見出し画像

部活動の"引っ越し先"②「旅行・運送・会計業務」兼ねる顧問教師

学校が抱え込むには大きくなり過ぎた

第1回では、北越高校ソフトテニス部の遠征バス事故を入り口に、学校部活動が抱える構造的な課題について考えました。


私があの事故報道を見ていて感じたのは、「誰が悪いのか」ということ以上に、「なぜ、学校が、部活動がそこまで抱え込んでいるのか」という疑問でした。
事故原因そのものは、警察や関係機関の調査によって明らかにされることでしょう。
しかし、仮に責任の所在が判明したとしても、それだけで同じような事故を防げるとは思えません。
なぜなら、今回の事故の背景には、学校部活動が長年抱えてきた構造的な課題があるように見えるから。

なぜ部活教師がここまで担うのか

前回も触れましたが、私が最も違和感を覚えたのは、
「なぜ部活教師がバス会社と交渉する立場にあるのか」
ということ。
部活動の現場にいる人にとっては当たり前の光景かもしれない。
しかし冷静に考えると不思議な話です。
顧問教師は競技指導だけではなく、
・遠征計画の作成
・宿泊先の確保
・移動手段の手配
・会計処理
・保護者対応
・安全管理
など、多くの業務を担っています。
しかも、それらは授業や校務の合間、休み時間をも使いながら行われていることでしょう。
競技によって事情は異なるかもしれませんが、これだけの業務を一人の教員が抱えること自体、相当な負担だと想像します。
今回の事故報道を見ていて、私はまずそこに目を向けました。

昔は機能していた

誤解してほしくないのは、私は部活動そのものを否定したいわけではないのです。
むしろ、高校時代にハンドボール部で活動した経験から、多くのことを学んだと思っています。
まず「マイナー競技」の奥深さは部活に入らなければ知りえませんでした。
仲間と目標に向かうこと。
途中で諦めないこと。
おかげで全国大会に出場することができた。
敗北を受け入れ、勝者を称えること。
社会でも役立つ健康とスタミナを獲得した。
教室で学べない経験は、部活動の「賜物」です。
だから部活動には大きな価値があると確信します。
ただし、価値があることと、現在の仕組みが持続可能であるかということはまったく別問題。
私が高校生だった1990年代の北海道において練習試合は地元で完結していました。自転車や路線バスで移動できる範囲で複数校が競技に取り組み、練習相手に困ることはありませんでした。
部活動は学校と地域の枠組みの中で確かに成立していました。
しかし現在は事情が違います。
少子化で競技人口も、学校数・チーム数も減った。
一方、競技レベルは向上し、交流範囲は広がり、県外遠征や宿泊を伴う活動も珍しくないのでしょう。
部活動は昔よりもはるかに複雑な運営を求められるようになっているようです。それにもかかわらず、運営を支える仕組みは昔から大きく変わっていない。

遠征は本当に必要?

北越高校の事故をきっかけに、私はもう一つ疑問を持ちました。

「そもそも、なぜそこまで遠征を行うのだろう?」

もちろん遠征には意義があるのでしょう。
・強い相手と試合ができる
・他地域の選手と交流できる
・集団行動を経験できる
しかし、それらの目的は本当に遠征でなければ達成できないのでしょうか。地元にライバル不在の強豪特有の悩みなのでしょうか。例えば「競技力向上」が目的なら、複数校を一か所に集めた合同練習会オープン参加の練習試合の方が効率的かもしれません。
指導者同士の情報交換もできるでしょうし、競技団体や大学が会場を提供する方法もあるでしょう。
また、限られた予算を遠征費に充てるより、
栄養指導やトレーニング環境の充実に回した方が効果的な場合もある。
極端な話をすれば、遠征バスにガソリンを給油するのではなく、子どもたちのご飯のおかわりを一杯増やす。
卵を一個、肉を一切れ増やすこともまた競技力向上です。
私は遠征を全否定しているのではありません。
ただ、「なぜ遠征するのか」という目的を改めて検証する必要があるのではないかと思うのです。

学校だけで抱える時代ではない

実は国も同じ課題を認識しています。
スポーツ庁「部活動改革」を進め、日本スポーツ協会(旧日本体育協会)も総合型地域スポーツクラブの育成を続けています。
背景にあるのは、
少子化
教員不足
働き方改革
地域格差

