短編ミステリ「前世記憶の殺人者」(2)(創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)
(2)
コーヒーカップをソーサーの上に置き、革張りのソファーに座り直した美加は、テーブルを挟んで向かいに座る白衣姿の女性の顔をあらためて見直した。
ウェブサイトに掲載されている彼女の画像には見覚えがあった。しかし、どこで見たのか思い出せず、ここに来るまでずっと気になっていたのだけれど、こうして直接本人に会ったところで、ようやく思い出すことができた。
思い切って聞いてみることにする。
「あの……、天堂先生って、最近テレビに出てませんでしたか?」
それまでの、いかにもカウンセラーらしいスマートなイメージから一転、天堂真希那は、美加の指摘にびっくりするほど取り乱した。
「な、何のことか分かりません」
落としそうになったタブレットを抱え直し、平静を装うようにコホンと咳をする真希那に、美加が追い打ちをかける。
「先日放送していた超常現象の特番で、生まれ変わりについて討論していましたよね」
『お子さんが水を怖がるのは、間違いなく、水が原因で亡くなった前世の影響です!』と、テレビで熱弁していた心理カウンセラーは、間違いなく目の前の女性だった。
真希那の赤くなった顔をまじまじと見つめていると、彼女は完落ちした犯罪者のようにガクッと頭を下げた。
「知り合いにどうしてもって頼まれて……。カウンセリングルームの宣伝にもなるからってそそのかされたんです。生まれ変わりと前世記憶について説明してもらうだけって言うので安易な気持ちで参加したら、まさか、あんな茶番の片棒を担がせられることになるなんて……」
真希那は頭を抱えながら「黒歴史だ」とつぶやいた。
※
前世記憶の騒ぎから二日後。美加が訪れた〈天堂カウンセリングカフェ〉は、駅から少し離れた商業ビルの三階にあった。
心理カウンセリングルームとして開業したばかりの施設で、真新しい室内には本物のカフェのように革張りのソファーと木のテーブルが設置されている。
代表を務める臨床心理士の天堂真希那は、大学で『人の死と生まれ変わり』を専攻し、数年前まで前世記憶の研究を行っていたという。漣のことを相談できる相手を探していた美加にとってぴったりの人選だと思っていたら、まさか漣が前世記憶のことを言い出すきっかけとなったあの特番に出ていた人だったとは驚きだ。
真希那は美加と同世代で三十代前半。整った顔立ちに栗色のショートボブが似合っている。化粧っ気がなかったりするのは、カウンセラーという職業柄、意識的に印象を地味にしようとしているからなのかもしれない。
そんなプロ意識が高そうに見える真希那であったが、今はカウンセラーの仕事を忘れ、出演した番組がどれだけ不誠実だったかという愚痴が止まらなくなっていた。
「ひどいと思いませんか。スタッフに案内された場所に座って周りを見渡したら、皆さん個性が強い自称専門家ばかりで、その人たちが生まれ変わりについて突っ込みどころ満載の自説を唱えては、反対側に座る否定派の方々にこっぴどく反論されてスタジオ大爆笑。もうね、最初っから生まれ変わりや前世記憶が非科学的な胡散臭いものという前提で番組が作られているんですよ。
私だってね、専門家として意見を言いましたよ。でもね、強く主張すればするほど笑いが起こるって、どういう状況ですか! 美加さんもひどいと思うでしょ?」
声のトーンがどんどん上がっていき、口調もだんだん馴れ馴れしくなってきた。端から見たら、どちらがカウンセラーか分からないだろう。
このタイミングでは非常に聞きづらいが、そうも言っていられない。わざわざ真希那を訪ねてきたのは、彼女の愚痴を聞くためではない。息子の前世記憶について専門家の意見を聞くためなのだ。
「番組作りのことは私にはよく分からないですが――」と前置きしつつ、美加は勇気を出して一番大事なことを確認する。
「番組では有耶無耶になってましたけど、あの……、結局、生まれ変わりや前世記憶は本当にあるってことでいいんですよね?」
それを聞いた真希那は少し間を置いた後、盛大にため息をついた。なんなら少しすねている。
「……美加さんも生まれ変わりを疑ってるんですね」
「いえ、そういうわけでは……」
慌てて否定しようとする美加の言葉を、真希那が右手で制した。
「――分かりました。では、とっておきの話をしましょう」
