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「チキンのとがりが足りない」から始まった、共感覚と脳科学の40年

ある夕食会の席で、ホストが突然こう言った。「チキンのとがりが足りないんだ」。味覚が形として手に感じられる彼にとって、その夜のローストチキンは「丸すぎた」のだ。1980年のこの一言が、神経科医リチャード・シトーウィック博士と共感覚という現象との40年にわたる旅を始めさせることになりました。

今回は、シトーウィック著『共感覚者の驚くべき日常:形を味わう人、色を聴く人』(草思社)を読みました。共感覚(シナスタジア)とは、音を聴くと色が見える、味を感じると形が手に触れる、といった複数の感覚が同時に誘発される現象です。著者は神経科医として、マイケル・ワトソンとの偶然の出会いをきっかけに共感覚研究に踏み込み、やがて「理性よりも感情を優先する脳」という現代の常識を覆す仮説へと辿り着きます。

今回は書籍の感想だけでなく、Glasp TalkでRichard博士を直接インタビューしたGlasp Talk #11の内容も踏まえて理解を深めることができました。40年前に「哲学的すぎる」と批判されながらも信念を貫き、今や神経科学の主流に共感覚を取り戻した研究者の肉声は、本の内容に生きた奥行きを与えてくれました。

Richard E. Cytowic: Exploring Synesthesia Research and Digital Distractions | Glasp Talk #11


この本を読むべき人

  • 脳科学や神経科学に興味があるが、専門書は難しいと感じている人

  • 「感覚」「意識」「感情」という概念を科学的に探求したい人

  • クリエイティブな仕事をしていて、感覚と創造性・記憶の関係に関心がある人

  • スタートアップや事業を通じて「人間の本質」を問い続けたい起業家


議論したことメモ

「哲学的すぎる」と言われた研究者が40年をかけて証明したこと

Glasp Talkのインタビューでシトーウィック博士はこう語っています。自分はずっと「高次皮質機能」、つまり私たちが考え、記憶し、感じるという働きに関心を持ってきました。けいれんや多発性硬化症といった「パンとバター」的な神経学ではなく、人間を人間たらしめるものへの問いです。当初は「哲学的すぎる」と批判され、共感覚研究は懐疑的な科学者たちに無視され続けました。

ローストチキンの味が手のなかで丸い形をしてがっかりだ、とげとげを期待していたのに

それでも彼は諦めませんでした。少年時代の機械いじりから「ものを動かす仕組み」を探求してきた著者が、今度は「人間を動かす仕組み」へ向かっていた必然性を感じます。「好奇心の対象は変わっても、本質的な問いは変わらない」という点が印象的だった。

共感覚者が「それを失いたくない」と言う理由

Glasp Talkでインタビュアーが「共感覚者の日常生活の利点と困難を教えてほしい」と質問した際、博士はこう答えました。「まず、持っていることが素晴らしい。失ったら苦しいだろうという状態だ。みな共感覚を愛している。道路名が『楽しい』、電話番号が『美しい』と表現する。ありふれたものに対して、こんなに興奮した感情反応を持っている」

そして最も実用的な利点として挙げたのが「記憶」です。

共感覚者は特異な記憶能力を発揮することさえある。また、カンディンスキーやナボコフなど、共感覚のある芸術家も多く、その作品に影響をおよぼしているという

共感覚は単なる珍しい現象ではなく、記憶・感情・創造性と深く結びついた能力だという点が面白かったです。

赤ちゃんは全員、共感覚者である

インタビューの中で最も驚かされたのが、新生児に関する研究です。カナダのマクマスター大学のデフニー・モーラー博士の研究を引用し、博士はこう語りました。生後0〜3ヶ月の新生児は本来的に共感覚を持っており、3ヶ月以降にその能力を失います。つまり、共感覚は一部の特殊な人だけが持つ異能ではなく、人間が生まれながらに持ち、成長とともに意識の表面から消えていく能力なのです。

