『「介護時間」の光景』(271)「ポット」。7.1。
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年7月1日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年7月1日」のことです。終盤に、今日、「2026年7月1日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。
2007年の頃
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
そういう生活が4年続いた頃、母の症状が落ち着いてきました。
そのため、それまで全く考えられなかった自分の未来のことまで、少し考えられるようになったのですが、2004年に母に内臓の病気が見つかり、手術し、いったんはおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。
そのため、なるべく外出をしたり、旅行をしたりしていましたし、2007年の2月に、熱海に旅行にも行けました。
母の体調は、だんだん悪くなっていくようで、そのせいか、ほぼ毎日、病院に通っていました。本当に調子が悪いのが明らかでした。いつまで続くのかわからない辛さのある時間が、急に限りあるように変わってきていました。
母は当然ですが、自分も、とても辛かったのだと、あとから振り返ると、わかるような気がします。
そして、5月14日に母は病院で亡くなりました。
7年ほど続いた「通い介護」も終わりました。
義母の在宅介護は続いていました。妻と二人で、だんだん在宅介護だけをする生活に慣れていくようでした。
2007年7月1日
「今年母が亡くなったのだけど、ほぼ同じ時期に、年上のいとこも亡くなった。
母の兄の息子さんで、穏やかで優しい人だった。
その人の四十九日の法要があって、行ってきた。
人もたくさんきていて、何か手伝うこともなかった。
帰ってきて、妻の母の介護が必要なのは変わりがないけれど、毎日のように病院に通っていたので、それがなくなったから、もしかしたら、何かやれるのではないか。
そんな気持ちになっていた。
7年間、ずっと無縁だった、やる気のようなものが、まだあった、ということかもしれない」。
ポット
夜中、コタツのふとんをやっとどかした。そのコタツ用のテーブルはそのまま使っている。その横に「お店で展示してあったので安く買えた」と妻が言っていたポットをたたみの上に置いてある。
頭の大きなボタンを押すとお湯が出る。そのボタンが、時々、そのまま戻りきらずに途中で止まってしまい、へこんだままになって、お湯がちょろちょろっと出っぱなしになる。その時は「解除」のスイッチを細かく横に動かすと元に戻る。
でも赤地に白抜きの「解除」の文字が、最近、買ったばかりなのに、かなり薄くなっているのに改めて気がつく。使わない時は、「ロック」。内田裕也。安直な連想だと分かっていても、そんな言葉が頭に浮かぶ。その青地に白抜きの文字は、まだ色がはっきりとしている。
(2007年7月1日)
その後も義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、妻と一緒に自宅で介護を続けていた義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得した。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2026年7月1日
毎日のように雨が降っている。
洗濯物もたまって、いつやむかわからない。
だから、少しでも晴れ間が出るような日はありがたく、昨日に続いて、今日も洗濯ができた。
ただ、また明日というか、夜中には雨が降るそうだけど、それまでに乾くだけ乾かしたいと思って、2回、洗濯をした。
空は灰色で、すっきり乾く感じはしない。
草花
柿の枝をかなり切ったけれど、それを補うように、葉っぱの茂り方が、いつもよりも激しいような気がする。
庭には、季節が進むごとに、いろいろな花が咲く。
いま、咲いているのがツリガネニンジンという名前だと、妻に教えてもらった。
知り合いの方に種をいただいて、それを植えてから、毎年のように咲いているらしい。
去年、もしかしたら見ているのに、記憶がないかもしれない。
今日は家にいる。
本を読んだり、何か書いたりをしていた。
男性介護者の見られ方
家族介護者の中で、男性介護者が占める割合は3割程度と言われている。
私も、その一人だった。
何がしんどかったと言えば、男性介護者は〇〇、という一方的な見られ方だった。
ある支援の専門家に、男性介護者は危険なんですってね?といったことを聞かれたことがあった。その当時は、介護殺人の加害者は男性が多い、という統計が出たばかりだった。
ただ、自分も男性介護者として、介護をしていたけれど、どうして、そのことを知りながら、尋ねてくるのか不思議だったし、あいまいな返事をしていたけれど、こちらの沈黙を強いられるような嫌な暗くて重い気持ちになった。
この本を読んで、そのときの思いと重なった。
自分の読み方は、偏りはあるのだろうけれど、それでも、こうした文章を読むと、憂うつになる。
著者(平山)が家族介護の調査で出会ったある男性です。
その男性は、一人で出歩けない高齢の母親を自宅で介護していました。彼はとても熱心に母親の世話をしている息子でしたが、同時に、自分で決めたやり方通りに進められないと気が済まない頑固な人でもありました。そのため、彼のやり方に異論を唱えた人——彼の妹、近所の人、母親を担当するケアマネージャーら——はことごとく遠ざけられてしまい、自業自得とはいえ、彼はほとんど孤立した状態に陥っていました。
この研究者は、これが男性介護者の一般的な像ではないと断りを入れながらも、こうした具体例を挙げれば、印象に残ってしまう。しかも、ここに至るまで、さまざまな事情があるかもしれないのに、(周囲の人にかけられた言葉によって、もうあまり人と関わりたくない、と思うことも珍しくないのに)、自業自得という「悪役」的な言葉をかぶせている。
女性介護者は、一般化というか、こういう傾向があるという語られ方をすることは少ないのに、男性介護者は、「仕事として介護をするからだめ」「こだわりが強すぎるから」といった言われ方をすることがある。
この本では、もっとアカデミックに語られているが、それでも、「男性介護者は〇〇」と言われていることには変わりがないように思う。そうしたラベリングに対して、何かを言うと、その発言に対して、さらに分析がされるから、沈黙するしかなくなる。それがマイノリティーということかもしれない。
こうした著書、もしくは、さまざまな論文を読んで、特に自分が介護をしていたときは、男性介護者としてだけではなく、家族介護者として、どうして、こんなに理解されないのだろう、と、かえって嫌な気持ちになったことも少なくないのだけど、もっときちんと反論できるように、もっと勉強し、学び、研究もし、実践の具体的な事を、さらに伝えることが、改めて必要だと思った。
それにしても、どうして介護者のことを論じた本や、論文で納得できるようなものが少ないのだろうと思う。そうであれば、それに応えるように、自分がきちんと形にしないといけない。と考えると、さらに気持ちは重くなる。
この「家族介護者支援note」には、そうした目的もあるのだけど、まだ自分の努力も能力も、十分ではないと思う。
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この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。
よろしくお願いいたします。
