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江戸時代の商人道が現代経営に通じる理由|石田梅岩『都鄙問答』

石田梅岩は江戸時代の思想家で、商人の倫理を説いた人物です。武士でも学者でもなく、商人の子として生まれ、独学で儒教や仏教、神道を学び、45歳頃から自分で塾を開いて無料で講義を始めました。4つのレガシーでいう「思想を残した人」です。書物としてもちゃんと後世に残りました。

この本は問答形式で、質問者と梅岩のやりとりで構成されています。驚くのは問いの角度が若干意地悪なことです。飲み歩いて夜中に帰って親を困らせているやつとか、親のお金を食い漁っているやつとか、学者だけど結局何もわかっていない学者とか。突っ込まれたらだいたいプー太郎みたいな人が質問しています。ひろゆきに論破されるような感じで、それが面白かったです。

📖 この本を読むべき人

  • 商人の倫理や経営哲学に興味がある人

  • 儒教の考え方を実践的に知りたい人

  • 前提を疑うことの大切さを考えたい人

著者プロフィール: 石田梅岩
一六八五(貞享二)年、丹波桑田郡(京都府)生まれ。江戸時代中期の心学者。丹波桑田郡(京都府)出身。石門心学の祖。農家に生まれ,京都の商家ではたらきながら独学,のち小栗了雲に師事、京都車屋町に塾をひらく。神・仏・儒・老荘をとりいれたその教えは、人間価値の平等や商人の利潤の正当性をみとめていたため、町人を中心として庶民の間にひろまった。門下に手島堵庵。著作に「斉家論」など。一七四四(延享一)年没。

都鄙問答 (中公文庫) Kindle版

感想

  • 思想を遺産として遺した人。

    • 商人の次男坊として生まれ、独学で古典を読み漁り、思想を残したのは素晴らしいと思った。

    • 読み終えて終わったのが、思想を遺した人というのがしっくりくる。

  • 論語の影響力がすごい。

    • 本の中で一番引用されている本で、石田梅岩が相当読み込んだのだろうというのが伝わってきた。

    • 逆に論語の内容を覚えていないと、しっくりこない・わからない点が多いと思う。

      • 基本的にはそんなに難しいことを話しているわけではないと思うが。

    • 毎回、表面的な理解に終わってしまうのだが、論語をもう一度読むのもありだと思った。

    • 論語以外にも古事記や日本書紀、神道、徒然草の内容も含まれていて、この時代の教養人として相当高いレベルにあったのではないか。

  • 商人の心構え

    • 最初は、為政者・君子・臣の話で一般的に述べられている内容かと思ったけど、60%ぐらいから商売の話が入ってきた。

    • お金を得ることの正当性・商売・商人としてあるべき姿というのを論語や他の古典で述べられていることをベースに再構築・解釈しているのが素晴らしいと思う。

    • 天や道などの話から、商売もその一環の活動であり、商人の存在意義を定義しているところが良い。

    • 渋沢栄一の『論語と算盤』に通じる話だと思った。

    • 「倹約」と「家業」に精を出すことを強調している。

    • 第一、商人の稼ぎは武士の俸禄と同じ。

    • 第二、不正の利益はその限りでない。

    • 第三、それゆえ正直でなければならない。


輪読会で議論したこと

論語はなぜ絶対正義なのか

いろいろなものを学んできて、改めて儒教に立ち帰った時に思ったことがあります。論語イコール絶対正義、バイブルのような前提でこの本の話が進む。でも本当にその孔子の言った言葉はなぜ正しいという前提なのか。何を正義とするかという根底の問いに、みんな疑問に思ったことはないのかという話になりました。

梅岩の考え方自体はすごく全うです。嘘をつくのはやめましょう、素直に生きましょう、親孝行しましょう、ご先祖を大事にしましょう。やはり儒教的な世界観です。ただ「論語でこう言われているからこれが正しいでしょ」と言われても、じゃあそれはなぜ正しいと言えるのかと。孔子が言ったからというだけで終わってしまう。その先は考えなくていいのかと。

キリスト教にしてもユダヤ教にしても同じ構造があります。死後の世界とか神の世界とかいう概念があると、科学が発展した今でも客観的に否定しきれない。恐怖心を利用して「私を信じると救われます」と言えてしまう。わからないものをエサにしているのがずるいという話にもなりました。

宗教と統治の関係

宗教は基本的に統治者にとって便利だったという議論です。論語には君子がどうあればいいか、臣下がどうあればいいかが書いてあります。自分が君子だったら、その理論を使って「みんなこうだよ」と言える。すごく便利なフレームワークです。

江戸時代に朱子学が幕府によって広められたのは、上には従って生きていこうという思想が支配に都合が良かったから。石田梅岩の心学についても、幕府に呼ばれて商人や町人に対して講義していたということは、幕府にとってこの思想を広める利益があったわけです。

絶対王政の根拠も同じ構造です。「私は神の子孫です」「神に選ばれて王になっている」「あなたたちみんなキリスト教ですよね、だから私に従いなさい」。日本の天皇制もそうで、豪族の中で一番偉い豪族だからまとめて、気づいたら朝廷ができていた。その正当性を古事記で裏付けている。

サピエンス全史でハラリが言っていた「共通の幻想を信じられたから勝った」という話と同じです。会社のミッションやビジョンも結局、無限に発生する事象に対して行動基準を定義する軸を設定しているだけで、構造的には宗教と変わりません。

前提を疑うということ

ここから「前提を疑う」という話に発展しました。なぜ生まれた瞬間にその国に生まれたからといって、その国の法律に従わなきゃいけないのか。しかも誰が決めたかわからない法律に。なぜ電車で電話しちゃダメなのか。カフェの方がうるさいのに。日本には「人の迷惑になるでしょ」という便利な言葉があって、それで終わってしまいます。迷惑なんですかと聞いても、迷惑をかけちゃいけないという前提で動いています。