こうした現実です。

北越高校事故を見ていると、地方の私立高校という教育機関が、部活動の強化の過程で本来なら別の専門家に委ねるべき「スポーツクラブ」と「旅行会社」の運営に乗り出し、顧問教師が一人でスポーツクラブ運営と遠征ツアーのコーディネートの役割まで担っていたようにも見えるのです。
今回の事故は単なる交通事故でも特定の個人や団体の失敗でもなく、「学校だけでスポーツを支える時代ではなくなった」という事実が白日のもとにさらされたという認識です。
私も、この時代認識には基本的に賛同します。
なぜなら、現場の負担はとっくに限界を超えているように見えていたから。
ただし、同じ体制で長く続きすぎた部活動は、方向性や理念だけでは簡単に改革を進められないでしょう。

改革には「指導者が必要だ」「財源が必要だ」「移動手段も必要だ」となります。
そして保護者の理解も必要になります。必要なものを数え始めれば、改革はたちまち「無理だ」という結論に行き着くでしょう。
だからこそ、スポーツだけの問題として考えてはいけないのです。
ここから先は「スポーツ政策」であると同時に、自治体経営地域づくりの課題にもなってきます。

部活動改革はスポーツ改革ではない

私は最近、部活動改革とは、「放課後改革」だと思うようになりました。
共働き家庭が増えた現在、保護者の最大関心事は、子どものスポーツ活動とは限りません。
まず、放課後をどこで誰とどうやって過ごすのか──が最重要ポイントのはずです。
その文脈の中で、宿題はどうするのか(誰が見てあげるのか、どこでやるのか)、習い事との両立はできるのか、送迎は誰が担うのか──といったハードルをクリアしていかなければなりません。競技が面白いかどうか、教え方が良いか悪いかだけが競技選択の基準ではないということです。
だとすれば、子どものスポーツ機会の確保は、顧問教師や競技団体、コーチだけでどうにかなる問題ではないことが見えてきます。
地域には他にも大人がいます。公共のスポーツ施設を使おうにも、立地が遠すぎて子供だけで通えない、公共交通でアクセスできないという事情があれば、学校の体育館や校庭、地元企業や大学のスポーツ施設を提供してもらうことも検討されるべきでしょう。
子どもの成長を支える仕組み場所担い手を地域全体でどう作るか──という視点が必要になっていると思います。
つまり、部活動改革とはそうした子どもを取り巻く環境を今の時代に適合させる「放課後改革」でもあるのです。
スポーツ活動だけの解決手段をスポーツ・教育畑の関係者だけで探るよりも、総合的、横断的に少子化の課題を地域の課題として全体で取り組んでいくことで関係機関の協力も得やすくなるのではないでしょうか。
放課後を設計することは、子どもの未来を設計することでもあるのです。

部活動の価値を残すために

私は部活動という制度をなくしたいわけではありません。
むしろ残したい側です。
だからこそ、今の仕組みのままで残すことは難しいと思うのです。
良い制度であることと、持続可能な制度であることは違います。
顧問教師の献身だけに頼る今の仕組みは限界に達しました。
外部コーチの導入は既に始まっていますが、教師の負担問題が部活動の問題の全てではありません。
コーチはあくまで競技指導や練習計画の担当者であり、部活動の運営には有望選手のスカウト、大会の出場申請、移動手段の確保や遠征活動の企画など事務的な作業もあります。それらの負担から学校を解放することは、部活の「廃止」ではなく、「移行」です。
学校からスポーツを追い出すのではありません。

子どもたちのスポーツ環境を守るために必要なことは、思い出を捨てるのではなく、次の世代へ引き継ぐための仕組みづくりです。

私はそれを「部活動の引っ越し」と呼びたい。
学校という家が古くなったから壊すのではなく、
子どもたちのスポーツ環境を守るため、より住みやすい家へ移るのです。
では、その引っ越し先はどこなのか。
次回は、総合型地域スポーツクラブを中心に考えてみます。

いいなと思ったら応援しよう!

安全とスポーツのcage NOTE 応援よろしくお願いします! いただいたチップはクリエイターとしての情報収集など活動費に活用させていただきます!