あの場所に、学びが還ってきた|1920(大正9)年8月18日(水)|8月19日(木)|
📗1920年、旧制中学校を卒業した祖父。小学校の先生になろうと師範学校を受けたものの、まさかの不合格。
師範学校リベンジを狙いつつ、仕方なく(?)田舎の親戚の家に下宿しながら、非正規の代用教員として小学校の教壇に立つことに。
そんな代用教員生活、初めての夏休みがやってきました。
この日記を、孫である私が106年後の2026年、同じ日付で紹介しています。
🧭 この日のあらすじ
8月18日(水)
朝、一校に国民体操を見に行く。
その後、英語と代数の勉強。
昼頃、石松家の人が来た。昼食に頼母子に行く。
午後、新しいノートを購入。「新しい知識」として、常識や覚えておきたいことを書き留めることにした。
朝、墓参りをした。
午後、公会堂の図書館で河内先生に会った。
夜、八犬伝を読む。
8月19日(木)
朝、国民体操をした。
📅 日記本文
8月18日(水)
朝、一校に行き、国民体操を見る。その後、英語、代数の勉強をなす。
午ごろ、石松の人来らる。昼食に頼母子に行く。
午後、ノートを買い「新しき智識」として、主として常識、そして覚えておくべきことを書くこととした。
また、朝、墓に参りたり。
午後、公会堂の図書館に行く。河内君に会う。
夜、八犬伝を読む。
8月19日(木)
朝、国民体操をした。
📌 背景メモ
一校
祖父の母校で、私の母も卒業生。
祖父が通っていたのは1876(明治9)年築の洋風モダン校舎。
その後1924(大正13)年頃に建て替えられ、昭和42年まで小学校として使われたのち、高山市役所の庁舎に。
現在は同じ場所に、明治の校舎をモデルにした高山市図書館「煥章館」が建っています。

明治時代の小学校がモデル
国民体操
ラジオ体操のプロトタイプとなった体操。
先日の記事で詳しく調べました。
頼母子(たのもし)
お金を出し合って順番に受け取る「頼母子講」という仕組み。
この日の日記では、祖父は母の代わりに頼母子講に出かけていました。
今日は、石松家(母の実家。祖父の下宿先でもある)の人たちと一緒に頼母子講に出かけました。
ちょっと想像つかないけど、ランチ会も兼ねていたところ、わりと和気藹々だったんでしょうか。
💭 孫のつぶやき
祖父が始めた新習慣ノート「新しき智識」。
昨日の日記では「常識は主に新聞と雑誌の中にある」と宣言してたけど、ビビッと来る言葉があったんでしょうか。
うん、私も10代の頃、こんなふうに「好きな言葉集」を作った記憶があります(1回だけで終わった)。
そして、一校は祖父の卒業後に建て替えられ、昭和になって高山市役所に。
この古い庁舎、私の父が働いていたからなのか私も幼い頃行ったことがあり、こげ茶色の板の床やクリーム色の壁をうっすら覚えています。
今思えば私の父を含め市役所の人たち、大正生まれの木造オフィスでよく耐えたな。
改修しながら1996年まで使われてて驚き。
で、今そこに建ってるのが高山市図書館「煥章館」。
これ、祖父が実際に通ってたあの校舎をモデルにデザインされてるんです。
つまり、明治の校舎→大正昭和の校舎(そのまま市役所)→また明治の姿に、って一周回って戻ってきてる。
今日の日記。18歳の祖父は自分の母校の小学校に、国民体操を見に行っています。
ヨイサ!ヨイサ!
さあ、ご一緒に!
(じいちゃん、恥じらいながらも一緒にやってそうです)。
そして次の日、ちゃんと実践してるところも祖父らしい。

