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13歳の少女が隠れ家で綴った希望と恐怖|大人が読む『アンネの日記』

「私はやっぱり人間の本性は善なのだと思うんです。」ナチスに追われ、いつ見つかるかわからない隠れ家生活の中で、15歳の少女がこの言葉を書いたのは、密告により連行されるわずか数日前のことでした。世界で2500万部以上読まれているこの日記を、ユダヤ人迫害の記録としてだけでなく、一人の少女の圧倒的な内省力と成長の物語として読んだとき、何が見えてくるのか。輪読会では「なぜ13歳がここまで哲学的な境地に辿り着けたのか」「日記という行為が精神にもたらす力とは何か」という議論に発展しました。


📖 この本を読むべき人

  • 日記や内省の力に興味がある人

  • 極限状態における人間の精神について考えたい人

  • 子供の人格形成や親子関係について考えたい人

著者プロフィール: アンネ・フランク
1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭の二女に生まれる。1933年、迫害を逃れ一家はオランダのアムステルダムに移住し、1942年7月、姉マルゴーの召喚を機に一家は隠れ家生活に入る。ついに1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、ついでベルゲン=ベルゼンに送られ、そこでチフスのため15年の生涯をおえた。1945年2月末から3月なかばと推定される。1942年6月12日から44年8月1日まで書きつづけられた日記は、永遠の青春の記録として、半世紀を経たいまも世界中の人びとの胸をうってやまない。

アンネの日記 増補新訂版 Kindle版

輪読会で議論したこと

13歳の分析力はどこから来たのか

参加者全員が驚いたのが、13歳の少女がここまで冷静に周囲の人間を観察し、分析し、言語化できているという事実です。ある参加者は「正直マジかよと思った。13歳がここまで冷静に分析して書いてるの怖い」と率直に語りました。

この分析力の源泉として議論で挙がったのは、アンネの圧倒的な主観の力です。アンネは良くも悪くも主観がめちゃくちゃ強い女の子であり、物事や相手の動きを細かく記憶しているというよりは、思い出した時に自分の中で妄想が広がり、事実と想像が混ざり合った形で日記に書いているのではないか。だからこそここまで細かく情景を第三者に伝えることができたのではないかという分析が出ました。

さらに気になるのは、姉のマルゴーとの対照的な性格です。マルゴーは日記を通して読む限りそこまで主張の強い女の子ではなく、両親もどちらかといえば穏やかな人柄です。同じ家庭環境で育った姉妹がここまで対照的になったのはなぜか。13歳になるまでに何があったのかという問いは、議論の中で明確な答えが出ないまま残りましたが、それ自体が人格形成の不思議さを物語っています。

キティという存在と日記がもたらした精神衛生

アンネが隠れ家生活で精神を保ち続けられた理由として、二つの要素が議論で挙がりました。一つは宗教的な信仰心、もう一つはキティという架空の友人の存在です。

キティは何も反論せずにただ聞いてくれる存在です。家族の中で孤立し、母親との関係に悩み、言いたいことを言えない状況の中で、心の内をすべてさらけ出せる相手がいたことの意味は計り知れません。この日記がアンネの精神衛生に与えた影響は非常に大きかったのではないかという意見で一致しました。

ただの日記ではなく、第三者であるキティに語りかけるスタイルで書いたからこそ、読者も飽きることなくアンネの気持ちに共感できるし、アンネ自身もわかりやすく説明できた。このスタイルの選択が、結果として世界文学に残る作品を生んだのかもしれません。

また、日記を書くという行為そのものが持つ内省の力についても議論が広がりました。現代のようにスマホからいくらでも情報が入ってくる環境では、自分の意見を深く考えるということが難しい。しかしアンネは隔離された状況にいたからこそ、問いかける相手が自分しかいなかったからこそ、あれほど深い内省が生まれたのではないか。いい意味でノイズが入ってこない環境が、自分というものを深く考える土壌になっていたという指摘です。

死への距離が哲学的境地を生む

本書で最も印象的だったのは、日記の最後の数日間でアンネが見せる指数関数的な成長です。94%あたりから、それまでとは明らかに異なる深い人生観や姿勢観が現れます。「信仰を持つことは喜ぶべきことです。問題は神を恐れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです」「澄みきった良心は人を強くする」といった言葉が、密告により連行されるわずか数日前に書かれています。

ある参加者は「アンネは14歳で、自分が28歳にしてようやく辿り着いた境地に到達している。それはなぜかと考えた時に、毎日飛行機が飛んでいて、爆弾が落ちて、いつ死ぬかわからないという状況が、一日一日を真剣に生きることを強いたからではないか」と語りました。

死に近づくほど、生き方や人としてあるべき姿について思考する機会が増え、辿り着く先は同じなのかもしれない。この「死への距離」というキーワードは、以前輪読会で読んだ『夜と霧』とも通じるものがあり、過酷な状況を乗り越える過程で残された遺物に宿る力について、改めて考えさせられました。

親と子の関係をどう築くか

アンネと母親の関係は、本書を通じて繰り返し描かれるテーマです。アンネは自分を一人の独立した個人として扱ってほしいと強く望んでいましたが、周囲はそうは見てくれませんでした。それが結果として母親を尊敬できない理由にもなっています。