彼女はソファーから立ち上がり、舞台女優さながらに室内を歩き回り始めた。
「私の知っている女の子の話です。その女の子が三歳になってすぐのこと、両親に向かって急に不思議なことをしゃべり出しました。例えば――」
『うちはずっと貧乏だった』
『大人になったらお化粧をして、お姫様になった』
『お金持ちにはなったけど、最後は病気で死んじゃった』
そのようなことを女の子は話したそうだ。
「父親は娘が変な夢を見たのだと決めつけましたが、母親は娘の言うことを否定せず、むしろ丁寧に耳を傾けました。すると女の子は、お気に入りだという歌を口ずさみました。両親ともに聴いたことのない歌だったので調べたところ、実在する昔の歌謡曲だったことが分かりました。ですが奇妙なことに、女の子にその歌を教えた人は誰もいないのです」
女の子の置かれた状況は、漣のそれとまったく同じだ。真希那が何を言いたいのか、美加にはすぐに理解できた。
「昔の歌謡曲がお気に入りだという人物は、女の子の前世なんですね。女の子は前世の記憶を現代に生まれ変わっても忘れずに覚えていて、それを両親に伝えたと……」
「そのとおりです」
真希那が頷く。
「この女の子のように、生まれた環境から考えて明らかに不可思議な言動をする子どもの事例は、実は世界中で数多く確認されているんです。アメリカのバージニア大学医学部知覚研究所の調査によると、その数は二千六百人にも上っています」
「そんなにいるんですか」
人数が多いこともさることながら、大学の研究所が世界中を調査し、それだけの事例を確認していることにも驚きを感じる。
「いいですか、ここからが大事なのでよく聞いてください。なんと、研究所が確認した事例のうち実にその七割で、不可思議な言動の基となる記憶の本来の持ち主――前世と考えられる人物が特定されているんです。
美加さんの言うとおり、不可思議な言動は、前世の人物が体験した記憶によるものと考えられました。つまり、生まれ変わりとそれに伴う記憶の引き継ぎが実在することは、多くの事例によってすでに実証されているんですよ!」
二千六百人の七割といえば千八百人ほどになる。なるほど、前世が特定され、記憶の引き継ぎが確認された事例がそれだけあるのなら、生まれ変わりが実在するという真希那の主張も多少は現実味が出てくるというものだ。
「どうです? 生まれ変わりが本当にあるということをご理解いただけましたか?」
美加は声に出さないで「うーん」と唸った。正直なところ、オカルトじみたものという印象は完全には拭えていない。悩んだ末に「ええ、まあ」と曖昧に返答すると、それを納得したと捉えたのか、真希那はソファーに座り、一仕事終えたような満足げな顔をした。
「確認されている事例だけでこの数ですからね。確認されていない事例はこの何倍もあるでしょう。前世記憶を持っている人たちが世界中にこれだけいることを考えたら、身近に現れてもおかしくはないんです。だから、美加さん。もし身近な人が前世記憶を持っていたとしても、不安に思ったり、怖がったりしないであげてくださいね」
最後の方は冗談のつもりだったのかもしれない。意味ありげにふふっと微笑んでいる。そういえば、カウンセリング予約の申込用紙には『息子のことで悩んでいる』としか記載していなかった。漣の前世記憶のことを、まだ真希那は知らないのだ。
「実はですね――」
遅まきながら、美加はこれまでの体験を最初から説明する。
話が進むにつれ、真希那の目の色が明らかに変わっていった。そして美加が説明を終えた瞬間、「漣くんの言動は、間違いなく前世記憶の影響です!」と力強く断言した。
「やっぱり……、そうなんですかね」
煮え切らない態度の美加に、真希那が怖い顔で詰め寄ってくる。
「漣くんは、家族の誰も知らない葛木亮さんの本名を知っていたんですよ。これこそ、生まれた環境から考えて明らかに不可思議な言動そのものじゃないですか。葛木さんの本名を知っている前世の人物から記憶を引き継いだと考えなければ説明がつきません」
真希那は他にも、漣がお風呂嫌いなのは水が原因で亡くなった前世の影響だとか、前世で衝撃的な死を経験すると、心的外傷を受けたようになって記憶に残りやすい等々、漣の前世記憶が本物だとする根拠をいくつも上げていった。前世記憶の実例を目の前にして興奮を抑えられないといった様子が、その表情からありありと窺える。