これは本書の核心的メッセージとも一致します。

共感覚は、実際は私たちがだれでももっている正常な脳機能なのだが、その働きが意識にのぼる人が一握りしかいない

「共感覚者は特殊ではなく、私たちが失ってしまったものを保持している人たちだ」という視点は、Glaspが「人が何に感動したか」を記録するという理念とも深く響き合います。

200年の「普遍的合意の欠如」という問題

共感覚は科学の世界で200年以上前から知られていたにもかかわらず、長らく謎のままでした。その最大の理由が「普遍的合意の欠如」です。音に色を感じる共感覚者でも、同じ音に対して「赤」と感じる人もいれば「青」「緑」と感じる人もいます。これを「共感覚は偽物だ」という根拠にした研究者もいました。

しかし著者はここで重要な問いを立てる。共感覚者同士が一致しないのは当然ではないか。バラが赤く見える「色の恒常性」でさえ、実は照明や背景によって変化しているのに、私たちはそれを「一定」と感じています。問題の立て方が間違っていたのだと。

共感覚のある人どうしで、ある音に対応する共感覚反応のリストをつくったが、対応のパターンがはっきりせずに落胆するだけだった

自分たちにとっては、これがプロダクト開発における「ユーザーの声の解釈」に通じるという議論になりました。異なるユーザーが異なるフィードバックを出すとき、「不一致だから無効」とするのではなく、「なぜそれぞれの体験がそうなっているのか」を問うべきだという視点です。

共感覚は辺縁系で起きている:感情こそが理性の土台

著者がマイケルとの実験を重ねて辿り着いたのが、共感覚は大脳皮質ではなく辺縁系(limbic system)で起きているという仮説です。辺縁系は感情と記憶を司る、進化的に古い脳の部位です。

共感覚は言語やアリストテレスの共通感覚のように、抽象的で融通性のあるものなのだろうか。それとも膝蓋腱反射のように直接的で変えられない、組み込まれたものなのだろうか

著者の答えは「組み込まれたもの」です。これが本書の最も挑発的なメッセージへとつながります。「感情は理性より根本的である」。私たちが当然のように信じてきた「理性的な脳」という像が揺らぎます。

石器時代の脳がスマートフォンに中毒になる理由

インタビューの終盤、博士は研究の軸足が共感覚からデジタルディストラクションへと移った経緯を語りました。iPhoneを初めて手にした瞬間、自分が瞬く間に虜になったことに驚きました。「なるほど、みんながこれに中毒になるはずだ」と直感しました。

今あなたと私の頭の中に休んでいる脳は、3000年、4000年、5000年、6000年前の祖先が持っていた脳と何ら変わらない

私たちの脳は石器時代のままです。進化していない脳が、指数関数的に進化するテクノロジーにさらされています。これが共感覚研究と地続きになっている点が面白い。感情の脳、辺縁系を深く理解することは、なぜデジタルが私たちを支配するのかを解明することでもあります。


感想

この本を読んで最も印象に残ったのは、「普遍的合意の欠如」をもって共感覚を否定しようとした研究者たちへの著者の反論です。問題の立て方が間違っていたのだという指摘は、科学一般、さらにはプロダクト開発にまで通じる知的誠実さだと感じました。

Glasp Talkで博士の肉声を聞いて印象的だったのは、研究への一貫した姿勢だ。「哲学的すぎる」と批判されても信念を曲げなかった40年間は、世の中に受け入れられていないアイデアに確信を持って向き合い続けることの価値を、改めて感じました。

赤ちゃんが全員共感覚者として生まれ、3ヶ月で失っていくという事実は衝撃的だ。共感覚者はその能力を「失わなかった」人たちであり、私たちは成長の過程でその豊かな感覚統合を意識から遠ざけてしまったのかもしれません。


この記事で掲載した引用は、Glaspの機能を使ってエクスポートしています。Kindleのハイライトをエクスポートすることに興味がある方は、以下の記事をご覧ください。


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