り、その後3月にはオランダの植民地のジャワ島、5月にはイギリスの植民地の現ミャンマーを制圧して、開戦時に於ける作戦目標を達成した。
4,第18師団長牟田口廉也中将は、マレー作戦で英印軍を勇敢な兵士と称え、過度な待遇といわれるほどに英軍の捕虜を丁重に扱ったとされている。

問題3-1-4
蘭印作戦の説明について明らかに誤っているものを選べ。

1,蘭印作戦とは、1942年(昭和17年)1月から同年3月にかけてオランダ領東インド、現在のインドネシア諸島で勃発した日本軍とアメリカ、イギリス、オランダ、中国といった連合国軍との戦闘である。
2,当時の日本軍の目的としては同地の石油資源や航空基地の獲得が挙げられる。
3,日本海軍の航空部隊が2月にジャワ島の連合軍を攻撃し、また同じ頃にはスマトラ島のパレンバンにある製油所の確保を目的として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊と飛行第59戦隊の一式戦闘機「隼」等が同工場を攻撃・占領した。
4,日本軍は制空権や制海権を掌握し、その後日本陸軍の今村均を司令官とする第16軍が3月1日にジャワ島に上陸し、3月9日に連合軍は降伏した。

問題3-1-5
大日本帝国陸軍の特務機関「南機関」の説明について明らかに誤った記述を選べ。

1,1940年3月、日本の大本営陸軍部は、参謀本部付元船舶課長の鈴木敬司大佐に対し、ビルマルート遮断の方策について研究するよう内示を与えた。
2,鈴木大佐は「南益世」の偽名を使ってラングーンに入り、アウンサンらを日本に招いて対ビルマ工作を推進することを決定した。
3,南機関は、ビルマ独立運動家の青年30名を国外へ脱出させ、軍事訓練を施し、ビルマへ再潜入させて武装蜂起させるという計画を立てた。
4,1941年夏以降、アメリカやイギリスとの関係悪化を受けたことで日本軍は南方作戦を具体化し、12月8日の大東亜戦争の開始時をビルマ工作の計画実施日と見立てた。

問題3-1-6
日本軍のビルマ侵攻作戦の説明について誤った選択肢を選べ。

1,1941年12月8日、開戦と同時に、第33師団および第55師団を基幹とする日本軍第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手した。
2,陸軍特務機関である南機関も第15軍指揮下に移り、バンコクでタイ在住のビルマ人の「ビルマ独立義勇軍」(Burma Independence Army, BIA)が宣誓式を行い、その誕生を宣言した。
3,モールメンを含むテナセリウム地域を守る英印軍第17インド師団は、日本軍の急襲を受けて退却に移り、日本軍はサルウィン川とシッタン川を渡って進撃し、3月8日首都ラングーンを占領した。
4,5月1日に第18師団がマンダレーを占領し、5月末までに日本軍はビルマ全域を制圧した。ビルマ総督であったレジナルド・ドーマン=スミスの乾季の撤退軍は秀逸で、被害はわずかでスムーズに行われた。

問題3-1-7
泰緬鉄道の建設について明らかに誤った説明のものを選べ。

1,タイ・ビルマ国境には、イギリスによる鎖国政策のため、鉄道はおろか満足な道路も整備されていなかったため、日本軍は補給ルート確保を目的として山脈を越える全長約400キロの鉄道を計画し、建設工事は1942年6月から開始された。
2,工事の指揮は鉄道第5連隊および第9連隊が取り、作業員として捕虜62,000人、募集で集まったタイ人数万人、ビルマ人18万人、マレー人8万人、蘭印人4万人が参加した。3,日本軍は人海戦術による突貫工事を要求し、雨季の間も強引に工事を進め、また、作業現場ではコレラの流行もあり、約半数とも言われる大量の死者を出した。
4,鉄道は1943年10月に開通したが、直後にイギリス軍の工作によって大部分が破壊されたため、運用期間はごくわずかであった。

