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介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由③

 家族介護者とは、被介護者という存在が生まれて、初めて役割として担うのだから、それまでは何の準備も道具も知識もなく、急に介護者となる事が多い。私自身も、家族に介護が必要になり、巻き込まれるように家族介護者となったのは、20世紀の終わりの頃だった。

 それから、いろいろなことが重なって、自分自身が発作性心房細動を起こした。仕事を辞めることを決めた。親の年金と、父親が残してくれた貯金で、何年かは持つと思った。その先のことは、考えないようにして、自分の未来をあきらめた。

 母親に入院してもらい、そこに通い続け、家に帰ってから義母の介護を補助する毎日が続いた。土の中で息を潜めて生きているような気持ちだった。

 母親が入院して2年がたつころ、看護師長から、声をかけられた。入院の減額措置があるという内容だった。お金の負担が少しでも減るのはありがたい。それに加えて、介護を始めてから、病院関係者に、患者の家族として、初めて気を配ってもらったように思えたから、うれしかったし、やっと、生きていこうと思えるようになった。


 心臓の発作を起こしてから、体重を減らそうと思い、アルコールを一切やめ、その頃には、20キロ近く軽くなっていたが、本人は、そんなに減った感じもなかった。

 初めての自国開催ともなる、2002年のサッカーのワールドカップは、母親の病室のテレビで、母と一緒に見た。日本代表のチームが予選突破を決定づけるゴールを決めた時、同じ階の病棟の遠くの方から、歓声が聞こえてきた。穏やかで、うれしい気持ちになった。


 2000年から介護保険制度が始まったが、当初は、母親も、義母も、使う予定はなかった。ただ、介護認定だけでも、といったことを、誰かにアドバイスされ、病院で、審査に、立ち会ったりもした。その審査の質問項目に納得がいかなかったし、調査員としてやってくる人は、ケアマネージャーの資格を持っている人たちのはずだったが、その質問のしかたや、病室の外で話をした時に、認知症といった精神症状について、あまりにも理解がないと思ってしまった。

 自宅で同居している妻の母親は、耳が聞こえず、ほとんど歩けなかったが、一度、玄関で転んで、ヒザを骨折してから、ほぼ歩けなくなっていった。主介護者は、妻だったから、介護の負担を減らすためにも、当初は使わなかったデイサービスを利用するようになった。幸い、徒歩5分くらいのところに施設があり、そこに通うようになった。2002年頃だった。そこで知り合い、時々話すようになった介護の専門家には、どうして分かってくれないのだろうと、思うこともあった。

 同じ頃、ホームヘルパーの資格をとるために受けていた講義で、ビデオを見た。その中で、〝家族が介護をしていましたが、家族が素人のため、適切なケアができず、歩けなくなりました〟といった表現があった。そんなふうに見られているんだと思った。その講義が終わってから、一緒に怒ってくれたのは、家族の介護をしている女性だった。

 少しずつ、いろいろな職種の介護の専門家と知り合う機会が増えていった。

「お母さんの病気を受け入れるのが大変だったでしょ」。
 介護の専門家と会話した時に言われた。
 相手の人は善意で言ってくれていたが、介護を始める時に「受け入れる」という、どこか高いところから見たような考えを持ったことはなかったし、もしかしたら、そういう余裕すらなかったのかもしれない。
 その時は、いつも目の前にいる家族が、少しでも苦痛が減る方法を、具体的に専門家に教えてほしいだけだったのだが、「受け入れるのが大変」という言葉が何度も繰り返され、軽い疲労感を憶えた。


 さらに何年かたった。社会の介護への関心自体は、高くなっていたように思う。
 私自身の介護は、同じように続いていた。

 介護に関心がある人がよく使う言葉が、「老老介護」「介護うつ」だという事を知るようになった。尋ねてくれた時だけ、私自身の介護の話を答えると、その2つの言葉は、理解を示しているという気配と共に返ってくる事が多かった。
 だけど、申し訳ないのだが、善意に対して御礼を言いつつも、気持ちの中ですぐに反論していた。
「親や配偶者に介護が必要になる時、多くの場合は、介護者もかなりの年齢になっていることが多い…。だから、老老介護という状況そのものが問題ではないのに…」。
「…介護うつ、と言われても、毎日24時間で休みがなく、いつ終るか分からず、仕事もやめざるを得ないような状況で、明るくいられる人がいるのだろうか…」。 

