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家族介護者の気持ち③「死んでほしいは、殺意ではない」

 この「家族介護者の気持ち」シリーズ(勝手に名付けて、すみませんが)では、家族介護者の気持ちが、介護が始まってから、どんなことを感じ、どんなことを思い、どんな風に変わっていくのか、を何回かにわたって、お伝えしたいと思います。

(過去2回は、「家族介護者の気持ち①介護のはじまり・突然始まる混沌。『家族介護者の気持ち②「いつまで続くか、分からない」と、「先を考えられなくなる感覚』です。クリックすると、そのnoteにいきます。


    今回は、『家族介護者の気持ち③「死んでほしいは、殺意ではない』がテーマです。いきなりぶっそうで、おおげさなタイトルに見えるかもしれません。ただ、こうした思いを抱くこともある家族介護者も思った以上に多いのではないかと、自分自身が介護をしてきて、そして、大勢の介護者と知り合うようになって、思うようにもなりました。

  それだけ介護を続けるということは、心理的には過酷ということだと思います。

   さらには、そうした思いを抱くのは無理がないことでもあるし、そして、それは「殺意ではない、のではないか」ということも、同時にお伝えしたいと思っています。

 これから書くことは、「家族介護者の気持ち②」と、重なる部分もあるのですが、介護者の気持ちの変化を、改めて、考えていきたいと思います。


「死んでほしい」と思ってしまうまでの気持ちの変化

 介護をしていて、ある程度の時間がたつと、その負担はずっと積もり続けていて、それをリセットすることは難しい。それに、介護を始めて、最初はとても混乱していて、その時も、もしかしたら、もうやめたい、とか、もう死にたいとか、場合によっては、死んで欲しいと、思ってしまうこともありえる。


 その時を過ぎて、介護に慣れてくると、ほぼ全員が感じるのは、これがいつまで続くかわからない、という感覚で、それは、ちょっと恐いことかもしれない。もちろん介護は辛いことばかりではないはずだが、それでも、介護が継続する中で、だんだん緊張感が抜けなくなり、濃度の変化はあるにしても、24時間、365日、介護へ向かって、ずっと緊張感が続くことになっていく。

 いつ終わるかわからないのは、人間にとって、もっとも辛いことの一つで、それだけで、気持ちのバランスが崩れても、おかしくない。それに加えて、介護をしていたら、具体的な介護の負担も続いている。たとえば、食事の介助をしたり、トイレの補助をしたり、入浴介助もあるかもしれない。そうした行為は、大変であっても、多少は慣れるかもしれないが、いつ終わるか分からない、いつも緊張が続くことは、目に見えない箱みたいなものに入っている感覚で、慣れるのは、とても難しい。

 しかも、その辛さは、その中にいる人以外には、伝わりにくい。肉体的な負担、場合によっては、慢性的な睡眠不足。さらには、介護に専念せざるを得ない時間の中で、人との交流も減らさざるを得なくなり、だんだんと深まっていく孤立感家族と一緒であっても、介護に関わっているのが、一人だけの場合、孤立感はより深くなる可能性すらある。

 毎日、介護をし続けている相手のことを、亡くなることを願ってしまうのは、「いつまで続くかわからない時間が、終わって欲しい」という気持ちが強くなり過ぎて、でも、どう終わらせていいのか分からなくて、ふと、目の前にいる「この人がいなくなれば、この時間が終わるのでは」という、混乱したつながりとして、現れているせいなのかもしれない。

 今、耐えられなくなりそうなのは「終わらない時間」で、毎日、同じような介護を続ける時間が蓄積されて、ふと先を考えると、ゾッとするくらい、同じような時間が続くような予感に襲われ、しかも負担が増えることはあっても、減ることは考えにくい状況である事に、そして、そこを歩まなくてはいけないのが、自分だけ、という孤立感の深さに、気がついてしまうことまである。

 この時間が続くのがもう限界で、この時間が続くことが終わってほしくて、本当は憎いわけでもないし、生きてほしいのに、この時間が終わるのは、介護をされている方(被介護者)が亡くなることだから、亡くなることを願ってしまう気持ちに、場合によっては、言葉にまで、なってしまう。

 これは、いわゆる「殺意」とは、違うように思える。そこには、介護をされている方(被介護者)への、「憎しみ」が見当たらないように感じる。

 ただ、今は精神的に追い詰められて、自分でも分かりにくく混乱していて、自分が本当に嫌になっていることに、うまく気がつかなくなっているのかもしれない。

 そんな時、もし、いつもとは違う出来事。介護をしている相手の方が、たとえば認知症で、本人にも悪気がないのに、つい失敗をしてしまう時。場合によっては、暴言などの攻撃性が、家族介護者に向けられてしまう時。ふと、何かが暴発するように、気持ちのコントロールが効かなくなる可能性まである。