問題3-1-8
ビルマ撤退直後の連合軍の反攻について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,1942年から1943年の乾季、ビルマ戦線の連合軍は2つの限定的な作戦を実施した。その第1はビルマ南西部のアキャブ奪回作戦で、第2は「チンディット」部隊と呼ばれたウィンゲート少将率いる旅団によるビルマ北部進入作戦である。
2,アキャブはベンガル湾に面し、インドとの国境に近い最前線の要地である。
3,1943年3月末、第55師団主力はイギリス軍が横断不可能と判断したアラカン山脈を踏破して撃退した。
4,1943年2月8日、チンディット空挺部隊はアラカン山脈を越え、チンドウィン川を渡り、日本軍第18師団を撃退した。

2,コヒマ進撃 編

問題3-2-1
インパール作戦(ウ号作戦)構想の状況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,ビルマ制圧完了時点の1942年には、インド北東部進攻計画(二十一号作戦)として敵の輸ルートを遮断する計画があったが、補給確保の困難を理由に第18師団長牟田口廉也中将も反対し、作戦は実施には至らなかった。
2,1942年中に起きたミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いによる極度の戦力消耗が起きたが、ビルマ方面への影響はなかった。
3,1943年以降、ビルマ全土に対する連合軍の爆撃が激化し、ビルマ国民も含めて多大な被害を受け、これにより食糧不足が顕著になっていった。
4,1943年以降の敵の反撃の激化と共に、日本軍もビルマの戦力を増強に迫られ、河辺正三中将を方面軍司令官として「ビルマ方面軍」を創設し、その下に牟田口廉也中将率いる第15軍を置いた。

問題3-2-2
インパール作戦の説明について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,インド北東部マニプル州の中心都市インパールは、ビルマ・インド国境部の要地であり、イギリス軍の反攻拠点であった。
2,第15軍司令官牟田口廉也中将は、インパールの攻略によって連合軍の反攻の機先を制し、さらにガンジー率いるインド国民軍の独立工作によってインド独立の機運を刺激できると主張した。
3,牟田口中将はさらにインドのナガランド州ディマプルへの前進をも構想し、これによりハンプ越えの援蔣ルートを絶ち、スティルウェル指揮下の米中連合軍への補給も絶つことができるとした。
4,牟田口の案は、第15軍の3個師団(第15、第31、第33師団)に3週間分の食糧を持たせてインパールを急襲し占領するというものであった。

問題3-2-3

駄牛部隊

インパール作戦におけるジンギスカン作戦の説明において明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,第15軍は150個自動車中隊の配備を求めたが、実際に増援されたのは車両のみの部隊であったため燃料不足を危ぶんだが、牟田口はインパール付近の敵補給基地を早期に占領すれば心配なしと考え、作戦準備の推進につとめた。
2,牟田口は車両の不足を駄馬で補うために、1944年初頭から牛、水牛、象を20,000頭以上を準備し、荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成して共に行軍させることとした。
3,牟田口はさらに家畜を輸送手段だけではなく、「歩く食料」として連れていくことを思い立ち、山羊・羊を数千頭購入した。これは、過去のモンゴル帝国の家畜運用に因んで「ジンギスカン作戦」と呼ばれた。
4,作戦計画において食糧は輸送してきた食糧と共に最期に牛を食べて3日分食いつなぎ、合計25日分とされたが、これは既述の通り3週間以内という作戦期間に基づくものであった。

問題3-2-4
インパール作戦失敗の要因の説明について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,当初、この行軍は順調に進むかに見えたが、これはインパール周辺まであえて後退し、日本軍の補給線が伸びきったところを叩くというイギリス軍司令官ウィリアム・スリム中将の作戦に嵌ったため。
2,1944年4月に宮崎繁三郎少将の率いる歩兵第58連隊がコヒマへ突入し、戦いは長期化してイギリス軍をインパールで包囲したものの、補給物資を空輸して持ちこたえたため。
3,戦いが長期化したが、日本軍の前線部隊は作戦開始以来満足な補給を受けておらず、弾薬は尽きて飢餓に瀕していたため。
4,戦車部隊への補給が間に合わず、準備していた燃料も僅かなものであったため。

