リーダーは愛されるより恐れられよ|マキャベリ『君主論』の現代的読み方
「愛されるリーダーと恐れられるリーダー、どちらが優れているか」。この問いを1532年に真剣に論じた一冊があります。マキャベッリ(Niccolò Machiavelli)著『君主論』です。フィレンツェ出身の政治思想家である彼が、職務を失った後に祖国への復帰を願って書いたとされるこの本は、500年近くが経った今も世界中で読み継がれています。
輪読会でこの本を取り上げたところ、「冷酷すぎる」「現代には通用しない」という声と、「本質は変わっていない」「むしろ今こそ読むべき」という声が真っ向からぶつかりました。読んだ人それぞれの人生観やフィルターが如実に出て、予想以上に深い議論になりました。
この記事では、輪読会での議論をもとに、特に印象的だったポイントをまとめています。道徳書ではなく現実主義の書として読む視点が、この本をより面白くさせます。
この本を読むべき人
組織を率いる立場にいる人、またはこれからそうなりたい人
「良い人であること」と「結果を出すこと」の矛盾に悩んでいる人
論語や七つの習慣など「理想のあり方」を学んだ後、現実との乖離を感じている人
歴史から学ぶことの重要性を感じている人
スタートアップや事業を通じて大きな組織を動かしていきたい人
著者プロフィール: マキアヴェッリ
ニッコロ・マキャヴェッリ(イタリア語: Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。
著書に『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考(ディスコルシ)』、『戦術論』がある。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始した。
輪読会で議論したこと
この本はただの冷酷な処世術書ではない
最初に読んだとき、「あまりにもペシミスティックで冷酷な思想だ」という印象を持った参加者が複数いました。しかし調べていくうちに、この本の本質が見えてきたという意見が輪読会で共有されました。
マキャベリが最も強く伝えたかったことは、冷酷さでも悲観的思想でもなく、こういうことではないかという仮説が出ました。「不運を避けることはできないが、不運に備えることはできる」。これが、この本全体を貫くテーマなのではないか、と。
にわか仕立ての生態は、最初の悪天候で耐えられない。
この一節が輪読会で最も多く引用されました。歴史から学び、君主としての力をつけ、風雨に備える。その3つを何度も繰り返し説くのがこの本の特徴です。根を張らずに大きくなったものは、最初の嵐で倒れる。事業でも人生でも、同じことが言えると議論になりました。
マキャベリ自身が、優れた資質を持ちながらも「不運」によって道を閉ざされた君主たちを間近で見てきた人物でした。だからこそ、彼の問いは純粋に「どうすれば不運に立ち向かえるか」だったのかもしれません。
「愛されるより恐れられよ」の真意
この本で最もよく知られた言葉のひとつがこれです。
愛されながらも恐れられることが理想だが、どちらかを選ぶなら恐れられる方がよい。
理想は愛されるリーダーです。しかし輪読会での議論では、「愛されることと結果を出すことは必ずしも同じではない」という点が掘り下げられました。全体の意向に沿い続けることで優柔不断になり、それが組織の破滅を生む。長期的に見れば、一時的に嫌われても結果を出すリーダーの方が組織にとってプラスになりうる、という冷静な指摘です。
悪行は一気に。善行は徐々に。
この言葉も刺さりました。中途半端な道徳心で施策をするよりも、やりたくない決断も一気に下し、その後じわじわと状況を改善していく。レイオフをめぐる議論でもこの視点が出ました。誠意を込めた言葉を添えてレイオフを行ったAirbnbの対応は「良かったのか、それとも余計に憎しみを生んだのか」という問いに対し、「冷酷に見えることが、残った社員のモチベーションにどう影響するか」まで考えた上での判断だったかもしれない、という意見が出ました。
現代のリーダーに「二面性」は通用するか
本書には、表向きは民衆に良く見られながら、裏では必要な冷酷さを持つという「二面性」の重要性が書かれています。しかし輪読会では、現代においてこれが通用するかという疑問が強く出ました。
民衆は変わりやすい。一度説得するのは容易だが、説得し続けることは難しい。