こうした家族の気持ちを、どう考えればいいでしょうか。

 追い詰められた負担や負担感が、外へ向けられたとすると、それは、その家族介護者自身が、これまでとは「別人」のような言動をすることも少なくありません。それは、この介護生活の外にいる人から見れば、「日常的ではない」のですが、この状況にい続けている家族介護者にとっては、ある意味では自然な反応であり、「日常」でもあるのです。

どちらかといえば、異常(という言い方は適切ではないかもしれませんが、分かりやすくするために、使います)なのは、いつまで負担や不安が続くか分からない、という「介護環境」であり、家族介護者の言動は、災害時における「異常な状況の中での正常な反応」と似ている、と考えたほうが、家族介護者の理解に近づく可能性が高くなるはずです。

 そして、この段階の家族介護者の状態を、「非日常的とも思える強い感情」になっていると見た方が、支援が届く可能性も高まると思います。支援者が善意の対応をした時にさえ、尋常でない強い怒りなどを向けられても、そう見ることによって、精神的な負担は大きいとは思うのですが、少しでも支援がしやすくなるのではないでしょうか。

 そして、家族介護者にとっては、この段階は「非日常的とも思える強い感情」にあって、それは、被介護者に対して「死んで欲しい」と思っても「殺したい」と感じても、それほど、おかしくない状況でもあるという理解があれば、そのことで少しでも気持ちが楽になる可能性が出てきます。

 ところで、先ほどから当たり前のように使っている、この「非日常的とも思える強い感情」という表現ですが、実際の家族介護者の言葉や気持ちから考え、その上で、日常でも非日常でもないような介護生活を表すのには、より正確と判断し、私は、約10年前から、この言葉を選択しています。(私の力不足により、なかなか定着せず、お恥ずかしいですが)。

 非日常と言い切ると、別の世界の出来事になってしまいますが、日常的というには、あまりにも過酷でもあるからです。それだけに、「非日常的とも思える強い感情」という表現が、家族介護者と支援者を結ぶ言葉にもなり得ると思っています。

 当初はピンとこなかった専門家が、自身が家族の介護に関わるようになったら、実感として、この気持ちなのか、それは、この言葉は確かにしっくりくるかもしれません、といった感想も聞いたことがあります。


「死んでほしい」気持ち   参考文献4冊と1番組

 これまでにも、そんな気持ちに関しての、貴重な言葉は残されています。
 読む方の精神的な負担になるかもしれませんが、もし、よろしかったら、これからあげる参考文献や、番組に関する資料も手にとっていただければ、幸いです。


再度、私は精神のバランスを失いつつあった。この頃から、何かと「死ねばいいのに」という独り言が出るようになった。
 (中略)
「母が死ねばいいのに」だ。母が死ねばこの重圧から自分は解放される。が、それを口に出すのはためわられるので、主語なしの「死ねばいいのに」なのだ。これだけ自分で自分を分析できるのに、それでも口を突いて出る「死ねばいいのに」を止めることができなかった

 この著者の言葉です。正直で、正確な描写は、介護者への理解に、偉そうな言い方になり、申し訳ないのですが、大きく寄与していると思います。


 事件を起こしてしまった方の貴重な証言が数多く載っています。読んでいて、辛くなるかもしれませんし、こうした言い方をするのは不遜だとも思いますが、貴重な記録だと思います。

夫に「(母親の)首、締めてしまうかも」と言ってみたこともあったが、「監獄行きだぞ」という言葉が返ってきただけ。母親を殺したいとも憎いともまったく思っていないのに、とにかくこの状況から逃げ出したいという一心だった。 


 2004年富山県で、同居する息子が介護をしていた認知症の母親を殺してしまった事件があった。

作れども日々残飯になる食事、どんどん進む衰弱、かみ合わない母とのやりとり…絶望感で自暴自棄になった息子は、救いの手にも自ら扉を閉ざした

 息子本人の言葉も残っている。

塾をやめたのは介護と両方は無理やと思ったから。肉体的でなく、精神的にきつかった。介護は二年余りやったけど、三ヶ月で限界に近かった

 この本には、一方で、介護の経験者から、支援を始める人もいる、という希望につながり得ることも記されている。

(認知症の人と家族の会)「愛知県支部代表の尾之内直美さん(五一)は「介護をしてきた人なら、誰もが一度は『殺そう』『死のう』と思った瞬間があるはず。家族を助けるノウハウは、自分たちの経験からつくり出した」


