「とりあえず5つ」――世界はそこから広がっていく
――俳優思考・第二十四回
私は、授業やワークショップで、よくこの言葉を用います。
「とりあえず5つ言えるようになって」
これは、昔ある映画監督に言われた言葉なんですがね。
「画家」「オペラ歌手」「中国の俳優」ジャンルは何でもいいので、とにかく「5つ」。
「そんなこと覚えて、何になるの?」って思う人もいるでしょう。
でも、これが意外と役に立つんです。
役に立つといっても、テストに出るとか、資格が取れるとか、そういう話ではありません。ある日ふと「あ、こんなところで使えた!」そんな瞬間が、あとから何度もやってくる。それだけの話です。
例えば、「メイク道具を5つ」なんてどうですか?
とくに男性だと、あまり馴染みがないかもしれませんね。そこで、調べてみると、その中に「コンシーラー」という言葉が入っていたとします。
「それって何だ?」となり、さらに調べてみると、「ああ、シミやクマを隠すものなのかぁ」となる。たったこれだけです。
メイクさんのように何百種類も覚えろと言われたら、大変ですが、とりあえず5つ」なら、負担はほとんどありません。
でね、不思議なもので、一度知ると、今まで気にも留めなかった言葉が急に目に入るようになるんです。
ドラッグストアで見かけたり、誰かの会話で耳にしたり。
「それ知ってる」と思うだけで、その知識がどんどん自分のものになっていきます。
知識というのは、1つ知ると、さらに次の知識を連れてきてくれます。
演技をしていると、なおさらそれを感じます。
役者という仕事は、自分が経験したことのない人生を演じる仕事です。
刑事を演じるかもしれない。医者を演じるかもしれない。
美容師かもしれないし、料理人かもしれない。
もちろん、役が決まってから勉強すればいい、という考え方もあります。間違いではありません。逆に、知っているからって、うまく演じられるわけでもありません。
でも、知っているから気づけることがあるのは事実です。
知っているからこそ見えてくる景色があるんです。
そして、これは俳優だけの話ではありません。
仕事でも、人との会話でも、同じことが起きます。
映画が好きな人と話す機会があるかもしれない。
美術館が好きな人と知り合うかもしれない。
旅行、歴史、クラシック音楽。誰かの「好き」に触れる瞬間は、日常のあちこちに転がっています。
実際、前出の映画監督とタクシーで二人っきりになったんです。そこで、「指揮者で誰が好き?」って聞かれて、「まったく知らないんですよ」って答えたら、「あ、そう…」って言われて、現場到着まで無言になった…。
15分ぐらいの道のりが5時間ぐらいに感じましたよ。
降りるとき監督に「とりあえずなんでも5つ言えるようになっといたほうがいいよ。もし大河の仕事が来て、鎌倉時代の話だったら鎌倉時代の有名人、とりあえず5人は言えないとって」って言われた。
その時、少しでも知っていれば、会話は自然と広がっていったはず。詳しくなくっていいんです。「あまり詳しくないんですけど、カラヤンぐらいなら名前は知ってる程度です」これだけで、会話は違うところに流れていったと思います。
まったく知らない人に一から話すよりも、とりあえず、少しぐらい知ってる人のほうが話す気になるでしょ。
別に「知識を増やそう」と気負わなくていいです。
「とりあえず5つ」。そのくらいが、ちょうどいい。
暇な時間にふと考えてみる。友達や恋人、家族と出題し合ってみる。
古今東西ゲームみたいに、遊び感覚でやってみてもいい。
それだけで十分です。
気づけば、知らなかった世界が少しずつ広がっていく。
そしていつか、思いがけない場面で、その知識がひょっこり顔を出します。
「ああ、このことだったのか」そんな瞬間が、きっとやってきます。
人は、自分が知っている範囲からしか世界を見ることができません。
だから、知識を集めることが大切なのではなく、自分の知らない世界への入口を増やしていくことが大切なんじゃないかなと思うんです。
「とりあえず5つ」
たった5つ。その5つが、まだ見ぬ世界への入口になるかもしれない。
そして、その入口をたくさん持っている人ほど、人生は少しだけ面白くなるんじゃないかなと、私は思います。
あなたなら、今日はどのジャンルで「5つ」挙げてみますか?
次回はこちら→『経験は、増やすためじゃなく比べるためにある』
前回はこちら→『舞台という総合芸術が教えてくれた「感謝を生かす」ということ』
まとめはこちら→【俳優思考】
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