部活動の"引っ越し先"①北越高校事故から考える学校スポーツの未来
学校部活動はいま、大きな転換点を迎えています。
同じ目標に向かって仲間と研鑽を重ね、ライバルに挑む部活動は、
青春を彩る思い出づくりだけでなく、教室では学べないチームワークや課題解決を体験する貴重な学びの場です。
しかし、その舞台裏では顧問教師が競技の指導以外の業務も一手に抱えているケースが少なくありません。
顧問教師に大きな裁量が委ねられている学校もあります。
本来、教師は教育・指導の専門家であり、旅行会社でもスポーツクラブ運営者でもありません。
学校部活動の存廃ではなく、子どもたちのスポーツ環境をどう持続させるのか、についてシリーズで考えてみたいと思います。
~部活動顧問が負担を抱え込む構造~
福島県で発生した北越高校ソフトテニス部の遠征バス事故は、多くの人に衝撃を与えました。
事故後、学校とバス会社はそれぞれ記者会見を開き、運送契約や車両手配を巡る説明が報じられました。会見内容の食い違いはワイドショーでも大きく取り上げられました。
私自身も会見の模様を視聴した一人ですが、事故そのもの以上に気になった点がありました。
もちろん、事故原因そのものについては警察や関係機関による調査を待たなければなりません。
また、私は現時点で学校やバス会社のどちらかが嘘をついていると断定するつもりもありません。
しかし、この事故を「運転手の問題」あるいは「顧問教師の判断ミス」だけで片付けてしまってよいのでしょうか。
私はそうは思いません。
なぜなら、事故の背景には学校部活動(以下、部活動)が長年抱えてきた構造的な課題が見え隠れしているからです。
学校への信頼を前提に成り立っている活動
学校の敷地の外に出て教員の管理下で移動する校外活動は、部活動に限りません。
修学旅行や遠足、社会見学なども同じです。
児童・生徒と保護者は、学校が安全対策を講じていることを前提に活動へ参加しています。
部活動も例外ではありません。
任意参加の活動であっても、学校が主催し教員が引率する以上、安全への責任は発生します。
事故発生までの過程を振り返れば、防ぐ機会はいくつもあったのかもしれません。
そして、他校の部活動であっても、解決できる課題を放置したままでは、ほとぼりが冷めた頃に同じような事故やトラブルが起きる恐れがあります。
今回考えたいのは、誰が悪いかではありません。
このような事故が起きる土壌が、なぜ生まれたのか、ということです。
なぜ部活教師が運送会社と交渉する立場にあるのか
今回の事故報道を見ながら、私が最も違和感を覚えたのはここでした。
なぜ部活教師が運送会社と交渉する立場にあるのか──。
部活動の現場を知る人なら、それが当たり前だと思うかもしれません。
しかし、よく考えると不可解な話です。
教師は教育と指導の専門家です。
大型二種免許を持つプロドライバーではありません。旅行会社の添乗員でもありません。ましてやバスの運行管理者でもありません。
それにもかかわらず、多くの学校では顧問教師が競技の指導だけでなく、
・遠征計画の作成
・宿泊施設の確保
・移動手段の手配
・会計処理
・保護者対応
・安全管理
まで担っているといいます。
しかも、その多くは授業や校務の合間に行われています。
学校によって差はあるでしょうが、顧問教師の個人的な努力と善意によって成立している部活動は少なくありません。
今回の事故も、その延長線上で起きた出来事として見る必要があるのではないでしょうか。
活動は拡大したのに仕組みは変わらなかった
時代も地域も競技も異なるため単純比較はできません。
それでも私自身の高校時代を振り返ると、現在との違いの大きさを感じます。
私は1990年代、地方都市の高校で運動部に所属していました。
当時の練習試合は市内の学校同士で行うか、近くの大学生に胸を借りる程度で、移動手段は自転車や路線バスで十分でした。
市内だけでも複数校が競技に取り組んでおり、練習相手に困ることはありませんでした。
