死刑を前にしても信念を曲げなかった哲学者|プラトン『ソクラテスの弁明』
「自分の信念を最後まで貫き通せるか」と問われたとき、自信を持って「YES」と答えられる人はどれくらいいるでしょうか。
今回紹介するのは、プラトンが著した『ソクラテスの弁明』です。紀元前399年、アテナイの哲学者ソクラテスは「神を冒涜し若者を堕落させた」として裁判にかけられ、死刑判決を受けます。その裁判の場での弁明を記録したのがこの本です。大学生の頃から「いつか読もう」と思いつつ積読になっていた人も多いのではないでしょうか。輪読会の新年一発目でこの本を取り上げたところ、2500年前の哲学者の言葉が今の自分たちの生き方に直結するという議論へと発展し、予想以上に盛り上がりました。
この記事では、輪読会での議論をもとに、特に印象的だったポイントをまとめています。薄い本でありながら、読み終えたあとに残るものは決して軽くありません。
この本を読むべき人
信念を貫くことへの憧れはあるが、どこか自信がない人
スタートアップや事業を通じて大きな夢に向かっている人
「よく生きる」とはどういうことかを考えたい人
哲学書を読んだことがなく、入口を探している人
自分の人生の「生き様」について言語化したい人
著者プロフィール: プラトン
プラトン(プラトーン、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。
プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた[注 1]。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。
輪読会で議論したこと
「弁明」という割に、ソクラテスは一切弁解していない
タイトルは「弁明」ですが、読んでみると弁解の色は一切ありません。陪審員の機嫌を取るでも、罪状を否定するでもなく、ただひたすら自分の信念を述べ続けます。輪読会でも「全然弁明してないじゃん」という声が真っ先に上がりました。
一番大切なのはただ生きていくことではなく、よく生きることだ。
これがソクラテスの軸です。死刑が目の前に迫っているにもかかわらず、彼の発言にはネガティブさがありません。「悲観的な発言が一切なかった」という点も輪読会で印象的だったという意見が出ました。事実だけを淡々と述べ、民衆への怒りもなく、ただ「正義に従って行動した」と語り続けます。
この姿勢こそが「知行合一」の体現だという議論になりました。考えていること、信じていること、実際にとる行動が一致しているからこそ、死を前にしても揺らがない。2500年後の私たちが読んでも、この生き様に圧倒されるのは、それが本物だからではないでしょうか。
死を恐れるより、悪を恐れよ
本書のなかで最も鋭い言葉のひとつがこちらです。
死を恐れ逃れることは困難ではない。むしろ悪を逃れることこそ、はるかに困難なのである。それは死よりも早く駆けるのだから。
「自分の信じたことすら自分で守れず、それに屈している姿の方がはるかに恐ろしい」という感想が輪読会で共有されました。死ぬことより、自分を裏切って生き延びることの方が怖いという感覚は、現代においても変わりません。むしろ、「周りに合わせてしまう」「声の大きい人に流されてしまう」という場面は今の方が多いかもしれません。
ただ、正直な感想として「今の自分にはそこまでの信念がまだない」という意見もありました。ソクラテスの言葉に憧れながらも、同じ立場に置かれたら同じ行動を取れるかどうか分からない。そのくらい、この人物の信念の深さは別次元です。
無知の知は「知らないと言えること」の難しさを教える
「無知の知」という言葉は聞いたことがある人が多いと思いますが、本書を読むとその深みが改めて分かります。ソクラテスは神託を確かめるために、知恵があると言われている人物を次々と訪ねて議論をします。そして気づくのです。「自分は知らないということを知っている。あの人は知らないのに知っていると思っている。その点でこちらの方が上だ」と。
私は自分が知らないことを、知らないと思っている。
輪読会では、コロナ禍で経済政策を声高に語る人たちの話が出ました。一つのことを極めると、他の分野でも「自分は知っている」という態度になりやすい。逆に、本当に「知らない」と言い切ることの難しさについても議論になりました。知らないことを知らないとスパッと言い切るコストは、意外と高いものです。SNSが発達した現代においては特にそうではないでしょうか。