議論では岡本太郎の例が引き合いに出されました。岡本太郎は小学校1年生の頃から親に一人の対等な人間として扱われていたそうで、それが彼の人生観や姿勢観に大きな影響を与えたと言われています。子供であっても一人の人間として対等に扱っていくべきではないかという意見が多く、「自分も将来子供ができたら"お前は子供なんだから"という理由での押さえつけはせず、経済のことや道徳のことも含めて対等に意見を交わしていきたい」という声がありました。

一方で、父親の視点を調べた参加者からは興味深い情報が共有されました。お父さんはアンネを一個人として尊重していたけれど、お母さんの方がアンネ以上にアンネのことで悩んでいたことを知っていた。娘を大切に思うからこそ過保護になってしまうお母さんと、独立した個人でありたいアンネ。お互いの愛情がぶつかっている構造をお父さんは苦しみながら見ていたという事実は、親子関係の難しさを改めて突きつけます。

なぜ世界中で今も読み継がれているのか

2500万部以上売れている理由について、明確な答えは出ませんでしたが、いくつかの視点が出ました。

まずドイツでの文脈です。自国民がナチス党を選んでしまった結果、世界大戦を引き起こし何百万人もの命を奪ったという歴史を、現世代にちゃんと伝えていく教育として読み継がれているのではないかという意見がありました。

日本での発行部数がアメリカに次ぐ世界第2位であるという事実も議論を呼びました。日本は敗戦国であり、原爆という不合理な大量殺戮を経験した国です。平和に対する感度がどの国よりも高く、こうした悲劇を繰り返すべきではないという思いが潜在的に強い可能性があるという分析が出ました。また、日本には紫式部日記や泉式部日記など、日記文学が読まれてきた伝統があり、日記という形式そのものへの親和性が高いのではないかという指摘もありました。

さらに、哲学書としての側面も見逃せません。参加者の多くが「自分たちがやっと行き着くような観念や哲学に、彼女はすごい早い段階で到達している」と感じており、この少女の言葉が時代を超えて響く普遍性を持っていることが、読み継がれる最大の理由かもしれません。

運命の偶然とお父さんの決断

この日記が世に出たこと自体が、いくつもの偶然の重なりであるという議論も印象的でした。最終的に生き残ったのがお父さんだったからこそ、この日記は出版されました。もしお母さんが生き残っていたら、自分の悪口がたくさん書かれている日記を世に出していただろうか。お父さんも最初は性的描写の部分をカットして出版し、お父さんが亡くなった後に完全版として全ての描写を含めた形で出されたという経緯があります。

この偶然の面白さと言ってしまったら単純すぎるかもしれないけれど、そういうものが重なって今の時代にこの本が存在しているのだという事実は、歴史というものの不思議さを感じさせます。

感想

まずこの本を読んだ時に思い出したのは映画のことでした。お父さんがユダヤ人で、戦時中に娘を守るという話の映画があって、その世界観と重なるものがありました。最初は長くて大変だなと思いましたが、読み進めるうちに続きが読みたくなる引き込まれる面白さがあり、アンネの文才のすごさを改めて感じました。

自粛のことを考えると、今のshelter in placeは全然問題ではないなと思ってしまいます。あとすごく共感したのが、家族の中で悪く言われて孤立していたという描写です。姉は褒められるのに自分だけが先に悪いと決めつけられる。その辛さはわかるなと思いました。アンネがすごいのは、それに打ち勝つ強さを持っていたことです。

ピーターとの関係が深まっていくあたりから、恋をする楽しさが書かれていてすごくいいなと思う反面、それとほぼ同時期に空襲や泥棒が起きているという対照がすごかったです。13歳から15歳までの間ですごく精神的な深みが増していて、最初は無邪気に自分のことを書いているように感じていたのが、後になるにつれて客観的に自分を見つめ、相手のことも考えられるようになっている。何年にもわたって書かれたものだからこそ見える成長が、この作品の最大の魅力だと思います。

人間の描写のところでは、以前読んだ夏目漱石の『吾輩は猫である』と似た鋭さを感じました。結果こんなことを言ってるけどこの人ってこうなんだよねという、外面ではなく内面を言い当てているような観察力が共通しています。

この時期にガンディーのハンガーストライキが行われていたことや、イタリアの降伏がこんなに早かったことなど、別の国の出来事と時系列がつながっていく面白さもありました。トローチがこの時代にもう存在していたことなど、細かい発見も多い本でした。

民族的な人権としてのユダヤ人のアイデンティティだけでなく、女性としての人権についてもアンネは強い意識を持っていました。平和への願いと人権という二つの主題がこの日記のベースにあり、それが時代を超えて読み継がれる理由なのだと感じます。内省が生む力というものがここまで大きいのかと驚かされる一冊でした。

この記事で掲載した引用は、Glaspの機能を使ってエクスポートしています。Kindleのハイライトをエクスポートすることに興味がある方は、以下の記事をご覧ください。

また、この本のトップハイライトは以下のリンクよりご覧ください。


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