当時の部活動は、基本的に学校や地域の枠組みの中で完結していたのです。
ところが現在はどうでしょう。
全国レベルを目指す強豪校では、県外遠征や宿泊を伴う活動が日常化しているケースも珍しくありません。
競技レベルは向上し、交流範囲も広がりました。
少子化による競技人口減少もあり、より強い相手を求めて広域的な活動を行う必要性も高まっています。
部活動は本来、放課後の課外教育活動として発展してきました。
しかし、競技力向上と活動範囲の拡大によって、その運営はかつてよりもはるかに複雑になっています。
それにもかかわらず、運営の仕組みは昔のまま。
学校と顧問教師が中心となって支える構造が続いているのです。
私はここに大きな歪みがあると考えています。
競技活動は高度化しているのに、運営体制はそれに見合う進化をしていない。
その結果、現場の負担ばかりが増えているのではないでしょうか。
事故の責任と構造の責任は別の話
ひとたび事故が起きれば責任問題が発生します。
それは当然です。
運転手の責任
バス会社の責任
学校の責任
場合によっては管理監督責任も問われるでしょう。
それらは今後の捜査や調査、司法手続きの中で明らかになるはずです。
しかし私は、責任の所在が判明しただけでこの問題を終わらせるべきではないと考えます。
なぜなら、責任と構造は別の問題だからです。
仮に特定の個人に落ち度があったとしても、
なぜその人がそのような判断をしなければならなかったのか。
なぜその業務を担う立場に置かれていたのか。
そこまで掘り下げなければ再発防止にはなりません。
今回の事故を「誰か一人の失敗」として処理してしまえば、制度そのものは何も変わりません。
そして制度が変わらなければ、同様のリスクは他の場所に残り続けます。
顧問教師の献身に依存してきた部活動
日本の部活動は長い間、教師の献身によって支えられてきました。
休日の引率。
長期休暇中の練習。
大会運営。
保護者対応。
その多くは、熱意ある教師たちの努力によって成り立っていました。
私自身、その恩恵を受けた一人です。
だから部活動そのものを否定するつもりはありません。
むしろ、教室では得られない経験を与えてくれる貴重な教育の場だと思っています。
しかし、良い制度であることと、持続可能な制度であることは別問題です。
特に公立校では、
顧問教師が病気になったらどうなるのか。
異動したらどうなるのか。
退職したらどうなるのか。
部活動を持続させるために例外的人事を認めれば、他の教員との公平性にも影響します。
特定の個人の献身がなければ成立しない仕組みは、長期的には脆いと言わざるを得ません。
近年、教員不足や働き方改革が話題になっていますが、その背景にはこうした構造的な問題も潜んでいます。
今回の事故は、その一端を私たちに見せたのではないでしょうか。
犯人探しではなく仕組みづくりを
新たな事故を防ぐために必要なことは、犯人探しではありません。
同じような事故が起きない仕組みを整備することです。
部活動をなくすか続けるかという極端な議論でもありません。
子どもたちのスポーツ環境をどう守り、どう次世代に引き継ぐのかという問題です。
今回の事故を通じて私が感じたのは、学校が抱え込んでいる役割の大きさでした。
教育機関である学校が、スポーツクラブの運営機能や旅行手配機能まで事実上担っている。
しかも、その多くを特定の教師が引き受けているのです。
その負担は、すでに学校という組織の許容量を超え始めているのではないでしょうか。
北越高校の事故は、部活動を続けるかやめるかという話ではありません。
学校はどこまでを担い、どこからを地域や専門家に委ねるべきなのか。
その境界線の曖昧さが生んだ歪みを私たちに突き付けた出来事だったように思えてなりません。
次回は、「学校はスポーツクラブではない」という視点から、学校部活動が抱える役割の限界について考えてみます。
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