SNSが発達し、発言も行動もすべて記録に残る時代に、自分の見せ方をコントロールすることはかつてより格段に難しくなっています。「姿を見せない社長や大統領は、民衆の疑問の種にしかならない」という意見がある一方、表向きだけ良く見せようとして実情とのギャップが暴露されれば、逆に信頼を失う例もたくさんあります。ブラック・ライブズ・マターで賛同を表明しながら、実情は全く違っていたブランドが叩かれた事例もそのひとつです。
コンパニーカルチャーとして言語化された価値観を継続的に発信し続けることが、現代版の「説得し続ける」仕組みになっているという見方も出ました。AppleのThink Differentのように、組織の人間が信じるものを明文化しておくことで、自然と説得し続ける状態を維持するという考え方です。
論語と君主論は相反するのか
輪読会で最も白熱した論点のひとつが、「論語と君主論は両立するのか」でした。論語が「あるべき姿」を説く理想主義であるのに対し、君主論は「現実にどう動くか」を説く現実主義です。
論語では「恨みには正義をもって対応せよ」と書かれているのに対し、君主論ではその場面で「切ってしまう」という選択が示されます。これはまったく別の思想なのか、それとも根本は同じなのか。
ひとつの見方として、どちらも「異性者(リーダー)に向けた書物であり、民衆を気遣い、自らを律し、私利私欲に溺れないことを説いている点では本質的に変わらない」という意見が出ました。使っている言葉や切り口は違っても、目指す先は同じかもしれない。もうひとつの見方は、「建前は論語でいきながら、現実の局面では君主論的な決断を下すことが必要になる」という使い分けです。この議論は結論が出ないまま終わりましたが、それ自体がこの本の面白さを示していました。
感想
論語の内容とどう関連させていくのか?建前は論語、行動は君主論みたいな感じなのか。
論語だと恨みには正義を持って対応すると書かれていたが、君主論だとおそらく殺害してしまうはず、これは通じるものなのか、別の話なのか、どうすべきなのか。
ルールを変えないみたいな話は、M&Aなど、会社を買収した時に使えると思う。
より長い間、幸せを続かせるためには表面的には厳しい、冷酷な事を行なっていくのが大事。敵に対して、放置していたり、甘い態度を取っていると、終わってしまう。
読み進めていった時は、ひどい・冷酷な本だなと思ったが、自分の周りの人たちを守るためには、冷酷に見える決断も実は長期的・その人のことを思うと、良い決断だったりする。
ただ、これはその人に関連する人の集団での話であって、他の人は殺したり、切ってしまっている。
実際に自分が冷酷な決断を下さなければならなくなった時に、結果を出すことを信念にするべき。
論語の教えとどう関連させていくか、内面は論語、外面は君主論、両立するもの?
冷酷さとは何か?
人間の生物としての生存戦略はどうあるべきか?
Safety netの社会的意義と構築はどうあるべきか?
引用
残虐について。政権の安定をはかる必要上、一挙になされた場合であり、その後はいつまでもこだわらずに、可能なかぎり臣民に役立つことへと事態が転換された場合である。悪く用いられたものは、初めのうちはわずかな残虐であったのが、時と共に消えるどころかそれが募っていってしまう場合である。
恩義について。恩義を感じながらも、物欲しげでない者たちのことは、褒めそやし、かつ目をかけてやらねばならない。
恩義を感じない者たちのことは、二つの方法において検討しなければならない。すなわち、根が小心で生まれつき勇気を欠くためにそうしているのかそうであれば役に立つ知識の持主として彼らをあなたは最大限に利用しなければいけない、なぜならば平和な時には彼らの存在を誇りにすることができるし動乱の時になっても彼らの存在を恐れる必要がないからけれども故意に下心があって彼らが恩義を感じていないときには、それはあなたのことよりも自分のことのほうを考えている証拠である。それゆえ、君主はそういう者たちを警戒して、あたかも正体を現しかけた敵のごとくに恐れねばならない。
賢明な君主は、いついかなる状況のなかでも、自分の市民たちが政権と彼のことを必要とするための方法を、考えておかねばならない。そうすれば、つねに、彼に対して彼らは忠実でありつづけるであろう。
戦争を避けるために混乱を放置してはならない。なぜならばそれは避けられないばかりか、避けようとすればあなたの不利を引き延ばすだけであるから。
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