問題3-2-5

ミャンマー北部

インパール作戦におけるコヒマの戦いの状況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,日本軍の前線部隊は作戦開始以来満足な補給を受けておらず弾薬や武器が尽きかけていたのに対して、連合軍は圧倒的な火力で日本軍を攻め立てた。
2,ウインゲート少将率いる空挺部隊は、空から4,000名の部隊を降下させて日本軍の補給基地を壊滅させて致命的な打撃を与えた。
3,第31師団長佐藤幸徳中将はたびたび軍司令部へ補給を要請するが、牟田口中将は空約束を繰り返すのみであったため、終に激怒した佐藤中将は6月1日に独断でコヒマから師団主力を撤退させるに至った。
4,佐藤中将はこの独断での撤退命令の罪を問われて終身刑となった。

問題3-2-6

白骨街道

コヒマ撤退とその状況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,撤退した第31師団の最後尾を務めた宮崎繁三郎少将は、歩兵第58連隊を率い、インパールを目指すイギリス軍の前進を巧みな戦術で遅らせ続けた。
2,1944年7月3日に日本軍はインパール作戦中止を正式に決定した。結果として日本側の甚大な被害に対し、イギリス軍側の被害は圧倒的に少なかった。
2,かくして将兵は極限の豪雨の中、傷つき疲れ果て、飢えと病に苦しみながらも泥濘に覆われた山道を退却し、この時の退却路に沿って死体が続く有様は「白骨街道」と呼ばれた。
4,この撤退で始まった第31師団将兵の凄惨な撤退は100日間で600kmにも達し、師団は迫りくる連合軍からのビルマ防衛のための作戦準備へと移っていった。

3,イラワジ会戦から終戦まで 編

問題3-3-1

イラワジ会戦略図

1944年後半に起きたイラワジ会戦直前の状況の説明について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,日本を取り巻く戦略状況は著しく悪くなっていったが、ビルマの第15軍はインパール作戦で戦力の過半を失い、さらに雲南方面では中国遠征軍の強圧にさらされていた。
2,インパール作戦後、日本軍はビルマ方面軍および第15軍司令部員を刷新し、方面軍司令官には木村兵太郎中将、方面軍参謀長には田中新一中将、第15軍司令官には片村四八中将が着任し新たに任務に邁進した。
3,南方総軍は、隷下たるビルマ方面軍の田中新一参謀長を中心にマンダレー付近と同地以南イラワジ湖畔正面を守備する「盤作戦」を発令し、これを担当する第15軍は英印軍との決戦に臨むこととなった。
4,『盤作戦』において、日本のビルマ防衛最後の決戦として位置づけられていたため、満州方面からも増援を繰り返し、開戦直前には20万人の兵員がこの作戦に導入された。

問題3-3-2
イラワジ会戦に参戦した第31師団の旅団・歩兵連隊について誤っている選択肢を選べ。

1,カンバル - 歩兵第58連隊
2,シュエボ - 歩兵第124連隊
3,サガイン付近 - 歩兵第138連隊
4,マンダレー - 第254戦車旅団

問題3-3-3
イラワジ会戦後期の1945年2月頃の評価について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,イラワジ河畔では第15軍の将兵が連日の炎暑に耐えて苦闘を続けていたのだが、イギリス軍により至るところから突破されて、戦線は次第に全面崩壊の様相を呈した。
2,英軍スリム中将は軍をマンダレーへ向かわせて、第17インド師団と第255インド機甲旅団の機械部隊によりメイクテーラの日本軍を一方的に制圧した。
3,日本軍はシャン高原から第33軍司令部を抽出し、これに第18師団と第49師団を配属してメイクテーラの奪回を図ったが、日本軍は一方的な打撃を被ったのみであった。
4,マンダレーでは第19インド師団が市内へ突入し、死守を命じられた第15師団は激しく抵抗して市街戦となったが、守備不可能と判断した牟田口廉也司令官は独断で撤退を命じた。