論駁スタイルが生んだ悲劇
本書を読んでいて面白いのが、ソクラテスの議論の進め方です。「これはこうですよね、ではこれは? ではこれも?」と相手を論理的に追い詰めていきます。クリトンとの対話ではその詰め方が顕著で、「口を間違えたら喧嘩になりそう」という感想も出ました。
実はここに、彼が死刑になった経緯の一端があります。解説によれば、当初の判決は追放か罰金で落ち着く可能性もありました。しかし裁判の場でのソクラテスの態度があまりにも「煽りすぎ」だったため、有罪票よりも死刑票の方が後から増えてしまったといいます。信念を貫くことと、相手に伝わる形で表現することは、必ずしも同じではありません。「もう少しアプローチを変えていたら、もっと長く生きて影響を与えられたのでは」という議論も輪読会で出ました。
ただ、反論も出ました。「媚びるようなやり方をしていたら、そもそも裁判所に呼ばれるような人物にはなっていない。あの生き方をし続けたから、あの裁判があった」という意見です。どちらが正しいかより、「生き様と結果」の関係について深く考えさせられる問いでした。
ソクラテスは死ぬべきだったのか
輪読会で最も白熱したのがこのテーマです。クリトンという友人が牢獄まで会いに来て「逃げよう、方法はある」と懇願する場面があります。ソクラテスはそれを断ります。
なぜか。自分が逃げれば、弟子や家族に迷惑がかかります。さらに「一度法に反した罰を受けながら、その法をさらに破って逃げることは自分にはできない」という論理です。
輪読会では「死んで良かったんじゃないか」という意見が複数出ました。生き延びていたら、これだけ完全な形では伝わらなかったかもしれません。裁判で貫き通し、友人の懇願も断り、そして死ぬ。すべてのピースが揃ったからこそ、この生き様が2500年後まで残っています。「死に方も生き方の一部だ」という言葉が印象的でした。
もう一つ心に残ったのは、弁明の最後にソクラテスが子供たちの話をする場面です。「私が死んだあと、子供が正しい方向を向いていなければ厳しく接してくれ」と陪審員に頼みます。死刑判決を前にしながら、ちゃんと父親の顔がありました。その一節でじわりと悲しくなりました。
感想
哲学の祖の本で、これまで読めていなかったので読めて良かった。
ソクラテスが一字一句このように弁明したというわけではないらしいが、最後にメレトスが認める、聴衆が投票することで、ソクラテスの弁明が正しいことを証明するという構成がとても良いと思った。
これが論法にあたる?いわゆる三段論法みたいなのが出てきているのかと思った。全ての思考体系のテンプレート?
この方法がすごいと思った。これが、哲学の祖と言われる、知の探究の学問の祖になるのだなと。
「あなたは無神論者なのか?今の答えが正しいとすると、さっき言っていることと矛盾する」
「三角形であるのは見ればわかる」というのは思うに過ぎない。これをきちんと確かめていく、証明していくという態度が科学?の姿勢にもつながっているのかなと。
何となく残念だなと思ったのは、こういう態度があるのにも関わらず、神という存在で片付けてしまう点。哲学と科学が結びつくのがもっと先の時代だから、仕方ないけど、もしそれで片付けていなかったとしたら、文明はどうなっていたのかなと。この時代に数学やっている人はいたのに。
死に対する見解、死んだ方が良いのではないか?という部分が、プラトンの国家に引き継がれているのかなと。合っているかどうかはわからないけど、繋がりが見えてよかった。
無知の知と呼ばれるパートにも遭遇した。これは、実際にそう言ったわけではないらしい。
これだけたくさんの人に反対されたにもかかわらず、媚びることもせず、自分の正義を貫こうとするのはすごいと思う。
こういう生き方が思想を残す、という意味で後世への最大遺物になっているのかなと。
この時代の統治機構はどうなっていたか?昔やったが忘れてしまった。
ギリシャで始まったこのような民主的な方法はどれぐらい制度として優れていたのか?
もし優れていたとしたら、どうしてそれが他の国にうまく伝わらなかったのか?
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