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元不登校→全日制の高校生が教える不登校の「解決」。

どうも。風山ふみです。

最近、「不登校の解決ってどこにあるんだろう」ということをよく考えます。

わたし自身、中学生の頃に不登校になって、この春から全日制の高校に通うようになりました。 周りからしたら「解決した」に見えるかもしれません

でも、わたし自身はそう思っていなくて。

むしろ、「不登校の解決=登校できるようになること」という定義が、そもそもズレてるんじゃないかと思っています。

今日はそのことを、できるだけ正直に書いてみようと思います。


「学校に行き始めた」=解決じゃない

よくあることなんですが、不登校だった子が学校に行き始めた途端、周りの大人がホッとするんですよね。

「解決した!よかった!」って。

でも、ちょっと待ってください。

その子は、本当に自分の意思で学校に戻ったんでしょうか。

わたしが不登校だったとき、一番しんどかったことの一つが「親が心配している」という空気でした。

親の焦りは、子どもの自責になる。

以前のnoteでも書いたことがあるんですが、
これはほんとうにその通りで、子どもって、親の不安を読み取るのがめちゃくちゃ敏感なんです。

だから「親を安心させるために学校に行く」という選択をしてしまう子も、少なくないと思う。

それって、解決じゃないですよね。

表面上は登校できるようになっても、
根本にある「しんどさ」は何も変わっていない。

むしろ、「頑張ってる」という仮面の下で、もっとしんどくなっていく可能性がある。

それが怖い。
だってここでもっとひどくなっていくのを
私は見たことがあります。


そもそも、不登校って「問題」なんでしょうか

ここで一回、根っこの話をさせてください。

不登校とは、読んで字のごとく学校に行けなくなることです。

でも、行けなくなる理由は、本当に千差万別なんですよ。

勉強が嫌いとか、友達関係が辛いとか、そういうわかりやすい理由だけじゃなくて、常に誰かが周りにいる空間のストレス、音のしんどさ、コミュニケーションを長時間維持することの疲弊、それが全部「評価」という形で先生の目線にさらされる環境…。

原因は無限にあります。

だから不登校はただの「現象」なんです。それ自体が問題なわけじゃない。

こんな話をすると
「それが社会だから」
「社会に出たら通用しない」
という意見もよく聞きます。

確かに、社会で生きていくために最低限の礼儀とかコミュニケーション能力は必要になってくるでしょう。

ただ、そういった力って、実は仕事や実際の経験の中で身についていくものだとわたしは思っていて。

それよりも大事なのは、教育基本法の第一条に書かれていること、「民主的な国家及び社会の形成者を育てること」なんじゃないかと。

民主主義の社会って、「社会は私たちが作るんだ」
という意識を持った人間が集まって初めて機能するものですよね。

なのに、「それが社会だから」「ルールに従え」という圧力の中で育てられた子どもが、「社会は自分たちで変えられる」と思えるでしょうか。

そう考えると、学校が合わなくて不登校になること自体は、
むしろ正直で、正しい反応なんじゃないかとすら思います。


じゃあ、本当の問題ってなんだ

ここが大事なところです。

不登校の問題は、学校に行かないことじゃない。

問題は、「教育を受けにくくなること」です。

民主主義社会で自分の意見を持って動いていくためには、
知識も、思考力も、人と関わる経験も必要です。

それを積む環境から切り離されてしまうことが、本当の問題。

だから、「学校に行き始めた」だけでは解決にならない。

と同時に、「不登校のまま何もしない」のも解決にならない。

でも、これ、個人の力だけではどうにもならない部分が大きいんですよね。

つまり何が起きているかというと、
「社会は自分たちで変えられる」という意識を大事にしようとすると、「社会を動かしていくための力」が手に入りづらくなってしまっているんです。

