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なぜ人は遊ぶのか?|カイヨワ『遊びと人間』が解き明かす遊びの本質

1960年頃に発表されたこの本は、遊びを学術的に分類し、社会の分析に応用しようとした野心的な一冊です。社会が遊びを作るのではなく、遊びが社会を構成していくという視点が根底にあります。ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を発展させた本かと思いきや、実は社会を分類・分析するためのフレームワークとしての側面が強い内容でした。

正直に言うと、かなり難しい本です。事例がわかりにくかったり、最終的に何が言いたいのかつかみきれなかったりする部分もありました。ただ、遊びと文化、遊びと社会のつながりを考えるきっかけとしては非常に面白い一冊です。

📖 この本を読むべき人

  • 遊びや文化の起源に興味がある人

  • プロダクトやエンターテインメントの本質を考えたい人

  • 社会を分析するための新しいフレームワークに触れたい人

著者プロフィール: ロジェ・カイヨワ
フランスの作家・批評家(1913〜1978)。広い知識に裏づけられた多くの評論を発表。著書は『神話と人間』『人間と聖なるもの』など。

遊びと人間 (講談社学術文庫) Kindle版

メモ

  • カイヨワによれば、人類の歴史は「ミミクリとイリンクスの時代」と「アゴンとアレアの時代」の2つの時代に分けることができるという。

  • カイヨワは遊びの基本的な定義を以下の通り記述している。

    • 自由な活動。すなわち、遊戯が強制されないこと。

    • 隔離された活動。すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。

    • 未確定な活動。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の工夫があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。

    • 非生産的活動。すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。

    • 規則のある活動。すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法だけが通用する。

    • 虚構の活動。すなわち、日常生活と対比した場合、二次的な現実、または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。

  • カイヨワは以上の定義から逸脱した遊びは「堕落した遊び」であり、本来的な遊びではないと否定する。

  • カイヨワは遊びの「パイディア(Pidia)」と「ルドゥス(Ludus)」という用語を発明することで遊びの本質を言い表した。

    • パイディア(Pidia) 即興と歓喜の間にある、規則から自由になろうとする原初的な力

    • ルドゥス(Ludus) 恣意的だが強制的でことさら窮屈な規約に従わせる力

  • 遊びとは自由奔放でありながら何か見えない規則に縛られている、一見矛盾した行動であるとカイヨワは位置付けたのである。

    • アゴン(Agon) すべて競争という形のとる一群の遊び(p.46)。

    • アレア(Alea) 遊戯者の力の及ばぬ独立の決定の上に成りたつすべての遊び(p.50)

    • ミミクリ(Mimicry) 参加者がその人格を一時的に忘れ、偽装し、捨て去り、別の人格をよそおう遊び(p.55)

    • イリンクス(Ilinx) 眩暈の追求にもとづくもろもろの遊び(p.60)

  • カイヨワによれば、人類の歴史は「ミミクリとイリンクスの時代」と「アゴンとアレアの時代」の2つの時代に分けることができるという。

    • ミミクリとイリンクスの時代とは、つまり呪術や幻覚が支配する時代である。

    • ミミクリとイリンクスは人類社会から消失したわけではない。 ミミクリは演劇という形で、イリンクスはサーカスといった形で生き残っている。

  • このように、カイヨワは遊びの分析を出発点として人類文化を研究することができると考えた。 このため、『遊びと人間』は遊びだけではなく人類のあらゆる物事を考える汎用的な方法論として使えるのである。


感想

  • 難しい。

  • 最初はホモ・ルーデンスを発展させる本なのかなと思ったけど、実は社会を分類・分析するための興味深いフレームワーク。

    • 社会が遊びを作るのではなく、遊びが社会を構成していく。

  • 4つの表がある。

    • パイディア・ルドゥス vs. アゴン・アレア・ミミクリ・イリンクス

    • Consumerプロダクトにはカイヨワ的な要素が必要とのこと。

      • つまり、どういうこと?というのがわからない。

  • カイヨワの定義は6つあるけど、今は非生産的な活動というのが抜けているのかも。

    • YouTuberが配信でお金を稼いでいるという状況。

  • この理論を提供して、社会の分析に適用することに集中し過ぎている気がする。


輪読会で議論したこと

この本は何を言いたいのか

率直に言うと、この本で何を得られたのかがよくわからなかったというメンバーもいました。めちゃくちゃ難しいことを言っているけど結局よくわからない。何かを得たいと思って読んでいたのに、何を得られたのかが見えなくなってしまう。

遊びをここまで複雑に考えるのが難しいという感想もありました。何を期待して読めばいいのかが最初からつかめない。アリストテレスの話、古代ギリシャの民主主義の話、重要なポストにはアゴンが影響せず抽選になるという話。そこから何かを得たいと思ったけど得られぬままマーカーだけしたという状態です。

結論として、この本は遊びがいかに複雑なのかということを言いたかったのではないか。そして著者はこのフレームワークを社会分析に使ってほしかったのではないか。ミミクリとイリンクスの時代からアゴンとアレアの時代へと変遷しているという分析も、このフレームワークを使いたいがために言っている側面があるかもしれません。

遊びとプロダクト、文化のつながり

この本を選んだきっかけは、ある人から「コンシューマープロダクトは会話的な感じで伸びていく」と言われたことでした。「アテンションエコノミーは遊戯的デザインに支配されるので、会話だったりしますね」というコメントをもらったが、何を言っているのかよくわからなかった。

「会話的」とはどういうことか。エンターテインメントという意味で使っているのかもしれない。純粋なコンシューマー向けエンターテインメントでは、ユーティリティの軸はあまり関係なくて、遊びの6つの定義(自由で、隔離されていて、未確定で、非生産的で、規則があり、虚構である)がラッチするような印象はある。でも実際にプロダクトを作っている側としては、非生産的な活動であってほしくないし、虚構の活動というのも悲しい。

どの側面において「遊戯的」なのかが重要で、アゴン(競争)なのか、ミミクリ(模倣)なのか、イリンクス(眩暈)なのか。それによって全く違うプロダクトのあり方になります。

学術書の読み方

この本のような海外の学術的な本には、だいたい訳者あとがきがついています。そこで著者のことを客観的に分析し、思考の整理をしてくれて、周辺情報も入れてくれる。今回もあとがきを先に読んだ方が理解が進んだのではないかという話になりました。

知らない周辺知識がないまま本文に入ると、アウトプットだけ読んでいるような感覚になってしまう。6つの定義や4つのパターンがあったところで、なぜそれがそうなるのかという変遷を知らないと、本当の理解には至らない。こういう本こそ、あとがきや書評を先に読む読み方が有効です。

ChatGPTに聞いてみたところ、日本語よりも英語の方がちゃんと答えを返してくれたという話もありました。原題が「Man, Play and Games」なので、英語圏の方が研究蓄積が厚いのかもしれません。

カイヨワという人物

ロジェ・カイヨワはフランスの社会学者で、戦争論のような本も出しており、ユネスコ国際平和文学賞も受賞しています。つづりが「Roger Caillois」なのにどうやって「カイヨワ」と読むのかという素朴な疑問もありました。

超現実主義(シュルレアリスム)の流れの中でこの研究に興味を持ったのではないかという背景も面白いです。岡本太郎も本の中に出てきましたが、この時代の知的な運動の中で遊びの研究が位置づけられていたことがわかります。


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