問題3-3-4
1945年の終戦直前のビルマ方面軍の戦況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,ビルマ西部の防衛は第28軍の担当で、宮崎繁三郎中将の率いる第54師団のみとなっていたが、アラカン山脈へ後退しつつ抵抗を続けていた。
2,3月27日、ビルマ国民軍11,000名はアウンサンの指揮のもと日本軍に対して銃口を向けたが、ビルマ人部隊によって直後に鎮圧された。
3,4月23日、ビルマ方面軍司令官木村兵太郎大将は、ビルマ政府や日本人居留民に対する処置も明らかにしないままに、ラングーンを放棄し東方のモールメンへ脱出した。
4,ラングーン放棄により孤立した第28軍は、34,000名をもってペグー山系に脱出したが、雨季のシッタン川を無事に突破できた者は半数以下の15,000名に過ぎなかった。

問題3-3-5
終戦後のビルマの状況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,ビルマの鉄道は機関車の85パーセントを欠損し、ラングーンの港湾施設は破壊され、農民の生産手段も多くが奪われ、また、コンバウン王朝の旧王宮のあったマンダレーや瀟洒な文化都市メイクテーラは破壊され、貴重な歴史遺産が失われた。
2,ビルマを脱出したインド国民軍のチャンドラ・ボースはソ連へ向かおうとしたが、台湾で飛行機事故により死亡した。
3,ビルマの国家元首バー・モウは、日本の新潟県に一旦は潜伏し、1946年1月にGHQへ出頭し、後に新潟県の山村で生涯を過ごした。
4,反乱を起こしたアウン・サンは、ビルマ国民軍を「ビルマ愛国軍」と改称した上で連合軍の指揮下に入ることに合意したが、1947年7月に暗殺された。

問題3-3-6
終戦後のイギリスの状況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,ビルマの戦いにおいて、イギリス軍および英連邦諸国軍は戦死者14,326名、負傷者・行方不明・捕虜59,583名の犠牲者を出した。
2,イギリスはビルマの戦いの最大の勝利者となったかに見えたが、日本軍の仕掛けたビルマ国内の独立の機運と、イギリス軍と日本軍の壮絶な戦いを経て醸成された反イギリス感情はすさまじく、再び勝者となったイギリスが同国の支配を続けるような情勢ではなくなっていた。
3,日本軍がビルマを占領した後、日本軍が侵入した場合に植民地内の輸送船や牛車が敵の手に渡ることを恐れたイギリスは、各地でこれらを押収したり破壊したりしたため、その飢饉において3万人が餓死したとされている。
4,最後のイギリス領インド帝国総督となったマウントバッテンは1947年8月15日、インドの独立式典に立ち会って後、ネルーへ権限を委譲してアジアから去っていった。

問題3-3-7
戦後ビルマの日本の状況について明らかに誤っている選択肢を選べ。

1,日本は敗戦により台湾以外のアジアにおける全ての領土的権益を喪失した。
2,ビルマ方面作戦に参加した303,501名の日本軍将兵のうち、6割以上にあたる185,149名が戦没し、帰還者は118,352名であった。
3,戦争後、ネ・ウィンをはじめとするBIA出身のビルマ要人は日本への親しみを持ち続け、クーデターによって大統領となったネ・ウィンは、訪日のたびに南機関の元関係者と旧交を温めた。
4,現在のミャンマーの国定教科書では、戦時下の日本をファシスト、イギリスを帝国主義者と記述している。

以上

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