むしろ、「自分たちは社会の一員なんだ」と思っている子どもは、他の子と比べても大きなモチベーションがあるんです。

だから、毎回授業出て眠ってるよーなやつより、
むしろそう思ってる子に学べる場を提供すべきだと思います。

最近は学びの場として、フリースクールも増えてきました。

でもフリースクールは月3〜5万円、高いとそれ以上かかることが多い。
経済的な余裕がなければ、そもそも選択肢が生まれない。

以前も書きましたが、わたしが「資本主義の利活用」というテーマに惹かれているのも、ここなんです。

不登校支援の持続可能性を、
寄付や助成金だけに頼らない仕組みで実現できないか。

これは社会全体が変わらないと根本的に解決しない問題で、
一人の不登校児がどう頑張っても限界がある。

つまり、不登校の解決とは社会問題の解決にあるんです。


だから「精神的な自立」が、個人にできる最善手

「社会全体を変えろって言われても…」となりますよね。
わかります。

だから個人の話をします。

わたしが思う、不登校における「解決の一歩」は、精神的な自立です。

もっとわかりやすく言うと、
「自分の人生を生きるのは自分しかいない、という意識を持つこと」。

不登校になると、親も心配するし、先生も関わってくる。 いろんな大人がいろんなことを言ってくる。

その中で、自分の「軸」みたいなものをうっかり他人に渡してしまうことがあるんですよね。

「先生がそう言ってるから」「親がそう言ってるから」って、気づかないうちに自分の主体性を手放してしまう。

でも、自分の人生の主語は、自分でなければいけない。

だからこそわたしは、不登校の期間に
「なぜ自分は学校に合わなかったのか」
「自分は何をしたいのか」
「社会についてどう思っているのか」
を考え続けました。

答えはすぐには出なかったし、今でも変わり続けています。

でも、その「問い続ける姿勢」自体が、精神的な自立の第一歩だったと今なら言えます。

そして、その軸があったからこそ、高校に入学してから「それが社会だから」と言われても流されずにいられる。

むしろ、自分は社会の中の一人だし、できることはたくさんあると思えています。

だから学ぶことの意義も、学校に行くことの意味も人一倍知っている。

「自分の人生は、自分で生きる」という思いが土台にある。

だからこそ、
コンスタントに学力やコミュニケーション能力を育てつつ、自分の思いはちゃんと自分の手元に置いておける。

自分の「軸」は、外に出て見つける

ここで一つだけ注意したいことがあって。

「精神的な自立」「自分の軸を見つける」という話をすると、内側ばかりを探そうとする人がいます。

自分の過去を振り返って、「子どものころ好きだったこと」を書き出して…みたいな。

でも、以前のnoteで京大の公開講座に行ったときに学んだことなんですが、

自分の「やりたいこと」は、自分の知っている範囲でしかない。

内側に答えがないから悩んでいるわけで、そこを掘り続けても出てこないんです。

だから、まず外に出ることが大事。

新しい人と話す。 本を読む。 知らない場所に行く。
なんでもいいから、「知っていること」を増やしていく。

その中で「なんかよくわからんけど好き」ってやつに出会う。

それが、今のあなたの「軸」の原型です。

不登校の時間は、そのために使える時間でもあります。

学校に縛られない分、世界を広げられる時間が増える。

その時間を、ただ「学校に行けない期間」として過ごすのか、「自分の軸を育てる期間」として過ごすのかで、その後が大きく変わるとわたしは思っています。

まとめると

不登校の解決は、社会の問題を解決することで初めて達成される。
個人ではどうしようもない部分がある。

でも、今その中にいる人にできることがある。
それが「精神的な自立」、つまり自分の人生の主語を自分に取り戻すこと。

自分の人生を生きているのは自分だ、という意識を持てた時、初めてどこへでも踏み出せるようになる。

もし今、不登校で悩んでいるあなたや、
その家族がこれを読んでくれているなら、

「登校できるかどうか」よりも、
「この子は自分の人生に主体的でいられているか」

を、まず考えてみてほしいと思います。

以上、風山ふみでした。

これからも時々不登校から全日へ通うようになった経験から
不登校について書いていこうと思うので、

・不登校の子を持つ親御さん
・元不登校、または不登校中の人
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https://note.com/kazeyama_fumi/n/n3b0500fcb6c9

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