 N H Kの番組でも事件を起こしてしまった当事者の方々の発言が放送されたことがあります。番組内では、独自の集計により、今(2016年当時)でも、2週間に1件のペースで、介護殺人・心中が起こってしまっている、という報告もありました。

 そして、番組内では、結果として、介護をしてきた寝たきりの妻を殺してしまった男性が、「自分は妻を憎くてやったんじゃない」と、自分の子供達に伝えても、聞き入れてくれなかった、という言葉も、ありました。


 事件ではなく、一歩手前でとどまった家族介護者の貴重な証言が数多く掲載されています。切実な言葉ばかりで、個人的には、本当に他人事でないと思いました。自分にも似たような瞬間があり、運良く切り抜けてこれただけ、という思いが、恐さとともに、今でもあります。


家族介護者と、介護の専門家の違い

 これまでの、厳しい「介護環境」にいる人たちの発言などは、こうして読んでいただいている中にいらっしゃる、介護の専門家にとっては、こう感じていらっしゃる可能性もあります。

 ちょっと、大げさではないか、私の周りの家族介護者の方々からは、「死んでほしい」とか「殺したい」とか、そんな話は聞かない、という思いになる方も少なくないと思います。

 本当に、そういう場合もあります。家族介護者としてのもともとの力があったり、資源に恵まれていたり、協力者が多かったりすれば、「死んでほしい」と思ってしまうような、「非日常的な強い感情」になりにくいのも事実です。

 でも、いつもは明るくしている家族介護者に、個別に、長く話を聞く機会が偶然、訪れることもあるかもしれません。そんな時、ぽろっと、そんな話が出てくる可能性もあります。無理に、こちらから聞いて、相手の方が傷ついてしまうことは避けていただきたいですが、先方から、「死んで欲しい」や「殺したい」もしくは「死にたい」といったことも話し始める可能性もあります。

 そんな時は、まずは、話を静かに聞いていいただけないでしょうか。
 当事者以外が、完全に理解するのは、どんなことでも難しいですが、理解しようとすることは、可能だと思います。そのことで、孤立感が少しでも減らせれば、そのことで少しでも負担感は減る可能性が高いと考えられます。
 介護の専門家の方々は忙しいし、本来は、家族介護者の支援ではなく、介護を必要とされる方々(被介護者)への支援が専門ですから、そんな時間もないほど、お忙しいとは思うのですが、ほんの少しでも気を向けてくだされば、ちょっとでも違うと思います。そのわずかの違いが、家族介護者にとっては、大きいと考えています。


 家族介護者は、介護をする方(被介護者)と一緒に、小さい船に乗って、ずっと揺れ続けている海の上で暮らしているような印象があります。そして、それは、当然24時間、365日、ずっといるので、時々、人が見てないところで、波が大きく乱れる場合もあります。その外側の変化が、「介護環境の厳しい変化」なのだと思います。

 介護の専門家は、介護技術や知識や情報や経験など、おそらく家族介護者に比べたら、はるかに豊富な資源を持っている場合が多いと思います。それでも、介護の専門家のいる場所は、介護者がいるのが海であるならば、陸の上にいるのだと思います。立場が違うのですから、当然のことです。

 それでも、「揺れ続けている海の常識」と、「陸の上の常識」は違いますし、陸の上から、海で揺れている狭い船を見ていると、それは、「おかしな光景」に見える可能性があります。
 そして、家族介護者も、介護を終えると、海から陸に戻り、いつのまにか、海の上での感覚を忘れてしまうかもしれません。
 「死んでほしい」「殺したい」と思うような状況は、海でいえば、大きい嵐の時ですから、それは、その時間をなんとか乗り切れば、忘れてしまう感覚だし、忘れたい気持ちかもしれません。その時の自分は、おそらくは「非日常的とも思える」存在になっていた可能性もありますから、それは、思い出すのも、辛いことなのではないでしょうか。

 最後のたとえは、かえって分かりにくいかもしれませんが、それくらい「介護時間」は、「非日常的とも思える」異質な環境だということは、言えるのかもしれません。

 全体として、あまり接したことのない言葉が多かったかもしれませんが、それは、なるべく「家族介護者の当事者の視線」を再現しようとしたため、と思っていただければ、幸いです。


次回は、『「家族介護者の気持ち④」介護者の病気・介護うつ』です。
(クリックしていただければ、その記事にいきます)。

 

他にも、介護に関して、いろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしく思います)。


介護の大変さを、少しでもやわらげる方法① 自然とふれる

「介護books」 ① 介護未経験でも、介護者の気持ちを分かりたい人へ、おすすめの2冊

『介護時間』の光景① 「母娘」

介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由①


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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』  この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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