「漣くんの前世はキクチという名前で、葛木亮さんの親友であると。ここまで分かっているのなら、人物の特定もそれほど大変ではないかもしれません。すぐにでも漣くんと面談の機会を作って、聞き取りを開始しましょう。いつがいいですか? うちは今のところカウンセリングの予約がガラガラなので、何ならこの後すぐでもいいですけど――」
「あ、あの、ちょっと待ってください」
強引に話を進める真希那に、美加は慌てて口を挟んだ。
「もしかして、前世が誰かまで調べてくれるんですか?」
「当たり前じゃないですか」
真希那が、なに言ってるんだこの人は、というような顔をした。
「前世の特定は生まれ変わり研究の基本中の基本です。前世が特定されている事例を既決例、特定されていない事例を未決例と呼びますが、調査によって未決例を既決例にすることは、前世研究の中で一番大事なことなんですよ。ただそのためには、漣くんへの聞き取り調査が必要不可欠なんですけど……、もしかして美加さんはそこまで望んでない感じですか?」
美加が乗り気ではないように見えたのか、真希那が逆に聞いてきた。
「いえ、私も息子の前世の人物を知りたいとは思っているんですが……」
漣はテレビで葛木亮の姿を見てから、前世の自分は誰なのか、なぜ殺されなければならなかったのか、知りたがるようになっていた。母親としては、息子の願いを叶えてあげたいと思っているので、真希那の提案はとてもありがたい。そのことを説明すると、真希那は当然とばかりに大きく頷く。
「漣くんだけではありません。前世記憶を持っている人は、みんな自分が誰の生まれ変わりなのかを知りたいと願っています。未決例のままでいると、誰のものか分からない記憶や感情に恐怖心を抱くようになる。だからこそ、記憶が鮮明なうちに既決例にするべきなんです」
真希那の説明はごもっともだ。ただ、前世の人物を探すとなると、どうしてもある疑いが頭をよぎってしまう。真希那だって、漣の記憶に重大な問題があることにはとっくに気づいているはずだ。
「……天堂先生は、葛木亮が人を殺していたなんて話、聞いたことありますか?」
恐る恐るそう確認すると、真希那は少し考えた後、「いいえ」と答えた。もちろん美加も聞いたことがないので、「ですよね」と受ける。
「息子は自分の前世が葛木亮に殺されたって言ってます。でも、もし本当に葛木亮が殺人を犯していたとしたら、それこそ芸能界を揺るがす大事件になっているはずじゃないですか。ですが、ネットで調べる限り、葛木亮には殺人どころか何かしらの犯罪に携わったような噂もまったくありませんでした。これでは――」
「漣くんの前世にあたる人物がいなくなってしまう、ということですね」
そうなのだ。そしてこの食い違いこそ、息子の前世記憶を信じきれない理由だった。
普通に考えれば、まずは漣の言動を疑うべきだろう。本当は前世記憶によるものでも何でもなく、ただの空想や妄想の類いで、それをあの特番の影響で前世記憶だと思い込んでしまったのではないか。そう結論づけたくなる。
しかし、前世記憶の存在を否定すると、今度は漣の不可思議な言動に説明がつかなくなってしまう。ここに来る前に、両親や友人など、漣に関わりがある人たちに葛木の本名を知っているか聞いてみたところ、誰一人知っている人はいないことが分かった。つまり、誰も漣に葛木の本名を教えることは出来なかったということだ。では、漣が葛木の本名を言い当てることができたのはなぜだろうか。
「こう考えたらどうですか」
混乱する美加に対して、真希那がとんでもないことを言い出した。
「葛木亮さんはキクチという人物を殺害しているけど、それが表沙汰になっていないだけだとしたら?」
「そんな――」
馬鹿な、という言葉をなんとか飲み込んだ。大御所俳優である葛木亮が人知れず殺人を犯していたなんて、とても信じられるものじゃない。信じられないけれど、そう考えると辻褄が合うのは確かだった。
「漣くんの前世を特定しましょう!」
あと一押しとばかりに真希那が言った。
「漣くんも、自分の前世が誰か、知りたいでしょうし、前世の人物が本当に殺害されているとしたら、葛木亮さんの隠された犯罪を暴くことに繋がるはずです。
おまけに生まれ変わりを否定する人たちを黙らせることもできる。一石三鳥ですよ!」
三鳥の最後の一羽が真希那の願望なのはいただけないが、前の二羽は、確かに真希那の指摘のとおりだ。ここにきて、美加はようやく覚悟を決めることができた。真希那に向けて頭を下げる。
「息子の前世記憶の調査を、よろしくお願いします」