 そういったことを考えたりもして、介護をしていない人と、介護の話をするのが、だんだんと嫌になっていった。

 同時に、介護を続けていく中で、他の家族介護者の方々と知り合う機会も増えていった。 女性が圧倒的に多かった。そういう人たちとは、話すことが多くなった。厳しい時に、支えてもらったように思っているから、今でもとても有難い気持ちは続いている。

 介護している他の人たちが、私どころではない大変さの中で黙々と介護を続けているのを知り、また他方では、介護殺人や介護心中が毎年数十件も起こっていることも知った。週に1件くらいのペースだったはずだ。
 そんな事件の話題になると、私を含めて、他の家族介護者の方も、“他人事ではない、気持ちは分かる”といった話になった。

 私は心臓の病気を抱え、薬を飲み続けていたが、妻も、ぜんそくになってしまった。
 おそらく、家族介護者としての自分たちは、自分自身の不調や負担に対して、どこか鈍くなってしまっていたし、そのように麻痺させないと、介護は続けられなかったのかもしれない。それでも、やはり、介護の負担や負担感は、蓄積し続けていたのだと思う。

 介護する人間の、精神的なストレスそのものを和らげることを本気で考えないと、と思うようになった。
 介護サービスを増やすなど、具体的な支援も必要だけど、介護者にこそ、精神的な支えが必要だと感じていた。
 自分もきわどいところにいるのに、そんなことを思うようになっていった。

 どんな専門家が、気持ちを支えてくれるのだろうか。
 それまでの自分の経験や知識の中では、カウンセラーという職種が、頭に浮かぶのが精一杯だった。図書館に行って、カウンセラーになるためには、といった本を借りてきて読んだ。

 目次には、「カウンセラー」が多く並び、いろいろな「カウンセラー」が存在することを知り、そして、冒頭に紹介されていたのが、臨床心理士だった。そこには、“臨床心理士はカウンセラーの王様です”といった表現があった。それは今になってみれば、自分の願望も入っているかもしれず、人に言うと笑われることもあるから、もしかしたら、自分の記憶の勘違いなのかもしれない。

 ただ、そのあとに“なぜ王様なのか?”の説明も続いていた。それは、資格試験を受けるために、少なくとも臨床心理学専攻の大学院は行かなくてはいけない、という条件があげてあった。勉強と訓練の時間が、他のカウンセラー資格と比べても、長いために、王様という言い方になったらしかった。 

 ただ、その時の自分には大学院に通う時間も余裕もお金もなかった。だから、臨床心理士になるのは、不可能だと思っていた。なんとなく、心理学に関する本は読むようになったが、具体的な目標とはなりにくかった。それでも、臨床心理士という仕事は、気になり続けていたのだと思う。

 母親の入院している病院の、患者の家族会があった時に、病院の様々な職種のスタッフの方々も同席していた。その中に、こちらが話し始めると、正面を向いて、私が話した言葉を繰り返すようにして、丁寧に聞いてくれる女性スタッフがいた。そのコミュニケーションのありかたが、かなり不思議に感じたが、聞こうとしている気持ちは、かなり伝わってきたように思う。その人が臨床心理士だったことを、いつ知ったのか、よく覚えていないが、その印象は強めだったのだと思うし、母がお世話になっていた感謝の気持ちはあった。

 介護をしている時に、家族介護者として、私自身は、どんな支援が欲しかったのだろうか。
 自分自身は、家族介護者の知り合いもできたし、そういう人たちに救われることも多かった。それでも、時々、ただ話をきちんと聞いてくれるような支援はないだろうか、と思うこともあった。介護の専門家と話をする時に、もちろん相手はプロであり、善意でもあるのだけど、多くの場合は、親切な言い方で、“もう少しこういう風にすれば”と言われているようだった。
 せっかく言ってもらって、申し訳ないのだけど、気持ちの中で『これ以上どうすればいいのだろう』と思っていた。たぶん、何より、理解して欲しかったのかもしれない。その上での支援をしてほしかったのかもしれない。


 2000年に、母親に今の病院に入院してもらい、クルマで一人で帰る時に、夕陽が大きく、いつもより赤く、柔らかく崩れるように見えたのは覚えている。その時は、誰に言われたわけでもないのに、親を捨てた、という言葉が、何度か頭に浮かんだ。そういう気持ちは、ずっと抜けなかった。

 それから、4年がたとうとしていて、母の症状は安定していて、病院で穏やかに過ごしている時間が、多くなった。義母は下り坂だったものの、この状態が続くのであれば、病院に通う日数を減らして、私自身の、何か自分の将来につながることも、始めたいと思うようになった。
 それが、2004年の春の頃だった。


『介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由④』へ続きます。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』  この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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