家族間では年功序列なのに、それを超えた国になったら年齢関係ない。生まれながらにしていきなり王様というのは意味がわからない。矛盾があるけどみんな「そういうもんだ」で議論がすり替えられています。

前提を疑うことが人生において相当大事だという結論になりました。ほとんどの人が疑わずに死んでいく。それはそれで幸せかもしれないけど。他人が見せてくれる夢に乗っかって、その夢の中で生きるのは別に悪いことじゃないとも思います。

道徳性の起源はどこにあるのか

人にいいことをするのを感情的にいいと思うようになったのはなぜか。進化的にそうなったのかもしれないけど、人に悪いことをしても生きていける種族がたくさん残っていて、あまり淘汰されていません。

性善説か性悪説かという問いも出ました。前であってほしいと思うけど、環境によっては悪にもなる。マーク・トウェインの本でも言っていた通り、環境にすごく依存します。見てみるとやっぱり為政者が良くないと悪い環境に行くから、やっぱり為政者こそ論語を読むべきなのかもしれません。全部がつながっています。

個人が持っている良心的な倫理観と、宗教に入った時に信じる倫理観。宗教では人を殺してもいいという倫理観だったとして、そちらの方がオーバーラップして個人の倫理観よりも強くなる。いわゆる集団的な洗脳です。環境によって人間の倫理観や思考は全部インストール可能だと考えると、結構すごいことです。周りの環境次第で人間の思考は意外と簡単にリプレイスできるのではないかと。

競争をし続けなきゃいけないのはなぜか

競争に勝ち続けなきゃいけないのは何なのかという問い。競争に負けた人の意見は世の中に反映されなくなるから、勝たなきゃいけないという論理はわかります。でもなぜこんなに競争しなきゃいけないのか。しなくてもいい社会は無理なのか。

資本主義的なところも含めて、北朝鮮やロシアのようにルールを守らない国が侵略してくる以上、競争しないわけにはいかない。守らないやつがいたら終わりです。誰かが一歩前に進んだら、周りも進まないといけない。不可逆的な構造になっています。原爆のようにラインを保つことはできても、誰かが一つ進んだらもう全員戻れません。

AIの話にもつながりました。ジェフリー・ヒントン先生が2050年代には人類がこのまま行くと破滅すると警鐘を鳴らしています。AIによるサイバー攻撃がエージェンティックにどんどん行われるようになる。生物兵器にも応用できる。タンパク質の遺伝子的な配列は132塩基対しかないような単純な物質もあって、AIとバイオを組み合わせたら簡単に作れてしまうかもしれません。

AIに宗教とか道徳性を覚えさせることはできるのか。でも倫理は時代で普遍的ではないし、作る人の意志が入ってしまう。キリスト教ベースのAIとイスラム教ベースのAIができたら、結果としてAI同士が戦争するのではないかという話にもなりました。

自分なりの倫理観を構築することの難しさ

理想的にはキリスト教、ユダヤ教、儒教、道教、イスラム教、いろんな宗教を全部ちゃんと理解して、自分で思考して、自分なりの道徳性や倫理観を生み出すのが一番いいはずです。ウォーレン・バフェットやチャーリー・マンガー、ビル・ゲイツのような人は、そういったことを俯瞰して学んで理解できているから、周りにアップデートされない、影響されない何かが個人の中にあるのだと思います。

でもみんなそれができないし、そういう意志もない。人が考えたことを信じておくのが楽です。自分なりの哲学を構築していく時には気づいていない穴があって、指摘されると対応できなくなる。キリスト教のような確立されたものを信じていれば、矛盾を指摘された時に「キリストはこう言っていた」「彼は死んじゃってるからわからない」と責任転嫁ができる。絶対的な寄り所をどこに置くかという話です。

倫理観が変わるタイミングはどこからあるのか。昔は武士が商人を殺すのはOKだった。倫理観の変化は政治形態の変化と関係していて、最終的に民主主義に落ち着くと民意が反映される。かつ国際的な情報社会なので、それが国際的に浸透してヒューマンライツのようになっていく。大多数が信じているからその倫理観は正しいという、多数決的な構造です。

前提を疑うのは人生において相当大事だと改めて感じました。ほとんどの人が疑わずに死んでいく。それはそれで幸せかもしれないけれど。


引用

『礼記』に、「君に仕える者は、四十歳でしっかりとした志をたて、利害に左右されず、一身上の幸不幸を気にかけず、出仕すべきである」(曲礼) と書いてあります。

都鄙問答 (中公文庫) Kindle版

『日本書紀』神代巻に、「イザナミノミコトが、『あなたがおさめるところの国民を一日千人くびり殺そう』と言うと、イザナギノミコトは、『それでは一日に千五百人を生ませよう』と応じました」とあります。この二人の神は陰陽の神です。天地の間には、生むのと殺すのと二つの作用があります。今日何をするのにも、それに従っているのです。すべてのものは同じ一つの理に従っているけれども、そこに軽重の区別があり、その秩序が狂わないことが善である。この理屈に従って天地が動いていることを理解しなければなりません。強いものが勝ち弱いものが負けるのは自然の道理です。

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天の道理はあらゆるものが生じ、生じたものの一部でそのほかの生じたものを養い、生じたものの一部がほかの生じたものを食べるということです。あらゆるものに天が与えた道理は、本来同じであるけれども、その形には貴賎の区別があって、尊い形のものが賎しい形のものを食べるのが天の道理です。

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